はじめに
日本は2002年にシンガポールと経済連携協定(Economic Partnership Agreements, EPA)を締結したのを皮切りに、2004年にはメキシコとEPAを締結し、同年末にはフィリピンとのEPA交渉も大筋妥結した。さらに現在、タイ、マレーシア、韓国とも交沙中で、本年4月からはASEAN全体との交渉も始まった。将来のEPA交渉を念頭において政府間で準備を始めている国も、インドネシア、チリ、オーストラリアに及び、またスイス、インド、中国等も将来の有力な候補国に挙げられている。WTO協定を基本とする従来の日本の通商政策も様変わりの観を呈している。
EPAは日本の通商政策上、どのように位置づけられるのか。具体的には、(1)日本の通商政策を根本的に変えるものか、また(2)最近広く喧伝される「東アジア共同体」に連なるものかを検討したい。本題に入る前に、現在までのEPAをめぐる動きを簡単に見ておくことにしたい。
一、EPAをめぐる現在までの動き
1 世界の動き
日本がEPAに対して積極的な姿勢を示している背景には、「自由貿易協定(Free Trade Agreement,FTA)」が世界中で活発に結ばれているという状況がある。後述するように、EPAは世界的に「自由貿易協定」と呼ばれている協定と同じ性格のものである(EPAとFTAの関係については二3参照)。
西ヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦直後の1950年代に、「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」(その後ヨーロッパ共同体(EC)に改称。現在ではECを含めて「ヨーロッパ連合(EU)」と呼ばれることが多い)の名称で関税同盟を結成した(「関税同盟については三2参照)。これは、フランス、西ドイツを中心としたもので、域内貿易の自由化と域外共通関税制度を創設し、加盟国間に特恵的な貿易関係を設定した。さらにECは、近隣諸国や旧植民地諸国と、自由貿易地域乃至それに準ずる特恵関係を設定していった(「自由貿易地域」については二2参照)。
他方、米国は長く、GATTに依って無差別主義を奉じ、自由貿易地域を設定するための自由貿易協定は、きわめて例外的にイスラエルと結ぶにとどまった。しかし、1989年に、カナダとFTAを結んでから政策が修正され、1994年にはいくつもの障害を乗り越えて、メキシコを加えたNAFTAの締結に成功した。そして1995年には、2005年1月を交渉期限として、キューバを除く全米州諸国と「全米自由貿易協定(FTAA)」交渉を開始した(ただし、現在交渉は頓挫しており、当初の期限までに交渉は妥結していない)。
2 日本の動き
(1)シンガポールとのEPA締結まで
日本は長くWTO/GATTを軸とする多角的貿易体制に完全に依拠して、関税同盟や自由貿易地域等の特恵的な貿易関係の設定には厳しい態度をとってきた。しかし、1990年代には、日米欧の世界の三大経済圏のうちのヨーロッパのみならず、米州まで特恵的な関係を設定してブロック化の動きを見せた。この中で、1997年にアジアで金融危機が勃発し、翌98年に、危機に巻き込まれた韓国から、わが国に対して自由貿易協定締結の提案が持ち込まれた。日本政府は、この動きを正面から受け止め、将来の自由貿易協定締結を視野に入れて、韓国との投資協定の交渉を始めた。日本政府が初めて自由貿易協定締結に前向きの姿勢を取ることを内外に示したのである。
その後は各国から日本政府に対してFTA締結の申し出が相次いだが、1999年12月に新ラウンドの開始に失敗したWTOシアトル閣僚会議の直後に、シンガポールと自由貿易協定交渉の準備に着手することを電撃的に発表した。
日本政府がシンガポールをFTAの最初の相手国に選んだのは、シンガポールが農業国ではないために日本に対して農産品の自由化を要求しないためであった。さらに、シンガポールはもともと原則として輸入関税を課さない自由港であったために、貿易面での日本側の要求はきわめて限られたものにならざるをえなかった。そのため締結まで短期間しかかからず、予定通り2002年2月に協定に署名された。
シンガポールとのEPAの経済効果は皆無だと評価されているが(*1)、とどのつまりは、日本・シンガポールEPAの使命は日本がFTAを結べることを内外に示すことにあった。
(2)EPAの2つの動機
