構想は地域大、行動は2国間 東アジア「FTA競争」の行方

宗像 直子
RIETI上席研究員

今月4日に、カンボジアのプノンペンで第8回東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議、第6回ASEAN日中韓(ASEANプラス3)首脳会議、ASEANと日中韓各(ASEANプラス1)との首脳会議、日中韓首脳会議など東アジア首脳間の一連の会議が開催され、そこで、東アジア経済統合にかかわる進展が幾つかあった。

第1は、中国とASEANとの自由貿易協定(FTA)交渉の本格化だ。両者は昨年11月の首脳会議で、10年間でFTA交渉を完了させる旨合意していたが、今回はこれを一歩進め、交渉の枠組を定める中・ASEAN包括的経済協力枠組み協定が署名された。

第2は、日本とASEANとの包括的経済連携構想の進展だ。首脳の共同宣言によると、10年以内のできるだけ早期の連携措置(FTAを含む)の実施完了が目指され、高級実務者の委員会がその枠組みの案を来年の首脳会議に提出する。

第3は、東アジアFTA構想の認知だ。昨年11月の東アジアビジョングループ報告書の提案を検討していた東アジアスタディグループの報告もまとまり、東アジアFTAについて経済閣僚が検討することが正式に合意された。

第4に、日中韓首脳会議で、朱鎔基中国首相が日中韓FTAのフィージビリティースタディーを提案した。しかし小泉純一郎首相は中国とのFTAは中長期的課題と考えているとし、それ以上の進展はなかった。

他方、域外国の米国は、カンボジアでの一連の首脳会談に先立ち、10月26日にメキシコのロスカボスにおけるアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の際に開催された米ASEAN首脳会議で、ASEAN諸国とのFTA締結推進の意向と手順を示す「ASEAN行動計画(Enterprise for ASEAN Initiative)」を発表。アジア通貨危機前までFTA空白地帯であった北東アジアで、今や、各国とASEAN(ないしその加盟国)とのFTA締結が同時並行的に進められている。

また、12年前のマハティール・マレイシア首相の東アジア経済協議体(EAEC)構想に米国が強く反発した後、東アジア地域構想は一種のタブーだったが、通貨危機後にASEANプラス3首脳会議が開催され、今や東アジア・コミュニティが語られ、東アジアFTAが検討されるまでになった。

しかし、域内両大国である日中を直接結ぶFTAの議論は盛り上がらない。構想は地域大で語られるが、行動はあくまで二国間(ないしASEANプラス1)という状況だ。東アジアには、実態としての経済統合が進展し、求心力が高まる一方で、遠心力も根強いのだ。

その中で、北東アジアにおいて韓国とともに先陣を切ってFTAの検討を開始し、シンガポールとの協定締結も果たした日本は、ASEANをめぐる「FTA競争」において、中国の後塵を排し、さらには「高水準のFTA」を強調する米国の参入を受けて、存在感がない、という批判も強い。日本は、東アジアの経済統合において、どのような役割を果たすことができるのであろうか。まず、「FTA競争」の当事者たちの事情を概観する。

自信深める中国

中国は、1989年創設のAPECに91年から遅れて参加、「アジア通貨基金」構想に反対するなど、97年ごろまでは地域協力に消極的だった。しかし、米中関係が緊張した99年夏ごろから、中国は「多極化戦略」の一環として近隣諸国との関係強化に力を入れ始めた。また、世界貿易機関(WTO)加盟交渉中の中国は、98年以降のアジア二国間FTAの活発化を苦々しく見ており、自ら参画する必要性を感じていた。そして、域内に根強い「中国脅威論」を払拭するうえで、中国市場への特別のアクセスを認めるFTAが有効だと認識するようになった。

こうして、中国は、WTO加盟の目途がつくや、2000年11月にASEANとのFTAの研究を提案した。早期の関税引き下げによる農産物輸入拡大の展望を示してASEAN諸国を説得し、翌2001年には10年以内の交渉完了合意にこぎつけるなど、急ピッチでASEANとのFTA交渉を準備してきた。

