ビジネスと人権 企業、直接取引なくても責任

中川 淳司
ファカルティフェロー

ビジネスを展開するうえで人権への配慮が不可欠となっている。その発端となったのは、1997年の米ナイキの児童労働問題だった。同社が製造を委託するインドネシアやベトナムなどの工場で、児童労働が発覚した。米国の非政府組織(NGO)がナイキの社会的責任を追及し、世界的な不買運動につながった。

また2013年にはバングラデシュで縫製工場が倒壊し、従業員多数が死亡した事故が大きな波紋を広げた。多くの縫製業者の入居に対応するため、違法な増築が繰り返されていたことが原因だった。世界中の衣料メーカーが低賃金労働を求め同国での生産を選択していたことが背景にある。

企業にはサプライチェーン(供給網)の川上の調達から川下の販売までを対象に、人権に配慮することが求められるようになった。これを明確に打ち出したのが、11年に国連が承認した「ビジネスと人権に関する指導原則」だ。指導原則は企業に対し、事業活動とサプライチェーンで人権を尊重すること(人権デューデリジェンス)を求める。

指導原則は法的拘束力を持たないが、欧米諸国を中心に関連の法制化が進んでいる。21年には米国が、新疆ウイグル自治区で製造された製品の輸入を禁止するウイグル強制労働防止法を制定した。日本企業も指導原則に沿って積極的に人権デューデリジェンスを実践することが求められる。本稿では日本企業にとっての注意点と課題を解説する。

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指導原則は、企業の事業活動が誘発・助長する人権への悪影響を回避するとともに、悪影響に対処するよう求める。製品・サービスに関連して人権への悪影響が生じた場合、企業が直接関与していなくても回避・軽減に努める必要がある。

そのため企業は、Ⓐ人権を尊重する責任を果たすとの企業方針によるコミットメント(約束)Ⓑ人権への悪影響を特定・予防・軽減し、対処策を講じるための人権デューデリジェンス手続きⒸ企業が誘発・助長した人権への悪影響からの救済を可能とする手続き――の実践が求められる。

Ⓐの人権方針は、専門家の情報提供を踏まえて作成し、経営の最上層が承認することが条件で、企業の活動方針や手続きに反映させることが求められる。企業による人権への悪影響が及ぶ可能性がある主体(従業員、取引先、その他企業の事業活動・製品・サービスに直接関係する者)が明記され、それらに周知される。

Ⓑの人権デューデリジェンスは、人権を尊重する企業の責任の中核的な構成要素だ。この手続きは現実および潜在的な人権への悪影響の評価、評価結果の統合と対処の追跡調査、対処策の周知を含む継続的なプロセスである(図参照)。

図:人権デューデリジェンスの構成要素

まず企業は人権に関するリスクを測るため、事業活動や取引関係の結果として現実および潜在的な人権への悪影響を特定し、評価する。評価に当たっては社内外の人権専門家の知見を活用し、悪影響が及ぶ可能性がある集団などの利害関係者との協議を実施する。人権への影響評価の調査結果を関連する社内部門に提供して適切な対処策をとる。対処策が悪影響の軽減や回避に有効かを検証するために追跡調査を実施する。

さらに企業は人権への悪影響にどう対処したかを外部に情報提供する。その際、特に悪影響を受けた利害関係者に詳細な内容を周知する必要がある。人権への悪影響の誘発・助長を確認した場合、企業は正当な手続きを通じ救済を提供する。

Ⓒの救済メカニズムは、事業活動や製品・サービスにより悪影響を受けた人・集団が企業に苦情を申し立て救済を求めるものだ。企業がその実効性を確保するための要件は次の通りだ。

①利害関係者に信頼され救済プロセスの公正な実施が確保されている(正当性)②利害関係者に周知し、アクセスが難しい利害関係者には支援を提供する(アクセス可能性)③所要時間、利用可能な手続き、救済の種類、履行監視手段を明確に説明する(予測可能性)④公平で透明性がある⑤救済が国際的に認められた人権に適合している⑥メカニズムの改善に向けた継続的な学習の方策を講じる⑦苦情に対処し解決するに当たり利害関係者との対話を重視する――ことだ。

企業は人権方針の策定から人権デューデリジェンスの設計と実践、救済メカニズムの整備に至る一連のプロセスを導入することが求められる。その際、特に注意すべきは以下の4点だ。

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第1に事業活動の人権への悪影響は、企業の業態や製品・サービス、事業活動やサプライチェーンの地理的範囲により異なるため、一連のプロセスの制度設計は各企業の特性を反映したものとなる。企業の業態や製品・サービスの内容が変われば、一連のプロセスの見直しが必要となる。

第2に事業活動に関連するあらゆる人権への悪影響への対処が求められるわけではない。悪影響の重大性などを勘案し優先順位を設ける際には、事業が高リスク国(法の支配が行き届いていない、汚職率が高いなど)で展開されているか、高リスクな活動・製造工程(非正規雇用の多さ、有害化学物質の使用など)に関わっているか、などを含めて検討することが大切だ。そのうえで対処すべき人権への悪影響の優先順位を決め、一連のプロセスを設計し実践することになる。

ただし優先順位の低い人権への悪影響が顕在化する可能性はある。それをくみ上げ適切に対処するうえで救済メカニズムが重要だ。

第3に直接の取引関係にないサプライチェーンの上流や下流で発生する人権への悪影響にどう対処するかが、制度設計で重要な課題となる。直接の取引関係にないから対処不要と判断するのは早計だ。取引関係の終了で人権への悪影響が改善するとは限らない。1次や2次のサプライヤー(部品会社など)を通じ間接的に悪影響への対処を働きかける必要がある。現地の事情に通じた人権団体の協力を仰ぐことも有益だろう。

第4に一連の手続きで基準となるのは国際的に承認された人権だ。海外の事業展開では現地の国内法を順守していても、国際的に承認された人権を満たしていなければ責任は免れない。

現在、日本企業は人権デューデリジェンスの導入を法的に義務付けられていない。だが欧米諸国で法制化の動きが本格化しており、欧米で事業を展開する日本企業は人権デューデリジェンスの導入義務を負う。欧米で事業展開していなくとも、サプライヤーとして欧米の取引先企業から導入を求められる可能性もある。

日本政府も、企業の自主的対応に期待する姿勢を改め、より積極的に人権デューデリジェンス導入を促す方針をとるに至った。ESG(環境・社会・企業統治)を重視する投資家からの導入圧力も強まる。日本企業は経営上の優先課題として人権デューデリジェンスの導入に取り組むべきだ。それは「誰一人取り残さない」をスローガンとする持続可能な開発目標(SDGs)の実践にも通じる。

2022年6月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年6月22日掲載

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