TPP交渉の焦点 「世界標準ルール」意識を

小寺 彰
ファカルティフェロー

7月15日から25日まで、マレーシアで環太平洋経済連携協定(TPP)交渉が開かれる。我が国は23日の会合から参加できる。ようやく交渉の最終段階で参加に至ったのである。TPPの交渉戦略を練るにあたっては、TPPがどういう性質の協定なのかをはっきりさせることが、ぜひとも必要であろう。

まずTPPの本質について考えてみよう。TPPは通商条約である。従来は通商条約というと世界貿易機関(WTO)協定や2国間の経済連携協定(EPA)が主なものであった。TPPはEPAではあるが、多数国間で結ばれる「広域EPA」だという点を押さえておく必要がある。

WTO協定は159力国・地域を網羅し、加盟国に通商に関する規則(ルール)を課して、同時に各国の上限関税を決めることなどを通じて外国からの市場アクセスを義務づける。だがWTO協定によるルール定立と市場アクセスの深化は、21世紀に始まったドーハ開発アジェンダ交渉が停滞したために完全にストップした。WTO協定のルールや市場アクセスはWTOが発足した1995年時点で止まったままである。

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経済活動の発展は、新たな国際ルールと市場アクセスの深化を要求する。そこでWTOの停滞を補うために多くの国が21世紀になって取り組んだのが2国間EPAや自由貿易協定(FTA)である。2国間EPAは関税の原則的な撤廃が条件とされるために、2国間では市場アクセスが進展するが、投資ルールなどを除くと、グローバルなルール定立の力は弱い。

他方、広域EPAは2国間EPAと同様に市場アクセスを推し進めるにとどまらず、市場アクセスの推進方法も後述のように2国間EPAとは異なる特色をもち、また多くの国が参加すればするほどルール定立の力が強くなる。このような広域EPAは、現在の国際的な企業活動の実態に適合する。

20世紀においては企業の生産活動が一国内で完結し、そこで製造された最終財が他国に輸出され輸入国で消費または生産財として使われるという形がとられていた。80年代の日米経済摩擦はこのような事業形態を企業がとるなかで起こった。しかし現在では、複数の国に所在する複数の生産拠点から最適の中間財が調達され、中国や、消費地に近い効率的な場所で最終財に組み立てられて消費地に送られるという「サプライチェーン(供給網)」が多く採用されている。その結果、現在では、中間財貿易の割合は、燃料を除くと50%を超えている。

最終財を販売する企業にとっては、いかに効率的なサプライチェーンを構築するかが競争上重要であり、中間財メーカーにとっては、サプライチェーンの一部に組み込まれるような品質の良い中間財を効率よく供給できることが何より大切である。

サプライチェーンの効率化を2国間EPAで図ることは難しい。2国間EPAでは、締結国の1つで、たとえば40%以上の付加価値が付けば関税撤廃の対象となるが、複数の国で生産された中間財で製造した場合、それぞれの国で付加された価値が商品の付加価値の40%に満たないと関税撤廃の対象とならない。しかし広域EPAの場合は、参加国で生産された付加価値を合計して40%を超えれば、関税撤廃の対象とすることが可能である。生産拠点国間の法制調和を図ることもできる。

現在では最終財や中間財を特定国(たとえばシンガポール)に保管し、必要とする国にその都度商品を小分けして配送するという仕組みが広く用いられている。2国間EPAでは輸出国から輸入国に直送する産品が関税撤廃の対象とされるために(直送基準)、このような配送システムでA国からB国にC国経由で送られてもAB両国間のEPAの恩恵は受けられない。3国をカバーする広域EPAであれば何の問題もない。

このようにみると、広域EPAがサプライチェーンの効率化に大きく貢献することが分かる。TPPがカバーするアジア太平洋地域はサプライチェーンが縦横に張りめぐらされており、TPPがサプライチェーンの効率化に大きく寄与することは間違いない。

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TPPでの関税撤廃をめぐって「守り」だ、「攻め」だという声が強い。この意識はある程度必要だが、サプライチェーンの特質に照らすと、自国の関税撤廃阻止を「守り」、また他国の関税撤廃を「攻め」と捉えるだけでは不十分である。自国の関税撤廃は、サプライチェーンを構成する生産拠点の製造コスト引き下げを意味する。中間財の関税撤廃が生産拠点の効率化に貢献し、海外からの投資の誘因になるからである。

多くのグローバル企業を擁し、同時にサプライチェーンを構成する生産拠点が数多く所在する我が国は、グローバル企業が日本に本拠を置いて効率的なサプライチェーンを組織でき、また日本の中間財生産拠点がアジア太平洋に広がるサプライチェーンに組み込まれるようにすることがきわめて重要である。

諸国が日本との関係で関税を撤廃または引き下げ、同時に各生産拠点が効率的に事業活動しやすい環境が得られることは、これらの企業にとって死活的に重要である。TPPを通じて海外の需要を日本に引き込む必要があると言われるが、それはサプライチェーンに代表される企業活動の本拠と生産拠点を多く日本国内にとどめ、さらには増加させることにほかならない。

サプライチェーンの効率化の必要性は各国で強く認識されており、米国もTPPの目的の1つに挙げている。アジアで東アジア包括的地域連携(RCEP)が、そして大西洋では事実上の広域EPAである米欧FTA(TTIP)が構想されているのは、この証しである。

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WTOが本来の機能を果たせていない以上、広域EPA交渉の場で作られるルールが内容の合理性や採用国の多さなどによって事実上グローバル化することも頭に入れておく必要がある。

たとえば、原産地の証明方式について、輸出国の第三者機関が証明する「第三者証明制度」、輸出国から認定を得た輸出者が自ら証明を行える「認定輸出者自己証明制度」、輸入者が証明責任を負う「輸入者自己証明制度」などが存在する。TPPと米欧FTAの双方が同じ方式を採用すれば、それが世界標準になる可能性が高い。

さらにTPPの場合は、現在の12力国から拡大してアジア太平洋経済協力会議(APEC)の参加国・地域全体に拡大することが狙われており、かつ米欧FTAの当事者である米国を含むことを考えると、TPPで採用されるルールが将来グローバルルールに発展する可能性が大きいとみることができよう。TPPで作られるルールが参加12力国をカバーするにとどまると考えるべきではなく、むしろグローバルなルールに発展する可能性があることを認識する必要がある。

この点で日本の位置は重要である。日本は、広域EPAとしてTPP交渉に参加するだけではなく、現在、日中韓、RCEP、日EUのEPAという3つの広域EPA交渉を行っている。広域EPAを通じてグローバルなルール作りに参画するという観点からは、日本は、米国以上にキープレーヤーの位置にいるのだ。我が国は、TPP交渉においては他のEPA交渉を常に念頭に置き、グローバルルールの資格をもつルール作りを目指さなければならない。

我が国がグローバル企業の本拠ないし生産拠点として多くのメリットをもつようにするためにはどのようなルールや市場アクセスの仕組みが必要か。企業はグローバルに競争しているが、国もまた経済を発展させるために、各種のEPA作りを通して他国と切磋琢磨していることを忘れてはならない。

2013年7月11日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年7月18日掲載

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