シンガポールとのEPA交渉が妥結する頃には、単に通商政策の選択肢を増やすということ以上に、わが国に二方向のEPA締結の動機があることが明確になってきた。1つは、わが国の対東アジア外交のツールとしての役割であり、もう一方は、他国とFTAを結んでいる国において日本企業が蒙る不利益を是正する役割であった(*2)。
日本がシンガポールとのFTA交渉を開始した直後の2001年に中国は、アセアン諸国と10年内にFTAを結ぶことを提唱して早々とアセアン諸国と合意に達し(同年10月の「中国アセアン包括経済協力枠組み協定」)、同時に一部物品の早期貿易自由化を行った。この中国の動きは、従来政府開発援助(ODA)や日本企業の投資等を通じて日本と関係の深かったアセアン諸国に対して、中国が関係強化に乗り出したことを意味する。日本政府は中国の動きに対応して、シンガポールとのEPA署名の翌日に小泉首相が「日・アセアン包括的経済連携構想」を提唱し、続いてタイ、マレーシア、フィリピン、韓国、そしてアセアン全体とのEPAの準備を急ぎ開始した。EPAを、東アジア、とくに対アセアン外交の軸に据えるという動機は、日本のEPA政策を強力に推し進める導因となった。
EPA締結への第二の動きは、メキシコに関して現れた。メキシコは1994年にNAFTAを締結したが、その後はEUをはじめ30あまりの国・地域とFTAを結んだ。その結果、米国やEU諸国のようにFTAを結んでいる国からの輸入品には関税がかからないのに、FTAを結んでいない日本からの輸入品には関税がかかり、またメキシコ国内での政府調達への参加に関しても、日本企業が米国やEUの企業と差別されるなどという事態が起こり、日本がメキシコとFTAを結んでいないことが日本企業に実害が発生させた。この事態に対応するために、日本政府はシンガポールの次のEPA交渉相手としてメキシコを選んだ。
メキシコとの交渉は予定よりも若干遅れたが、2004年3月には大筋合意に達した。このEPAは日本のメキシコからの輸入について、86パーセントの関税撤廃しか行わないなど物品貿易の自由化の程度は低かったが、他方、政府調達や投資自由化については大きな成果を挙げた。このような成果を挙げたのは、NAFTA並の自由化達成が目指されたためである。言い換えると米国がメキシコに対して相当深い自由化を達成したことが日本とメキシコのEPAに直接的に反映した。現在検討されているチリとのEPA交渉はメキシコとのEPAと同種のものである。
二、EPAとは何か
1 EPAの定義
日本政府は、EPAに積極的な姿勢を見せる前から、WTO協定以外に、二国間および多数国間で通商関係の条約を締結してきた。2国間のものとしては、通商航海条約や投資保護協定、また多数国間のものとしては、投資紛争解決センター(ICSID)条約が著名である。
WTO協定以外に通商政策に関わる条約が結ばれてきたにもかかわらず、「経済連携協定(EPA)」の締結が注目をされるのは、EPAにはWTO協定と原理的に相容れない要素を有しているためである。具体的には、EPAが物品貿易に関して設定する「自由貿易地域(Free Trade Area)」、またサービス貿易に関して設定する「経済統合」が、EPA構成国間に特恵的な関係を設定するものであり、WTO協定の奉ずる無差別性と原理的に矛盾すると考えられるからである。
2 自由貿易地域(GATT)・地域統合(GATS)
自由貿易地域とは、相互に自国産品の関税を撤廃する制度のことである。この制度は、各国産品を無差別に扱うという、WTO協定の基本原則である「最恵国待遇原則」に反する。そのために、自由貿易地域を設定するためには、WTO協定上の条件、たとえば「実質上すべての貿易について関税を撤廃する」等の条件を満たさなければならない(GATT24条)。しかし、WTO協定上の要件を満たせば認められるとはいっても、それらの条件を満たせばWTO協定上の基本原則である最恵国待遇原則と原理的に衝突しなくなるというわけではない。むしろ、この条件は、その厳しさによって、自由貿易地域の設定を困難にして、WTO協定の最恵国原則が実質上骨抜きにならないようにするためのものでしかなく、もし多くの国が条件の厳しさにもかかわらず自由貿易地域を設定すると、「最恵国待遇原則」が実質的に骨抜きになることは避けられない。ECでは、WTO上無差別に適用することを約束している関税率を適用している国は9カ国しかなく、それ以外の国には関税は撤廃されているか、特恵関税を適用しているかのいずれかだといわれるが(*3)、これはWTO協定上の無差別性が骨抜きにされている典型例である。「サービス貿易一般協定(GATS)」が許容する、サービス貿易についての「地域統合」(GATS6条)も、GATSの基本原則である「最恵国待遇原則」すなわち無差別性と矛盾する要素をもつのである。