さらに、アジア諸国を束ねることによって欧米に対抗できる勢力となることを目指す中国は、東アジア全体の地域統合にも積極的だ。しかし、その足元は磐石ではない。

まず、中国はWTO加盟後、日が浅く、ルール実施のために、広い国土で抜本的な制度とその運用の変革が行われている最中だ。また、中国は、競争力の低い国有企業を抱え、日本に対しては直ちに製造業の関税撤廃をする用意がない。中・ASEANのFTA研究に携わった中国政府関係者は、「ASEANに対しては競争に勝つ自信があるからFTAを提案できたが、日本とはそうはいかない」と率直に述べている。

その日本が、大胆な貿易自由化に動けないことから、中国は、安心して日中韓FTAや東アジアFTAを呼びかけられるという状況にある。そして、中国には、日本が国内経済を再生し、農業保護から脱却できる日が仮に来たとしても、そのときには中国の競争力は今よりずっと強くなっている、という自信があるようだ。

ASEANのジレンマ、米国の回帰

90年代半ばまで東アジアの地域協力に構想力を発揮してきたASEANは、通貨危機を契機にその求心力が低下。かねてよりASEAN域内経済統合の遅れに不満だったシンガポールは、ニュージーランド、そして日本とのFTA交渉を単独で行うようになった。シンガポールの単独行動は、他のASEAN諸国を刺激し、タイやフィリピンも域外国に二国間FTA締結を働き掛けるようになった。日・シンガポール経済連携協定の進展は中国も刺激した。

中国はASEANとのFTAに熱心になり、ASEANは中国の影響力とのバランス上、日本、インド、米国とのFTAにも期待している。シンガポールのジョージ・ヨー貿易産業相は、9月にブルネイで開催された日・ASEAN経済閣僚会議後の記者会見で、「中国とのFTAが10年でできるなら、日本とはもっと短くできる。」と述べ、日本の対応の加速を促している。

しかし皮肉なことに、ASEAN(各国あるいは全体)と域外国とのFTAが活発化する一方、ASEAN域内統合は必ずしも順調ではない。マレイシアの自動車やフィリピンの石油化学等の関税撤廃が困難である上、各国の基準の違いや非効率な税関手続きにより域内の取引コストがなお高い。このまま域外国とのFTAが進めば、ASEANは国家連合としての交渉力を失うおそれもある。

東アジア地域協力の枠組は、米国の対アジア政策関心の消長により、大きく左右されてきた。米国は、日本の経済パワーを懸念した80年代末から90年代初頭には、EAEC構想に猛反発し、APECの枠組を強化してアジアの貿易自由化推進の道具として活用しようとした。その半面、米国は、94年に北米自由貿易協定(NAFTA)を発効させ、米州自由貿易協定構想を打ち出し、APECメンバーに米州とそれ以外の非対称性を意識させた。

アジア通貨危機の際には、国際通貨基金(IMF)の伝統的緊縮政策が経済危機を深め、米国が中南米向けとは異なり二国間支援に消極的だったことが、アジア諸国の間にいわゆる「ワシントン・コンセンサス」に対する反発を生んだ。APECでは、米国は自らの関心事項である早期自主的分野別自由化(EVSL)に固執し、通貨危機への対応は議論されず、危機に翻弄される国々のAPECへの関心が決定的に低下。同時に、経済危機はアジア市場の魅力を減じ、米国の対アジア関心も退潮した。その中で、ASEANプラス3がEAECとは異なり、米国の大きな反対もないまま初の首脳会議を開催し、そして米国は中国のWTO加盟交渉に政策関心を集中した。

しかし、その中国WTO加盟交渉の妥結後、米国もまた、アジアの二国間FTAの進展にくさびを打とうとするようになった。2001年秋、クリントン政権の残りもあとわずかという時に突然合意した米シンガポールFTA交渉開始がその端緒だ。さらに、その後の中国の積極化を受けて、ASEAN行動計画が発表された。

「太平洋国家」米国には、東アジアへの関心を常時、域内各国と同等に維持するだけの政策資源を持たない半面、東アジアの経済統合が米国抜きのまま制度化していくことを牽制したい衝動がある。

今後は競争的、重層的に展開

このように、中国とASEANは、中国のWTO適応、ASEAN域内統合といった課題を抱え、また、中国の影響力拡大に対するASEANの懸念もあり、どこまで内実の伴ったFTAができるかよく見極める必要がある。ただし、日本は、最速の進捗を想定して、対ASEAN政策を立案すべきだ。また、米国も、地政学的考慮から順次FTAを締結していくだろう。

