計算機の発達とデータの蓄積により、動学一般均衡の数値解析と構造推定の手法が、政策の厚生評価に現実的な貢献をなしうるようになりつつある。この政策評価方法の核心は、家計なり企業なり実際に意思決定する者に焦点を当てることにある。その思想をつきつめれば、社会的諸機能を供給する側の視点で縦割りに構成されてきた行政のありかたも問い直されることになるだろう。
政策の有効性と構造推定
応用計量経済学における構造推定手法は近年長足の発展をみた。従来、データを手にしたものがまず試みるのは、説明したい変数(従属変数)を、それに影響を及ぼしそうな諸要因(独立変数)に回帰してみることだった。そのような「誘導形」の推定に対して、「構造」推定は、それら変数間の関係を決定する意思決定主体にまでさかのぼり、意思決定主体の直面している問題自体を特定しようとする。
たとえば、ある地域の家計消費とその現金残高との関係を考えよう。月々のデータを集めれば、消費と現金残高は相関しているだろうし、地域別のデータを集めてもまた相関しているだろう。そこで、消費をたとえば現金残高と所得に回帰してみれば、正の係数が得られるだろう。これは誘導形推定である。
一方、構造推定家は、消費・現金・所得の関係を家計が決定するような理論を立てて、その理論モデルを推定する。月々の消費であれば、家計は所得を所与として消費水準を決めると考えられる。その消費をまかなうために現金保有高が決まり、残りは貯蓄にまわされる。したがって推定式は消費/貯蓄関数と現金需要関数であり、推定するパラメータは時間選好率や現金引き出しコストとなる。
相関は因果を意味しない。因果は逆方向なのかもしれないし、第三の根本原因があるための見せかけの相関なのかもしれない。これらの識別は正しい政策の選択にとって決定的に重要である。誘導形の推定結果を鵜呑みにすれば、家計に現金を配れば消費が増えることになるが、実際にはほとんどが貯蓄にまわされるだけかもしれないからだ。
政策立案上、構造推定が重要であることを明快に指摘したのがいわゆるルーカス批判である。経済変数間に統計的な法則性が観察されたとしても、その法則性を絶対的な前提として政策を立案することはできない。なぜなら、政策自体が家計や企業の行動様式を変化させ、その法則性を崩してしまう可能性があるからだ。例に富む解説として今井・有村・片山(2001)が啓発的である。
政策の優先順位と一般均衡
構造推定では実際に意思決定を下す家計や企業の解明に注力する。しかし、経済的側面に限定してすら、家計や企業とはきわめて多面的な存在である。消費、現金、所得、だけでなく、資産、就労、教育、健康、住宅、立地、等々。家計は多様な領域で相互連関した選択をする。家計の意思決定を明らかにしようとする構造推定は究極的には家計の厚生に影響する財すべてを取り入れることを指向する。それに対応するのが「一般」均衡モデルの枠組みとなる。
思いつく財すべてを盛り込んだから偉いというものでもなく、たとえば教育投資の決定にピーナッツの価格はあまり影響しないだろうから、推定の実際においてはもっとも関係のありそうな財や適宜カテゴライズされた財に関心を集中することにはなる。しかし一般均衡の枠組みで考えることには構造推定を改善することを超えた政策的な意義がある。それは政策のプライオリティ付けである。
領域の異なる政策を比較評価することは難しい。民主的に投票で決めるのは良いけれど、有権者に正しくバランスのとれた情報を提供することは難しい。国会と政府で適切な評価ができれば良いけれど、下手をすれば利害関係者間のぶんどり合戦になりかねない。
意思決定する経済主体に焦点を当てるアプローチは、この問題に首尾一貫した回答を出すことができる。家計や企業が、多様な環境のなかでどの側面を重視しどの側面から便益を得られると判断しているのかを、価格と彼らの行動から推測することができる。
たとえば企業にとって最も助けになるのは、技術開発環境の改善なのか、税負担の軽減なのか、信用保証なのか。曲がりなりにも数値的な評価を下せるのが構造推定の方法である。経済学者の知見とデータ集積の現状では誇大広告かもしれないが、近未来的な政策評価は着実に現実のものとなりつつある。
限りなき政策目標と限りある資源
政策評価を試みるものに一般均衡の枠組みが要求するもう1つのよきディシプリンは、資源の有限性への感受性である。有益でない政策はないだろうが、いかなる政策にも費用がかかる。資源が湯水のように溢れ出るのでないかぎり、何かに役立つ政策は他の何かを犠牲にしている可能性がある。
特定産業を保護する政策は他の産業に不利益であることがある。政策によっては不利益を被るのが未だ存在しない主体である場合すらある。破綻すべき企業を延命させるのは、破綻させれば解放される資本や労働を用いることによって、潜在的企業が興せたであろう有意義な事業を犠牲にしているだろう。
現在の政策調整の過程において、政府サービスの最終受益者のトータルな厚生よりも、政府サービスの個別機能についての議論が厚くなりがちなことはないか。その供給についての都合であったり、その価値についての客観性を欠いた評価が優先されることはないか。最終的な受益者である家計や、財生産を担う企業それ自体に分析の焦点をあわせ、価格というシグナルを利用して資源の希少性と有用性を測る政策評価の手法は、いわば「合理的な仕分け」への一歩である。