自由貿易地域がWTO協定の基本原則である最恵国待遇原則と原理的に衝突するものであるために、従来、日本政府は、無差別な貿易体制を堅持するとの基本政策から、自国が自由貿易地域や関税同盟を設定しないだけではなく、他国の自由貿易地域や関税同盟の設定についても厳しい姿勢を見せてきた(*4)。
わが国が自由貿易地域設定を含むEPAを結ぶということは、自由貿易地域およびWTO協定上の無差別主義に関する、わが国の基本的な政策が転換することを意味すると受け取ることができるために、内外の注目を集めた。それでは、日本の通商政策は完全に転換し、無差別主義から、特恵を基本とする差別主義に転換したのだろうか。
3 EPAの構成要素
EPAが他の通商協定と違って大きな注目を集めるのは、わが国の基本的な通商政策の在り方に関わるからであり、EPAが通称FTAと総称されるのも、自由貿易地域の設定のもつ意味の大きさを示している。
しかし、EPAは、このような貿易面における差別主義的要素の導入にとどまるものではない。わが国政府が、しばしばEPAは単なるFTAではないというのは、この点を強調するためである(ただし、たとえば米国シンガポールFTAのように米国の結ぶFTAは日本のEPA並乃至それより広範な内容を含んでおり、FTAといえば物品貿易に対象が限定されているわけではない)。
(1)非WTO事項
貿易以外の、EPAの構成要素としては、知的財産権、投資、政府調達、競争政策、中小企業協力等に関する規定がある。投資、競争政策、中小企業協力等は、WTO協定に含まれていない事項であり、貿易のような原理的な問題を引き起こすものではない。当事国がEPA内に入れたいと考えれば、当事国の意思いかんでどのような関係を設定することもできる。また自由貿易地域の設定と必然的に結びつくものではないが、EPAによって幅広い経済関係の再定義を行いたいと考えることが多いために、EPA中に、これらの非WTO事項が入れられることが多い。また投資関係規定のなかで重要な位置を占める投資自由化には、途上国の抵抗が強く、日本の市場開放との交換ではないと、なかなか相手国が約束しないという事情がある。
(2)知的財産権・政府調達
知的財産権や政府調達は、ともにWTO協定に含まれているが、前述の物品貿易やサービス貿易とは違う性質をもつ。WTOで知的財産権の保護を義務づけるTRIPSは、物品貿易やサービス貿易とは違って、特恵的な関係の設定をほとんど認めていない。そのために、二国間で義務を負ったとしても、その制度は第三国にも開放しなければならない。もちろん、TRIPSの対象になっていない知的財産権の尊重を当事国間で約束すれば、それは当事国間以外には適用しなくてよい。その権利はTRIPS上は、何もふれられていないのであるから、TRIPS協定との間に問題を生む余地はなく、先のWTO協定外の事項と同じように捉えればよいだけだからである。
他方、政府調達は、WTO協定上は、すべての国が加わらなければならない「多数国間協定」ではなく、WTO加盟国が選択的に加わることのできる「複数国間協定」であり、実際にも先進28カ国が加わっているにすぎない。したがって、EPA内に政府調達規定を挿入して、WTO政府調達協定未加盟国がEPAの相手国だけに政府調達を開放することもWTO協定上は可能である。政府調達についてもWTO協定との関係で原理的な問題はない。
4 日本のEPAの特色
(1)一般的特色
日本は、シンガポール、メキシコとのEPAの後に、フィリピンとのEPAも大筋でまとまり、日本のEPAの特質、とくにアセアン諸国を含む東アジア諸国とのEPAの特色が浮かび上がってきた。
日本がEPA交渉を始めた頃は、EPA締結を進めればWTOは不要になるという類の議論まで聞かれた。日本が締結するEPAが規定する諸事項の中で、常に重要な意味を付与されるのは物品貿易の関税撤廃である。この部分は構成国間に限って現状を変革するものであり、日本のEPA交渉において、物品貿易の取り扱いが決まればおおむね「大筋合意」といわれるのは、EPAにおける物品貿易の重要性を物語っている。1で論じたように、物品貿易分野では、「実質上すべての貿易」について関税を撤廃することが要求される。多くの論者が指摘するように、日本は高関税によって農産品を幅広く保護し、またメキシコやフィリピンは農産品の輸出先として日本に大きな期待をもっている。関税交渉では、WTO協定上の制約があるだけに、できるだけ高い自由化水準が目指されて一定の成果を挙げている。
