若手研究者の就活と研究環境に関する日米比較

伊藤 公一朗
研究員

最近日本では、若手研究者の研究環境悪化が問題になっている。新聞や雑誌でも「博士号を取得しても就職先が見つからない」「就職後も若手の研究費は削られるばかり」といった記事を頻繁に見かける。また同時に、博士号取得者の海外流出が加速していることも問題になっている。

では、海外での若手研究者の研究環境はどのような状況なのだろうか。本稿では私が身を置く米国の大学における現状を紹介してみたい。ただし、私が知る情報はあくまでも経済学博士号取得者の現状であり、他の分野では状況が異なる可能性があることに留意いただきたい。

まずは、博士号取得者の就職活動のプロセスについて触れてみよう。米国の研究者の就職活動は(少なくとも経済学の場合は)日本の民間就職活動に非常に近い。大学のポジションへ応募する場合、①書類選考、②面接、③大学への訪問(フライ・アウトと呼ばれる)の三ステップを踏んで採用が決まる。

実は米国もコネが重要な社会であり、書類選考から面接にまで進む際には指導教官の推薦が重要になる。しかし、書類選考を通った後は、指導教官のコネは採用には影響しないと考えて良い。私自身もこの数年採用活動に携わっているが、少なくともシカゴ大学では最終的な採用の段階でコネなどの要素は考慮されず、応募者の実力のみが評価される。

最終審査である大学への訪問では、研究発表に加えて、当該学部に所属する教授陣との個別面接が朝食から夕食まで続く。その過程で研究者としての素養や潜在性を多面的に評価される仕組みになっている。通常、一つのポジションに対して数百の候補者からの応募があり、そのうち一〇名から二〇名が面接に呼ばれる。その中から大学訪問へ呼ばれるのは三名ほどで、最終的に一、二名に採用通知が届く。

また、採用通知を複数の大学から受けることは問題とはされない。むしろ、そういった売れっ子の学生については大学間での争奪戦となり、研究費や給与の増額、ティーチング業務の軽減といった点での競争となる。

一方、日本の大学でも公募制が基本となり、昔に比べると公平な競争が進んできている。とはいえ、依然として「出来レース」である公募も多いと聞く。表向きは公募であるものの、既に採用予定者は決まっており、面接や審査は形式的に行われる場合だ。そういった採用方法では、候補者の研究・教育能力よりも指導教官や卒業生のコネが決めてとなることも珍しくない。

また、採用通知を複数の大学から受けることは慣例として好ましくないと考えられている場合が多い。そのため、水面下で大学と採用予定者の交渉が進み、ほぼ内定が決まった段階で公募となるわけだ。このような仕組みで採用活動が行われる利点もないわけではないが、公平な競争を阻害してしまう可能性は高い。

ではなぜ米国の博士号新卒市場は以上のような形態を取れるのか。大きな理由の一つは、潤沢な需要と供給の存在である。供給の面から言えば、米国内のみならず海外(ヨーロッパやアジア)で博士号を取得した学生も米国の就職市場へ参加してくるため、求職者の数は非常に多い。また、需要の面も同様で、世界中の大学が参加し、さらに大学以外にも多くの民間企業や政府機関・国際機関が博士号取得者を狙ってこの就職市場に参加するため、ポジションの数も多い。

さて、以上のような就職活動を経て晴れて大学での助教授職を得た場合、米国の若手研究者はどのような研究環境におかれるのか。経済学の場合、通常は五年から七年ほどのテニュア・トラックと呼ばれる契約になる。この期間は基本的には職を失うことなく研究ができ、最終年度にテニュア(終身雇用)が与えられるか、首になるかの審査が行われる。

米国のテニュア・トラック制度は若手に対して「研究に必要な資源と機会を十分に与える代わり、結果には厳しい判断を下す」制度だと私は考えている。

第一に、テニュア・トラック期間中の若手には大学の事務業務は極力与えない、という規範が存在する。「若手を守るために」熟年の教授陣が率先して事務業務を引き受ける風潮があるのである。

