1.求められるイノベーションの実現
少子高齢化が進展する日本経済の成長を維持するためには、より付加価値の高い製品・サービスを生み出す「プロダクト・イノベーション」や、従来の製品・サービスをより効率的に生産する「プロセス・イノベーション」の創出が求められる。しかしながら、日本企業はイノベーション活動に消極的である。文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が実施した「全国イノベーション調査2018年調査統計報告」によると、2015年から2017年の3年間に34%の企業がプロダクト・イノベーションまたはビジネス・プロセス・イノベーションを実現している一方で、62%の企業はそもそもイノベーション活動を実施していない。イノベーションの実現や活動の実施を阻害した最大の要因として挙げられているのが「自社内における能力のある人材の不足」であり、内部資金の不足や外部資金の調達の困難さといった資金面の制約は重要な要因として挙げられていない。このことは、流動性の制約がイノベーション活動を阻害しているのではなく、そもそもイノベーション活動が社内の優先事項となっておらず、イノベーション活動に必要な専門的な技術や知識を習得した高度人材の獲得といった企業リソースの配分に不熱心であることを示唆する。
仮に高度な知識を持つ高度人材を博士号所得者として考えると、当該調査では博士号取得者を1人でも雇用している企業の割合は、イノベーション活動を実施していない企業においては、小規模企業で2%、中規模企業で4%、大規模企業で9%と低い割合にとどまる。NISTEPによる「民間企業の研究活動に関する調査報告2012」によると、博士号取得者の民間企業での活用が進まない要因として、「企業内での教育・訓練によって能力を高める方が効果的だから」、「特定分野の専門的知識を持つが、企業ではすぐには活用できないから」と指摘する企業の割合が高いと報告されている。
NISTEPの池田雄哉氏と筆者は、「第 4 回全国イノベーション調査統計報告」を使用して博士号取得者とイノベーションの実現率について研究を行った(池田・乾、2018)。イノベーションの実現には企業のさまざまな特性が影響している可能性もあるので、これらの要因をコントロールして推計したところ、博士号保持者の在籍はプロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーションの実現に正の効果があることを示した。具体的には、博士号保持者が在籍している企業は在籍していない企業に比べて、プロダクト・イノベーション実現確率が 11 ポイント高く、プロセス・イノベーション実現確率については 7-8 ポイント高いことが判明した。
以上のことから分かるように、高度人材を有効活用するためには、イノベーションを実現できるような経営管理・人事管理の手法の導入に積極的に取り組むことが必要だと思われる。同時に、企業と大学による高度な共同研究や、大学への講師派遣・教材提供を通じた人材育成を進めることにより、企業の望む専門性や能力に合致した高度人材を育成する努力も求められる。
2.人材・経営管理の向上がIT活用を促進させる
日本における IT 投資が米国と比較して経済成長や生産性の上昇に大きく寄与していない。特に日本はIT利用産業において顕著にIT投資が遅れている。代表的なIT利用産業である流通業での IT 投資の動向をみると、米国では IT 投資・付加価値比率が 1991年以降急増しているのに対して、日本は1991年以降において、ほぼ横這いで推移している(Fukao et al., 2016)。
それではなぜ、IT利用が進まないのか。これも経営管理・人事管理の手法に問題がある可能性が高い。国際 IT 財団による「IT活用に関する企業研究」(2015年5月)によると、国内企業(615社)を対象にIT活用の実態と効果についてアンケート調査を行ったところ、IT活用上の目下の課題として「IT専門人材が不足している」、「IT部門とのコミュニケーションができる人材が不足している」の2つが最も重要な要因として挙げられたとされている。博士号取得者と同様、IT専門人材の確保・活用に失敗していることが、企業がITの導入に躊躇する原因であると推察される。
深刻な労働不足に直面している状況下で、今後も労働確保が難しいIT化の推進等に生産性の向上が強く求められている。乾ほか(2019)では、介護サービス供給者の中の介護保険施設サービス、中でもその主導的地位にある特別養護老人ホームの経営管理とそのパフォーマンスの関係を検証した。欧米の先行研究においても、経営管理の優れた事業者は労働生産性やサービスの質が高いことを見いだしている(Bender et al., 2018; Bloom et al., 2015)。先行研究をベースにしながら日本の運営実態に即した調査項目に変更(追加や削除)した経営管理・人事管理に関するアンケート調査を、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県に立地する特別養護老人ホーム事業所を対象に実施した。その結果を使用して各老人ホームの経営管理・人事管理の水準を1点から4点の点数化(マネジメント・スコア)を行った。なお、点数が高いほど、経営管理・人事管理の水準が高いことを示す。
このマネジメント・スコアを使用して分析した結果、経営管理・人材管理能力を向上させることが、ITやロボットの導入を促進させると判明した。具体的にはマネジメント・スコアが1点上昇すると、IT導入の確率が20%程度、ロボット導入の確率が15%程度それぞれ上昇するとの結果が得られた。このアンケート調査においても、IT導入の阻害要因となっている原因として、「IT導入のコストが高すぎる」に続いて、「IT機器導入のための知識がある職員が少ない」、「ITを使いこなせる職員がいない」と回答する老人ホームが多かった。このことから、老人ホームのIT化を推進するためには経営管理・人材管理能力の向上をターゲットにした政策を検討する必要があるものと考えられる。