それ以外の分野については、一部で自由化が推進されることもあるが、おおむね現状の固定を約束するか、加盟国間の協力・協議のメカニズムが設定されるにとどまる。日本のEPAは、包括的で高水準であるといわれることがある。しかし、実際のEPAは、対象は確かに広範であるが、規制や自由化はそれほど深くはなく、むしろ協力関係の強化が重視されていることに注意する必要がある。
アメリカのFTAは、FTAという名称を使っていても、その対象範囲は、環境や労働基準を常に含み、一般的にはわが国のEPAより包括的である。さらに内容についても、物品貿易以外の分野においても、現状改変的な性格を強くもっている。米国の結ぶFTAと比べると、日本のEPAが達成する自由化の程度は低いというのが偽らざる評価であろう。
(2)原因
EPAの達成する自由化の深度が浅い原因は、1つには、時間的制約のなかでEPA締結を至上命題とする日本の交渉では、自由化の深度よりもEPAを作ること自体に重きが置かれがちな点にある。もう1つの問題は、自由化の要求が、それほど日本の産業界に強くなく、また米国のように自由化を迫るというアプローチが日本外交の基本姿勢と適合的でないことが挙げられる。
日本企業は、現在のタイとのEPA交渉のように、工業品の関税撤廃を強く求めることはあっても、資本自由化や政府調達まできびしく要求するという姿勢ではない。従来から日本企業は、外国の制度を改正させてビジネスを行うよりも、制度に順応してビジネスを進める傾向が強かったが、その姿勢は現在でもあまり変わっていない。このような企業の姿勢に呼応して、日本政府も、東アジア外交は従来から政府開発援助を軸に据えた「協力型」のもので成功してきた。鉄鋼等の関税撤廃要求にタイが抵抗してそれに難渋していることからもわかるように、一朝一夕で米国型の自由化強制スタイルに変われるものではなく、またそのような転換が望ましいとも思われない。
FTAという同じツールを使っても、使い手が日本なのか、それとも米国なのかによって、ツールの意味や効果は当然変わる。日シンガポールEPAと、その後に締結された米シンガポールFTAを比べてみればその差は歴然としている。既述のように、前者は、いわば形だけのものであったが、後者は知的財産権法や競争法の整備をシンガポールに強制する等、高度な自由化を追求するものである(*5)。
三、東アジア共同体とEPA
1 東アジア共同体とは
日本がEPA締結に舵をきった頃は、EPAと対東アジア外交を結びつける論者がいなくはなかったが、EPAを対東アジア外交と密接に結びつけるというコンセンサスはなかった。しかし、2001年の中国の動きを受けて、EPAを対東アジア外交と結びつける、具体的には、EPAによって「東アジアビジネス圈」、引いては「東アジア共同体」の形成に結びつけるというコンセンサスが形成された。政府レベルでは、2003年12月の日・アセアン特別首脳会議で出された「東京宣言」において、「東アジア共同体」の構築が目標として示され、04年7月のアセアン+3において中国・韓国の賛同を得ると同時に、東アジア首脳会議の開催を決めた。「東アジア共同体」の内容は明らかではないが、現在ではきわめて頻繁に用いられる概念になっている。
「東アジア共同体」という場合には、すでに域内貿易の割合がEUレベルにまで達しているという状況(*6)を背景にして、ヨーロッパ共同体を念頭において、「関税同盟-単一通貨」、さらにはヨーロッパ委員会のような強力な事務局の設置を含む、強力な組織化を意味するというのが、1つの有力な理解である。
確かに経済実態における統合―すなわち域内貿易がどの程度になっているか等―が進めばそれを支える制度を進化させざるをえないが、経済実態と組織化の問題は一応分けて考える必要がある。
日本、中国、韓国とアセアン諸国の経済統合が着々と進んでいることは間違いない。しかし、1人当たりの国民所得(GDP)をみると3万2000ドル台の日本から150ドル台のミャンマーまで、経済発展の程度はさまざまであり、両国の差は200倍以上に上る。域内貿易の割合が増加しているのは事実だとしても、構成する各国経済の規模や内容が多様である。また政治体制も、日本のような民主主義的な体制から、中国のような権威主義的な体制まで多種多様で、とても単一の価値を享有しているとはいえない状況である。「束アジア共同体」を検討するうえでこのような状況をどのように考えればよいのだろうか。
2 「東アジア共同体」とEPA
わが国が現在締結しているEPAは、物品貿易における関税撤廃等の自由化を除くと、それ以外の部分の自由化はほとんどなく、せいぜい現状固定の義務づけか、協力・協議関係の設定にとどまっている。つまり、生産の三要素である、物、資本、人のうち、物品の流れが自由化されるにすぎない。
