日本企業による海外進出のための投資、すなわち直接投資が過去最大の規模に達している。財務省が今年5月に発表した「本邦対外資産負債残高」によれば、2014年末時点の直接投資の残高は143兆円にのぼる。これは前年比20%増の水準であり、10年前の39兆円と比べると実に3.7倍の規模になる。
人口減少に伴い国内需要が縮小していく中で、日本企業が諸外国の需要を取り込もうと海外進出を進めるのは自然な流れだろう。その一方で、多くの人は日本企業のグローバル化に関して漠然とした不安を持っているに違いない。本稿では、日本企業のグローバル化の中でも直接投資に注目し、その現状と政策的課題について考察する。
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直接投資に伴う最大の懸念は空洞化の問題だろう。企業が工場を国内から海外へ移転することで、国内の工場を閉鎖し、それが雇用の削減につながる可能性があるためだ。しかし、これまでの多くの研究では、直接投資をした企業が国内にとどまった企業と比べて雇用を削減しているというエビデンス(科学的証拠)は得られていない。
確かに直接投資に伴い、日本国内の工場の統廃合は進んでいるが、それと同時に、事業再編を通じて生産部門から他部門への雇用の再配置も進んでいる。また海外展開の拡大に伴い輸出が拡大していることも、企業が国内の雇用を維持する一因となっている。
ただし、雇用への影響が小さいとしても、直接投資に全く問題がないわけではない。乾友彦・学習院大教授、松浦寿幸・慶大准教授らの研究では、直接投資に伴い生産性の高い工場が閉鎖されており、日本の製造業全体の生産性を引き下げる一因となっていることが指摘されている。
なぜ、生産性の高い工場が閉鎖されているのだろうか。企業が利益を拡大していくためにも、製造業全体の生産性を向上させていくためにも、生産性の高い工場ではなく生産性の低い工場から閉鎖されると考えるのが自然だろう。
この事実を理解するため、思考実験として表のように、2つの企業(A社とB社)がそれぞれ2つの工場を持つ事例を考えてみよう。表の数値は各工場の生産性であり、数値が大きいほど効率が高いことを意味している。
A社の海外進出 | |||
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前 | 後 | ||
A社 | 工場1の生産性 | 30 | 30 |
工場2の生産性 | 24 | 閉鎖 | |
A社の工場平均生産性 | 27 | 30 | |
B社 | 工場3の生産性 | 18 | 18 |
工場4の生産性 | 12 | 12 | |
B社の工場平均生産性 | 15 | 15 | |
全工場の平均生産性 | 21 (=84/4) |
20 (=60/3) |
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(注)各工場の規模は同じと想定 |
いま、A社が自社の中でより生産性の低い工場2を海外へ移転したとしよう。工場2を閉鎖することで、A社の生産性は27から30へ改善する。一方、B社の生産性は15のままで変化はない。しかし、全工場の平均生産性は21から20へ低下している。
閉鎖された工場2はA社の中では最も生産性の低い工場だが、全体でみると2番目に生産性の高い工場であることに注意してほしい。すなわち、A社として最良の選択が、全体としては最良の選択になっていないのである。
一般に、直接投資をする企業は国内にとどまる企業と比べて生産性が高い。その企業の中で生産性の低い工場であっても、日本全体でみれば相対的に生産性の高い工場が閉鎖される結果、全体の生産性の低下につながってしまう。
生産性の低下を防ぐには、国内に残った工場の生産性の伸びが鍵となる。例えば表の事例の場合、直接投資をしたA社の工場1の生産性が3上昇することで、全体の生産性の低下を回避できる。
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こうした懸念があるにもかかわらず、日本企業の海外進出は日本経済全体でみればプラスの効果をもたらしうる。その理由は、海外進出に成功した企業が大きな利益を獲得していることにある。
「通商白書2015年版」によれば、日本企業の海外子会社の経常利益は7兆6000億円にのぼっており、これは日本国内の企業の利益(24兆1000億円)の32%に相当する。さらに海外子会社に蓄積された内部留保残高は28兆7000億円に達している。これは国内にとどまっていては得られなかった利益であり、日本企業の直接投資が進むとしても、海外で得た利益が日本国内に還流すれば、日本全体としてはプラスになるのである。
ただし、日本企業が海外で得た利益が日本国内に十分に還元されなければ、直接投資が日本経済にもたらすプラスの効果は限定的となる。このため、海外に蓄積された巨額の内部留保をいかに日本に還流させるかという点が政策的な課題となってくる。
こうした状況を踏まえ、日本政府は09年、海外から国内への利益還流を促すための税制改正を実施した。長谷川誠・政策研究大学院大助教授と筆者による研究では、この税制改正に一定の効果があったことが確認されている。また、日本と投資先国で定められている、海外子会社で得た利益を親会社に配当する際に課される配当源泉税率の引き下げが、利益還流に有効であることもこの研究で明らかになった。今後租税条約の改正が進めば、日本への利益還流はさらに拡大する可能性がある。
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最後に今後の展望として、環太平洋経済連携協定(TPP)の影響について触れたい。TPPが締結されることで、日本企業の直接投資は今後さらに加速するのだろうか。それとも、日本企業の投資は国内にも向かうのだろうか。結論から言えば、その答えは「はっきりとはわからない」である。TPPには直接投資を促進する効果と抑制する効果が混在しているためだ。
例えば、TPP参加国の外資規制の撤廃には、日本企業の直接投資を促進する効果がある。一方で、関税の撤廃は輸出を容易にするため、関税を回避する目的で進められていた直接投資は縮小方向に向かうだろう。東日本大震災直後、自由貿易協定(FTA)への対応の遅れが企業の立地環境の「六重苦」の1つとして挙げられた。企業にとって輸出先国の関税が負担になっていたとすれば、TPPの締結による関税の低下で、直接投資は縮小することになる。
ただし、FTAが実際にどこまで企業に活用されているのかについては疑問が残る。例えば、日本貿易振興機構アジア経済研究所の早川和伸氏らの研究では、日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の貿易に携わる企業の中で、実際にFTAを活用している企業は3分の1にも満たないことが明らかにされている。その理由としては、企業にとって原産地証明などの手続きが負担になっていることが指摘されている。
TPPが締結されたとしても、それが実際に企業に活用されなければ、本来、日本国内に向かうべき投資も海外に向かってしまうことになる。
このようにTPPには直接投資を促進する効果と抑制する効果が混在している。どちらの効果が強く働くかは個々の企業により様々であり、日本全体としてどちらの効果が大きく表れるかは事前には予測できない。これらの理由から、今後日本企業の直接投資がさらに加速していくかどうかは予断を許さない状況だ。
日本企業が海外の需要を取り込もうとする動きは今後も着実に進むだろう。直接投資とFTAのメリットを最大限に生かすために、企業の利益還流と生産性の伸びを促すような制度設計を期待したい。また、TPPをはじめFTAが締結されても、それが活用されなければ、十分な効果は期待できない。企業がFTAを最大限に活用できるよう環境を整備していくことも、重要な政策課題の1つである。
2015年12月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載