東アジアには求心力と遠心力の双方が働いており、今後も一気に東アジア諸国を束ねた統合が進むのではなく、二国間FTA等がアジア域内外で同時並行的に締結されるだろう。そして、二国間、地域、グローバルの各レベルが相互に影響し合うという、競争的、重層的な協力のパターンが続くだろう。東アジア協力の単位としてはASEANプラス3の枠組みが定着しつつあるが、そのメンバーが拡大する可能性もあろうし、それが柔軟に拡大しなければ他のフォーラムが浮上する可能性もある。

日本はわが道を走れ

既述のとおり、東アジア経済統合における日本の対応の遅さを批判する声は強い。日本はどうすべきか。

確かに日本は、長引く国内経済停滞に加え、保護主義的勢力の抵抗によって大胆な貿易自由化に動けずにいる。しかし、よく見ると、日本は、一歩一歩着実にFTA交渉を進めている。まず、農産品の輸出が殆どないシンガポールから始め、次に、農産品が対日輸出の2割を占める一方、NAFTAやEUとのFTAにより日本の輸出が受ける関税差別が大きく、FTAの利益が明確なメキシコと交渉を開始し、その次には経済発展段階が高く地政学的利益の明確な韓国との交渉開始を目指す、というように、相手国を慎重に選んで、成功の確率を高める工夫をしている。

比較的実現可能性の高い改革の成功体験は、より困難な改革への道を開く。日本は、着実な取り組みを重ね、アジア経済統合に向けた議論を成熟させていく必要がある。「FTA競争」に不用意に参画し、着実な努力をくじくことは賢明でない。そして、交渉の決断をしたFTAの1つ1つにおいて、相手国を特定した集中的検討により、将来他国にも採用されるような優れたルールを作ることに努力を傾注すべきだ。それは、今直ちにアジアの多数の国々と一挙にFTA交渉に入れない日本が、少しでも将来の交渉力を高めるうえでも重要だ。

また、そもそも、FTAは自己目的化されるべきでなく、あくまで手段だ。発展段階の低い国には、当面は、自由化を迫るFTAより、特恵関税と開発援助の組み合わせの方が発展の近道かもしれない。競うべきはFTAの締結速度ではなく、相手国との経済関係を緊密にし、政治資源も蓄積するうえで、効果的な政策(FTAに限らず)の中身だ。日本は中国と同じ次元の競争をしているわけではない。ただ、FTAという形はとらなくても、域内先進国たる日本の、非効率セクターも含めた市場開放が求められることに変わりない。

そして、日本もゆっくりしてはいられない。それは、中国との「FTA競争」を強調し日本を促すASEANの期待への配慮もさることながら、中国をはじめとするアジア諸国経済が発展し、日本との競合分野が増えていく中で、日本自身が経済構造を高度化し、活力を取り戻すために残された時間があまりないからだ。

他方、日本の急務は国内経済の建て直しであって、FTAなどにうつつを抜かしている場合ではない、という議論もある。確かに、日本経済が強くなければ、対外交渉力も保護主義を克服する力も弱まる。しかし、人口が高齢化し、内需の高成長を期待できない日本の将来は、発展するアジアの新たな機会をいかに享受できるかに左右される。日本は、競争力ある日本企業が活動しやすいよう海外の事業環境の改善を求めると同時に、非効率セクターに競争を導入して生産性を高め、海外の人材や資本を惹きつける魅力ある事業環境を作り出し、国内のイノベーションを活発にしなければならない。アジアとの経済統合は、日本の経済構造改革の一環であり、金融セクターやマクロ経済の対策と同時に進めていかなければならない。

なお、中国とのFTAについては、農業等の自由化困難のためできないとの議論があるが、WTO上もある程度の除外は許容されており、交渉で解決可能だ。むしろ、両国国民が経済・政治関係強化を歓迎する機運が高まるような環境づくりこそが必要だ。日本がアジア諸国との経済連携に取り組む過程で、早期に改革への政治的機運が高まり、アジアの繁栄と安定に対し、より整合的な役割を果たすことができるように変わっていくことを期待したい。

2002年11月29日発行 『時事トップ・コンフィデンシャル』に掲載

2002年12月5日掲載

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