まずは最適現預金水準を設定せよ

中神 康議
コンサルティングフェロー

「企業は現預金を投資に回せ」という論調が優勢だ。だがその議論は、1つの問いを抜きに成立しない。「一体、わが社の最適現預金水準はいかほどか」。この定義なしに「余剰資金は投資しろ」と迫れば、経営は当惑する。

リーマン・ショック時、私は運用業経営者として運用資産が一気に5分の1となる危機を経験した。内部留保がなければ乗り切れなかった。「危機に備えた現金は必要だ」という経営者の実感には共感する。

しかし、「危機があるからためておく」では思考停止だ。現預金水準は、定常的資金と突発的資金に分ける。定常的資金とはいわゆる運転資金で常識的な水準に収まる。議論になるのは突発的資金だ。これは「危機」対応資金と「投資」対応資金に分ける。

「危機」対応について、ある規律を紹介しよう。その経営者は「人件費の2年分は持たせてほしい」と言った。危機に遭っても人材を守り、立て直すためだ。「2年あれば再生できる。2年たってもできないなら経営者失格だ」と。自らの経営能力と現預金をてんびんにかける、その覚悟に頭が下がった。

次に「投資」対応だ。経営には大型投資で先手を打つべき局面がある。ただしその資金も、危機対応の枠内に収まるはずだ。「2年分」超の突発的投資には相当な懐疑心が必要だ。

バフェットの師であるグレアムは「経営者は、株主が認めさえすれば必要以上の資金をもって経営にあたる」と喝破した。現代の株式市場では、その「必要以上」が強圧的株主還元要求の標的となる。監督にあたる取締役会は、定常・危機・投資の各枠を算定し毎年見直すべきだし、超過分は成長投資・負債圧縮・還元の順序を示して配分する。最適現預金水準の設定こそが攻めと守りの始点であり要だ。

2026年4月10日 日本経済新聞(夕刊)「十字路」に掲載

2026年4月21日掲載

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