健康や教育への支出は人的資本への重要な投資であり、私たちの生活の質の水準に大きな影響を与える。そこで筆者がリーダーを務める「医療・教育の質の計測とその決定要因」の研究プロジェクトでは、医療や教育サービスの質を計測し、その計測された質の決定要因の分析を行っている。公費や社会保険によって支えられている医療、教育サービスにおいて、(1)資源配分が適切になされているかの検証、(2)資源配分の歪みを是正するための政策、は喫緊の課題である。 医療を例にとると、(1)資源配分が適切であるか、国民生活において、必要性の高い医療が必要な量や質で供給されているか、という問題を的確に捉える必要がある。この検討を行う上で鍵となるのが、その提供されるサービスの質の計測である。高度な医療機器や施設がある、だけでは高い質の医療がある、とは必ずしもいえない。それらが患者にとってアクセス可能な場所に立地し、必要なときに必要な患者が利用でき、ひいてはそれが期待される治療効果をある確率で発揮するということまで含めて質を計測する必要がある。このようなサービスの質の評価に関するエビデンスの積み上げがあって、次の段階の議論となる(2)資源配分の歪みを是正する政策を論じることができる。
また、近年質を考慮に入れた医療や教育産業のGDP推計方法が検討されてきている。アウトプット(付加価値)を、従来の生産過程で投入されたインプットコストの合計金額(賃金、資本コスト、中間投入額)としてではなく、別途独立に推計する必要があるとの議論が高まってきている(Schreyer, 2010)。当該産業におけるアウトプットを直接推計することが可能となれば、生産性の評価が可能となり、他の産業と同様、効率的に生産されているのか、イノベーションの振興や資源配分の改善策等を議論するために必要な政策的なエビデンスを示すことができる。しかし、そのためにはアウトプットの定義を明確にし、その質をどのように推計するかを経済学的に考察する必要がある。単純に患者数や学生数をアウトプットとし医療や教育サービスの質を無視すると、そのアウトプットを使用した生産性の指標はミスリーディングな結果となる恐れがある。
保育サービスの質と子どもの発育への影響
少子化対策や女性の就業機会の拡大のため、今後優先的に整備されることが望まれる保育サービスに関して、保育の質の測定と、測定された質が実際に子供の発育にプラスの影響を与えているかを検証した論文をプロジェクトの成果の一例として紹介したい(藤澤・中室、2017)。
保育の質の把握方法は、教育的な営みとしての保育を把握する観点と、サービスの受け手・利用者の期待・欲求をどれだけ満たしているかの観点から捉えることができる(保育のサービスの直接的な利用者が親であるため、親からみた保育サービスの利便性、たとえば長時間預かりなど)。国際的な保育サービスの質の計測方法は、前者を主体としており、保育環境評価スケール乳児版(Infant and Toddler Environment Rating Scale-Revised; ITERS-R,)が用いられることが多い。これは保育環境を「空間と家具」「個人的な日常のケア」「聞くこと話すこと」「活動」「相互関係」「保育の構造」「保護者と保育者」の7つの側面について数量的に評価するものである。ただ、この指標はアメリカで開発され、日本とは異なる保育観や保育制度に基づく評価であることから、単純にこの評価を日本に適用することは問題があることに留意する必要がある。
藤澤・中室(2017)は、ITERS-Rによって計測された日本の保育環境の質、保育士の質(保育士の資格の有無、教育水準、保育士経験年数)と、乳幼児発達スケール(Kinder Infant Development Scale: 以下KIDSと略記)によって計測された乳幼児の発育状況の相関を検証した。なお、乳幼児発達スケールとは、乳幼児の発育状況について「運動」「操作」「理解(言語)」「表出(言語)」「概念理解」「対子ども(社会性)」「対成人(社会性)」「しつけ」「食事」の9つの領域により評価したものである。
保育環境の質と担当保育士の保育士歴の長さが、子どもの発達に好影響
まず、日本の小規模保育園20園、中規模保育園7園に関して保育の質を調査したところ、小規模保育事業の方が、中規模保育園よりも保育環境の質が良好であることが示唆される結果が得られた。小規模保育園は中規模保育園に比して園児の遊びや運動の場が十分確保されておらず、年齢に合わせたクラスごとの教室が確保されていない点などから一般的に保育環境に不利があることが指摘されている。しかしITERS-Rによって計測すると、この評価の最高点が7点であるのに対して、小規模保育園の平均が4.47、中規模保育園の平均が3.97であり、小規模保育園の評価が高い。
次に保育環境の質の高さと担当保育士の保育士歴の長さは、1歳児学年末における子どもの発育状況にプラスの関連があることが示唆された一方で、保育園の規模や子ども対保育士比率、担当保育士の保育士資格取得に至る学歴は、子どもの発育状況と関連しない可能性が示唆された。今回の報告は小さなサンプルでかつ、ある1年の調査のみのデータに基づくものであり、拙速に政策的な判断をすることは慎まなければならない。しかし、このようなエビデンスに基づき、教育、医療の資源配分の適正化を地道に議論する努力を積み重ねることが必要であろう。