(1)関税同盟への発展可能性
わが国が東アジア諸国との間で設定しようとしている自由貿易地域は関税同盟に発展する要素を含んでいるのだろうか。
関税同盟がFTAと違う点は、構成国間で共通関税を設定して域内の貿易を自由化する点にある。自由貿易地域の場合は、B国と自由貿易地域を結成したA国は、B国とは無関係にC国と自由貿易地域を結成できる。他方、関税同盟の場合は共通関税を設定することから、B国と関税同盟を設定したA国がC国と関税同盟を設定した場合には、AB関税同盟にC国を加盟させるほかはない。このように関税同盟は自由貿易地域より統合の度合いが高く、それに比例して第三国に対して排他的である。また共通関税を設定することは、共通通商政策が前提となる。農業をどのように保護するか、工業をどのように育てるかに合意してはじめて、通商政策を共通にすることが可能になる。
EEC発足時には、農業、工業ともに共通通商政策をとることを大前提にしたうえで、農業に対しては域内共通の補助金を出して農業保護を図ることによって共通通商政策を実現した。このような共通通商政策をわが国と東アジア諸国が樹立することが近い将来に可能だろうか。
わが国のEPA交渉をながめていると、工業製品では日本が相手国に関税撤廃を働きかけて相手国が抵抗し、他方、農産品では、相手国が日本に自由化を要求して日本がそれに抵抗するという図式で進んでいる。日本と多くの東アジア諸国の間には経済構造、引いては経済発展状況に大きな違いがあるために共通通商政策を採るためには、補助金を中心とした国を超えた施策が必要となろう。このような施策が15億を超える人口をもつ中国も含めて可能なのだろうか。
関税同盟を運営するために、ヨーロッパ委員会のような「超国家的」と性格づけられるような強力な組織を創設するためには、各国が追求する基本的価値観が相当程度共通でなければならない。アジアにおける政治体制の違いは、基本的価値観において相当に大きな懸隔があることを示しているのではないだろうか。
(2)統合と組織化
日本を含む東アジア諸国間で関税同盟を設定することが難しいとすれば、EEC/EUというヨーロッパの経験に倣うことはできない。しかし、域内の経済実態における統合が進めば、ヨーロッパのような形で統合が進む以外に途はないのか。経済的な一体化が著しく進んでいる米国・カナダ関係においても関税同盟は設定されず、せいぜい自由貿易地域が設定されているだけである。
「東アジア共同体」をヨーロッパ・モデルで捉える限り、現在の諸国の経済状態や政治社会情勢を前提にすれば、EPAによって、近い将来に「東アジア共同体」が生まれることはないと考えるのが現実的である。他方、経済統合の指標とよく考えられる域内貿易の割合は、EPA網が張りめぐらされれば、今後ますます高まることが予想される。しかし、域内貿易の割合の高まりをもって「共同体」と呼ぶことができるかどうかは、改めて吟味しなければならない問題である。
おわりに
EPAについては、WTO体制との関係においても、また「東アジア共同体」の推進の面においても、強力さがやや誇張されてきた。EPAは、物品貿易分野において、WTO体制と緊張関係に立つが、それは関税面だけであり、その他の物品貿易規制、たとえばダンピング防止措置等の貿易救済措置については、EPAがそれに置き換わるわけではなく、依然としてWTO規律が生き続ける(オーストラリア・ニュージーランドFTAのように一部のFTAにおいて、ダンピング防止制度が構成国間で不適用とされた例はあるが(*7)、それはあくまで例外)。そして物品の貿易以外の分野では、EPAがWTO体制に置き換わることはない。つまり、国際貿易秩序において、EPAはあくまでWTO協定の補完物でしかない。
また東アジア諸国とのEPAと「東アジア共同体」の関係についても、東アジア諸国とEPAさえ結べば、「東アジア共同体」が出現するというものではない。現在の日本のEPA、そして東アジアの経済状況を見る限り、東アジア経済の統合が今後一層高まることは間違いないとしても、EUに匹敵する「東アジア共同体」が近い将来にできると考えるの難しい。世界の三大経済圏の1つであるヨーロッパには、「ヨーロッパ共同体」が存在するが、南北アメリカではせいぜい米州全体を包括する自由貿易地域(FTAA)が設定されるにとどまると予想される。日本を含む東アジア経済圏も、ヨーロッパ型ではなくより柔軟な米州型に向かうと考えるのが適当であろう。
2005年6月号『法律時報』に掲載