TPP拡大、米復帰後に推進 新局面の通商政策

中川 淳司
コンサルティングフェロー

2020年末から21年初めにかけて、日本の通商政策に大きな影響を与える動きが相次いだ。米国第一主義を掲げたトランプ政権が幕を閉じ、バイデン政権がスタートする。トランプ政権下でとられた通商政策が見直される可能性が高い。

20年11月にはインド抜きながら、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)協定が合意に達した。発効すれば東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国を含む15カ国の自由貿易圏が誕生する。年初には英国との経済連携協定(EPA)が発効し、英国と欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)が暫定適用された。

一方で世界貿易機関(WTO)は依然、機能不全から抜け出せていない。新局面を迎えた日本の通商政策の課題と展望を考えたい。

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まず米国での新政権誕生だ。トランプ大統領は就任早々に環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱した。国内産業を守るという名目で鉄鋼・アルミニウム製品の関税を引き上げたほか、製造業の空洞化につながったとして北米自由貿易協定(NAFTA)や米韓FTAを見直した。中国に対しては広範囲にわたり最大25%の制裁関税を発動し、貿易戦争と言われるまでに対立がエスカレートした。

バイデン新政権はトランプ政権の通商政策を見直す可能性が高い。バイデン氏は、制裁関税などの懲罰的手法はとらず、日欧などとの多国間枠組みをテコとして中国に対抗していくと述べた。米国は日本、EUとの三極貿易相会合の枠組みで、中国の産業補助金や強制的技術移転などについて問題提起をしてきた。新政権下でも引き続きこの枠組みで中国に対し政策変更を求めていくことになろう。

ではバイデン政権はTPPに復帰するのか。バイデン氏は、通商交渉の前にまず国内投資で労働者の競争力を立て直すと述べた。TPP復帰を含めた通商交渉はその後となりそうだ。また、通商交渉の原則として労働政策と環境政策の重視を挙げるが、TPPは労働と環境について手厚い規定を置いており、その条件はクリアしている(表参照)。就任後、労働者向け国内投資を先行させたうえで、TPPへの復帰を本格的に検討する可能性もある。

表:労働と環境に関するTPPの主な規定

日本は米国にTPPへの復帰を積極的に働きかけるべきだ。RCEP交渉の妥結後、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席はTPPへの参加を積極的に検討すると表明した。米国の政権移行をにらんだ政治的な意味合いが大きい発言ではあるが、無視できない。

アジア太平洋地域では、RCEPの交渉妥結で広域FTA交渉が一段落した。米離脱後に日本が主導権を発揮し締結したTPP11がRCEPと並び立つ。この構図に欠けるピースは米国のTPP復帰だ。中国を迎えるのはそれからでよい。TPPは、関税自由化の水準が高く、強制的技術移転の禁止、知的財産権保護、国有企業規律などのルールも厳格だ。中国がTPPに加入することは容易でないが、加入交渉を通じて中国に国内制度の変革を求めていくことは有益だ。

日本はEUに続き英国ともEPAを締結した。20年末には英国とEUのFTAも締結されたため、英国のEU離脱に伴う日本と英国・EUの通商関係への悪影響は最小限に抑えられた。

日本とEUのEPAに盛り込まれた労働と環境関係の規定に注目したい。第16章「貿易と持続可能な開発」の規定はTPPの労働、環境に関する規定と内容が重なる部分が多い。いずれも国際労働機関(ILO)が規定する中核的労働基準の順守や多国間環境協定の順守をうたう。米国やEUが交渉を主導した広域FTAに共通する特色だ。一方、RCEPには労働・環境関連規定は存在しない。次世代のFTAは貿易・投資の自由化にとどまらず、持続可能な開発に資することを目指すべきだ。RCEPに労働・環境関連規定を加えることが将来の目標となる。

多角的貿易機構であるWTOの機能不全が続く。01年に開始された多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)は先進国と新興国の対立から妥結のめどが立たない。加盟国間の紛争解決に当たる上級委員会は、委員の任命・再任を米国が拒んだため、19年末に機能を停止した。20年8月に辞任した事務局長の後任を選出する手続きは最終候補2人に絞られた後、膠着状態にある。

WTOの機能不全には複数の要因がある。ドーハ・ラウンドの行き詰まりは、全加盟国が多くのテーマについて交渉し、交渉結果を一括してコンセンサス(合意)で受諾する方式の限界を示した。加盟国の有志が交渉して合意し、その結果を開放して他の加盟国の参加を促すという方式が現実的だろう。現に電子商取引、投資円滑化などのテーマではそうした方式で交渉されており、日本は電子商取引の交渉を主導している。

上級委員会委員の任命問題と事務局長の後任問題は米国の意向次第という面が強く、日本にできることは限られる。だが米バイデン政権に対し、前政権からの方針を見直すよう働きかけることは検討されてよい。

WTOの機能不全は根が深い。主要先進国の意向が交渉の成否を左右した関税貿易一般協定(GATT)の時代と異なり、WTOでは途上国、特にブラジル、インド、中国など新興国の意向が強く働く。結果的に先進国はドーハ・ラウンドへの期待水準を低下させ、広域FTAに通商政策の軸足を移した経緯がある。

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RCEPの交渉妥結で広域FTA交渉の局面は一応完結した。日本はTPP11、日EUのEPAとRCEPの3つの広域FTAを締結し、この局面の主役を演じた。新局面の日本の通商政策の課題を3つ挙げたい。

第1に米国のTPP復帰を働きかけることだ。労働と環境に関するTPPの規定は、大統領貿易促進権限(TPA)に沿った内容であり、バイデン氏が通商交渉の条件として挙げた内容をクリアする。米国がTPPに復帰する障害はないはずだ。日米貿易協定で積み残した関税交渉やルール交渉も米国がTPPに復帰すれば無用となる。日本はこうした利点を米国に伝え、翻意を粘り強く促すべきだ。

第2に米国の復帰後にはTPP拡大を目指すべきだ。TPPは新時代の貿易・投資の基盤になる。中国以外にも韓国、タイ、英国などが加入の意向を示している。貿易自由化の面でもルールの面でも、これらの国を迎え入れるメリットは大きい。RCEPから抜けたインドをTPPに招くことも検討に値する。

第3にWTOの機能回復だ。大半の国が参加し最恵国待遇原則に基づき貿易自由化を進めるWTOの存在理由は、広域FTAが締結された今日でも衰えない。電子商取引など、WTOが発足した1995年には存在しなかった貿易形態が盛んになり、WTOでルールを設ける必要性が高まっている。有志国でルールを策定し、交渉妥結後は開放して他の加盟国の加入を求めるのが現実的な方策だ。日本がこの動きを主導していることは特筆に値する。

2021年1月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2021年2月12日掲載

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