第二に、ティーチング業務も終身雇用を持った教授陣よりも若手の負担が少なくなるよう設計されている場合が多い。

第三に、外部研究費を取得しづらい若手のために、大学内部での若手向けの競争的研究資金が用意されている。こういった環境下で、博士号取り立ての研究者は五年から七年の間、研究に没頭できるわけだ。給与の面でも、公開されている情報を見る限り、経済学の助教授職の平均的初任給は日米で三倍近い開きがある(ただし、日本の場合は福利厚生手当が厚いので純粋に三倍の差とは言えない)。

しかし、テニュア・トラック終了後の終身雇用審査は非常に厳しい。この厳しさは大学のランクによって異なるが、例えば経済学のトップ大学では助教授から終身雇用を得られる人の割合は五人に一人くらい、という場合も珍しくない。つまり、素晴らしい研究環境を提供する代わりに、その間に抜きん出た業績を残せた場合にしか終身雇用を与えない、という仕組みになっているのだ。終身雇用を取れなかった場合、ランクを下げた大学へ行き敗者復活を狙うか、民間企業へ就職するという道がある。

一方、日本の大学の場合、助教授で就職すると自動的に教授まで進める、いわゆる「エスカレーター式」をとっている大学も未だに多い。そういった場合、国際的に認められる質の高い研究をすることよりも、大学の事務業務を積極的にこなすことが評価に繋がることも多く、若手研究者の研究意欲を削ぐ形になっている。

また、任期も一年や三年という場合が多く、腰を据えた研究を行いにくい環境になっている。そして一番の問題は、若手ほど大学の事務業務や重いティーチングを課される場合も多いことだ。これは米国の研究大学では考えられない状況で、「日本の大学に就職すると大学の事務業務に追われて、研究時間があまり取れないのでは」という噂は国際的にも広がっている。

以上までの話を聞くと「そんなこと米国だけで起こっているのでは」と思われる読者も多いかもしれない。事実、一〇年ほど前まではそれが現状であった。しかし、この五年くらいの間に、日本以外のアジアの大学(中国・香港・シンガポール)が米国型の雇用形態を採用し、従来であれば日本の大学に来た可能性のある博士号取得者を積極的に採用している。給与面でも米国の水準に合わせるか、それ以上を払う形になっていて、米国で博士号を取得した学生でも日本を通り越して他のアジアの大学へ就職する学生が増えている。

では、日本と諸外国の間で研究環境について以上のような違いが生じている理由は何か。様々な要因はあるものの、一番の原因は大学が持つ資金力の差だと私は考える。

現在、米国の大学の授業料は年間六〇〇万円近くまで達している(日本の国立大学年間授業料は約五〇万円である)。高額な授業料は大きな社会問題になっているものの、大学の安定的な資金源として機能していることも事実である。

さらに、米国では富豪が大学へ巨額の寄付をするケースが多い。例えば、昨年シカゴ大学経済学部は一個人から約一四〇億円の寄付金を得た。さらに、シンガポールなどの国では国家の推進力としての大学の機能を重視し、大学に巨額のお金を(税金から)投じている。日本の大学は以上三つの資金源が全て不足しているため、若手研究者への潤沢な支援をする資金的な余裕がないのは当然である。

大学運営のあり方や、研究以外の仕事を若手と熟年の教授との間でどのように分担するかなど、大学内のシステム改革で改善できることは沢山ある。しかし、より根本的な資金面の問題は、上記にあげた三つの資金繰りのうち、どれが日本でも現実的なのか(もしくは別の資金繰り策が存在するのか)という議論が必要だ。

国立大学の授業料を上げることが解決策の一つとも言われるが、高等教育の費用が上がることの負の影響も大きい。願わくは、日本でも米国のようにビジネスで成功した富豪が寄付をして研究を支援する形が出てくれば良いのだが、現状では米国に比べるとこういった寄付は非常に少ない。

もし以上の二つが難しい場合は、国民の理解を得た上で税金を投じるしかない。そして、それも無理ならば、研究者の海外流出は止まらず、日本の大学から力を持った研究者がいなくなる現実を受け入れるしかない。果たして、人的資源以外の資源が乏しい日本にとって、そういった方向性は正しい選択と言えるのだろうか。アジアの他大学に大きな差をつけられる前に、若手研究者をいかにしてサポートし育てられる環境を作るか、真剣な議論が始まって良いのではないだろうか。

アステイオン vol.089(2018年11月16日)に掲載

2018年12月27日掲載

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