意図せざる同期現象 「値上げ雪崩」の何が問題か

楡井 誠
ファカルティフェロー

ポストコロナの消費ブームとウクライナ戦争による資源供給ショックをきっかけに、日本経済はゼロインフレから脱却し、日本銀行の目指す安定的な2%の物価上昇率に向けて緩やかな遷移過程に入った。しかしその行路には大小の凸凹が予期される。

インフレとは物価の平均的な上昇のことを指すが、日常的な経験からもわかるように、すべての商品が一斉に1%、2%と値を上げていくことはない。ある日にはこの商品、次の日にはあの商品といった具合に、値上げする品目数が増えていく。そして、価格改定する商品は一度に10%ほど価格を変える場合が多い。

もしも商品が互い違いに価格改定し、価格改定品目数が時間を通じて一定であるなら、物価上昇の行路はなだらかでありうる。しかしデータを見ると、価格改定品目数はかなりのばらつきを示し、それに応じてインフレ率も短期的に上下する。ある月にまとまって値上げが起きたと思えば、翌月には小康状態に入るなど、価格改定品目数は予期しない変動を見せる。

筆者の研究では、このような値上げの同期現象を「値上げ雪崩」(Repricing Avalanches)と呼ぶこととした。「値上げ雪崩」の一因は商品間の競争にある。

一斉値上げが起こるとき

競合商品が値上げをすれば、割安な自商品に需要が集中して、コストの割に利益が上がらない状態に追い込まれるので、自商品も値上げをするのが順当である。そのため、競合する商品群は一斉に価格を動かす傾向にある。これは、例えばポテトチップスのコンソメ味とのり塩味のような商品グループを考えれば明らかだ。経済学の用語で言えば、代替弾力性の高い、すなわち少しの価格差によって需要量の大きな変動が起きる商品群は、価格を同時に変えがちだということになる。

代替性がそれほどないような商品ペア、例えばポテトチップスと洗剤を考えても、消費者の予算を奪い合っているという意味では競合関係にある。消費バスケットの中の財はすべて、緩やかな代替関係にあると考えていいだろう。代替関係にある商品群は、雪崩を打って価格を変える傾向を持つ一方で、あまりにも小刻みな値上げはしないという粘着性を持つ。

同期と粘着性という2つの力の下で、「値上げ雪崩」のサイズ、つまり同時に値上げする品目数には、時間を通じて一定になる傾向はない。例えば米国の百貨店における日次の値上げ品目数の分布には、0から140まで連続的なばらつきがある。

このような「値上げ雪崩」のばらつきはなぜ起こるのだろうか。ヒントはサイズ分布の特徴的な形状にある。実は、その形状は数理的には感染症拡大と同型だ。

感染症疫学においては、1人の感染者から直接に感染する人の数の平均値を、「再生産数R」と呼ぶ。Rが1より大きいとき、社会は感染爆発を起こしていずれ集団免疫に落ち着く。Rが1より小さいときは、確率的に感染クラスターが生じるが、Rが1に近いほど、クラスターサイズのばらつきが大きくなるとわかっている(専門的には、この規則性を「一般化ポアソン分布」という)。

これを念頭に、以下では筆者らの研究を基にして、「値上げ雪崩」のメカニズムを説明したい。金融政策の分析に用いられている通常のマクロ経済モデルに少し工夫をすることで、感染症の拡大に似た確率的「値上げ雪崩」を表現し、それが短期的なインフレ率に与える影響を示すことができる。

さらに、短期的なインフレ率の変動が、高インフレ時ほど大きくなるのを示すことができる。経済学の世界では、インフレ率の平均的水準と短期的ボラティリティーに正の相関関係があるという事実がよく知られている。つまり中長期の高インフレは短期的な不安定性と連動するのである。これは、インフレ率の政策目標を2%といったマイルドな数値に抑える理由の1つになっている。

望ましい価格との乖離

筆者らのモデルでは、利潤が最大になるよう価格設定する企業を考える。企業が価格を変えるときには、取引先との交渉など若干のコストがかかるとする。価格改定にかかるこのコストを、レストランがメニューを書き換える手間になぞらえてメニューコストと呼ぶ。企業は普段、価格を据え置いているが、望ましい価格との乖離が大きくなるとメニューコストを支払って改定する(=価格の粘着性)。

消費バスケットを構成する財は緩やかな代替関係にあり、ある財の価格が上がると、ほかの財の価格は相対的に下がる。相対的に安価となった薄利多売の状態を企業が嫌えば、値上げが起こる。それがまたほかの財の相対価格を引き下げ、連鎖的な値上げが起こる。

この価格改定の連鎖を感染拡大に見立てると、ある企業の値上げが平均的に引き起こす他企業の値上げの平均数が「再生産数R」に対応する。Rは、トリガーとなる企業の値上げ幅と、相対価格が値上げ寸前の位置まで下がっていた企業の数によって決まる。これらの変数は定常インフレ率の水準に影響を受ける。分析からは、定常インフレ率がゼロから上がっていくにつれ、Rが1に向けて上昇していくことが示された。

その理由は、高インフレ経済では相対価格が速いスピードで低下するため、値上げ寸前の位置にある企業の定常密度が高くなることにある。値上げ寸前の企業数が多くなるので、Rも1に近づいて上がっていき、価格改定の長い連鎖が起こる確率が高まる。できれば競合企業と同時に改定したいという企業行動により、価格改定の同期サイズのばらつきもまた大きくなり、短期的なインフレ率の分散が大きくなると考えられる。

物価の短期的な変動は、資源価格や天候、地政学的リスクなどの外的影響を受けた市場の効率的な反応であることも多い。一方で、ミクロ的な財の価格設定者が、競合他社を横にらみして最適行動するため起こる、意図せざる同期現象もまた、物価の短期的変動を引き起こす原因になる。市場経済は、外からのショックに機敏に反応して適応する柔軟性を持っている一方で、不要な変動を内から生じさせてしまう力学もはらんでいるといえるだろう。

(本稿の参考文献等は、Nirei, M. and J.A. Scheinkman. “Repricing Avalanches,” Journal of Political Economy, forthcoming. 楡井誠『マクロ経済動学──景気循環の起源の解明』有斐閣(2023)をご参照ください。)

週刊東洋経済 2023年12月2日号に掲載

2023年12月8日掲載

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