日本経済が直面している労働人口減少問題を乗り越えて、持続的な成長基盤を作り上げるためには、生産性を上昇させることが不可欠である。生産性の上昇を実現させるためには、より付加価値の高い製品・サービスを生み出すプロダクト・イノベーションや、従来の製品・サービスをより効率的に生産するプロセス・イノベーションの創出が求められる。その前提条件として専門的な技術や知識を習得した高度専門人材の確保とその活用が必要である。
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日本政府は高度人材の供給を増加させるため、1990年代に大学院の学生定員を大幅に増加させた。その結果、博士号取得者数は90年の1万633人から、2005年には1万7396人へと大きく増加し、その後若干減少傾向にはあるものの1万6000人前後で推移している。
このように博士号取得者数は増加したものの、社会での活用は必ずしも進んでいない。文部科学省の「学校基本調査」によると、15年度の理学、工学分野における博士課程修了者のうち就職先が決まった者(非正規を含む)の割合は62%と71%であり、それぞれの分野における修士課程修了者に比べて低い水準にとどまる。また、総務省の「17年科学技術研究調査」によれば、企業は16年度に2万3538人を研究者として新規に採用したが、このうち博士号取得者は僅か904人であった。
文科省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)による「民間企業の研究活動に関する調査報告2012」では、博士号取得者の民間企業での活用が進まない要因として、「企業内での教育・訓練によって能力を高める方が効果的だから」「特定分野の専門的知識を持つが、企業ではすぐには活用できないから」と指摘する企業の割合が高いことが報告されている。
また、日本経済研究センターの1月のリポートでは、企業従業者に占める博士号取得者の割合の上昇がむしろ労働生産性の低下をもたらすという実証分析の結果を報告し、その要因として博土課程における教育のあり方や日本企業が博士号取得者の能力を十分に生かす経営体制、人事制度を確立できていないことが問題であると指摘している。
NISTEPの「第4回全国イノベーション調査」によると、12年度から14年度の3年間に20%の企業がプロダクト・イノベーションまたはプロセス・イノベーションを実現している一方で、77%の企業はそもそもイノベーション活動を実施していない。イノベーションの実現や活動の実施を阻害した最大の要因として挙げられているのが、能力のある従業者の不足であり、内部資金の不足や外部資金の調達の困難さといった資金面の制約は重要な要因として挙げられていない。
一方、当該調査によると博士号取得者を1人でも雇用している企業の割合は、小規模企業(常用雇用者数10人以上49人以下)では3%、中規模企業(同50人以上249人以下)では7%、大規模企業(同250人以上)では17%である。博士号取得者を雇用する企業は少数であるものの、表にみられるように博士号取得者を雇用する企業がプロダクト・イノベーションを実現する確率は、そうでない企業に比して著しく高い。全サンプルで比較すると、博士号取得者を雇用する企業は、そうでない企業と比較して実現確率が25ポイントも高い。
博士号取得者在籍の有無 | ||
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有り | 無し | |
全サンプル | 39.6% (608社) |
14.4% (1万1486社) |
小規模企業 | 31.2% (202社) |
13.4% (7756社) |
中規模企業 | 39.1% (220社) |
15.1% (2796社) |
大規模企業 | 49.5% (186社) |
20.8% (934社) |
(注)上段は実現割合、下段カッコ内は企業数 | ||
(出所)文部科学省科学技術・学術政策研究所「第4回全国イノベーション調査」 |
当該調査の個票を使用して、筆者とNISTEPの池田雄哉氏は博士号取得者の在籍の有無が企業のイノベーションの実現確率に与える影響について分析した。その結果、プロダクト・イノベーションまたはプロセス・イノベーションの実現に影響を与えると考えられる企業の様々な特性(修士課程修了者の割合、企業規模、研究開発集約度など)を考慮に入れて推計すると、博士号取得者が在籍する企業は、在籍しない企業に比べてプロダクト・イノベーションの実現確率が11ポイント高く、プロセス・イノベーションは8ポイント高いことが判明した。
企業規模階級別にプロダクト・イノベーションに関して同様の推計を行うと、小規模企業と中規模企業は博士号取得者が在籍することにより、プロダクト・イノベーションの実現確率が10〜14ポイント増加するものの、大規模企業はその効果が弱いことが判明した。大規模企業の方が、博士号取得者を雇用している企業の割合が高いものの、その活用に必ずしも成功していないことが示唆される。
高度人材の活用と同様にイノベーションを推進するために強く求められるのが、IT(情報技術)化の推進である。近年の研究の多くがIT化の推進が生産性向上の重要な要因であることを指摘しているが、日本企業はITの活用に消極的である。
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電子情報技術産業協会の「ITを活用した経営に対する日米企業の相違分析」(13年)によれば、ITや情報システム投資が「極めて重要」と答えた企業の割合が米国では75%であるのに対し、日本は16%である。ITに最も期待することについて、米国では「製品やサービス開発強化」「ビジネスモデル変革」であるのに対し、日本では「業務効率化」「コスト削減」がトップとなっている。
経済産業省の「企業活動基本調査」から近年の企業のIT投資の動向をみると、06年から08年までは20%弱と限られた割合の企業がIT投資を実施していたが、09年以降は17%以下にまで減少した。
筆者と専修大学の金榮愨教授が経済産業研究所のプロジェクトでIT投資が企業の全要素生産性(TFP)の成長率に与える影響について、企業の様々な特性を考慮に入れて実証分析を行ったところ、製造業ではITハードウエア投資は成長率に影響を与えないが、ITソフトウエア投資は成長率を大きく加速させるとする推計結果が得られた。非製造業ではITハードウエア、ソフトウエアの両者でTFP上昇率を加速させることが判明した。
この結果から、日本ではIT投資をためらっている企業が多いが、IT化の推進に成功した企業ではTFP上昇率の加速化に成功している。
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日本企業ではイノベーションの実現確率を向上させる可能性が大きい高度人材の活用やIT化の推進に遅れがみられる。米スタンフォード大学の二コラス・ブルーム教授らによる一連の研究では、企業の「経営力」がその生産性レベルの重要な決定要因であるとする実証分析の結果を報告している。経営力が充実している企業は、優秀な人材を確保し、その活用に成功していることを見いだしている。
また欧州におけるIT化の遅れおよびTFP上昇率の停滞の原因は市場規制等の「経済環境」によるものか、「経営管理手法」によるものかを検証した結果、IT投資が効果を発揮するには経営管理手法がより重要な役割を果たす可能性が高いことを指摘している。
以上のことからわかるように、高度人材を有効活用するためには、イノベーションを実現できるような経営・人事管理手法の導入に積極的に取り組むことが必要だ。さらには、企業と大学による高度な共同研究や、大学への講師派遣・教材提供を通じた人材育成での協力を進めることによって、企業の求める専門性や能力に合致した高度人材を育成する努力が求められる。
2018年4月23日 日本経済新聞「経済教室」に掲載