「根拠」に基づく成長戦略を

乾 友彦
ファカルティフェロー

中室 牧子
慶應義塾大学

安倍晋三政権は経済再生と教育再生を成長戦略の要と位置づけている。持続的な経済成長には、グローバル化に対応した産業政策や人材育成を実現する政策手段について、根拠を提示しつつ議論することの重要性は論をまたない。

特に必要なのは、それぞれの政策効果の計測や費用対効果の分析を通じて国民の合理的な判断が可能になるよう情報を十分に提示することである。データや厳密な手法を用いた実証分析に基づく政策運営、すなわち「科学的根拠(エビデンス)に基づく政策(Evidence Based Policy)が求められる。

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グローバル化の推進は生産性の上昇など様々なメリットをもたらす可能性が高いことが指摘されている一方で、企業のグローバル化への対応の遅れから、その利益を十分に享受できずにいる地域が存在している。図は経済産業研究所が賃金と関連の高い労働生産性の地域間格差の要因を分析したものであるが、この格差の主要因は、技術進歩を含む全要素生産性(TFP)の格差であることがわかる。

労働生産性の地域間格差の要因分解
(生産性上位15都府県と下位15県)
図
(注)2008年時点、対数値。徳井丞次・信州大教授らの論文(経済産業研究所ディスカッション・ペーパー)を基に作成

日本では、技術力は高いものの、国際的な事業展開に後れをとっている中小企業が地方に数多く存在しており、このことが地域のTFPの低下につながる場合も多い。このような企業に対する国際展開の支援・推進が重要な政策課題となっている。

こうしたなかで政府は、2011年に中小企業海外展開支援大綱を策定し、中小企業の国際展開に向けた様々な支援を通じて、地域活性化を推進してきている。今後はこうした各政策の効果を測定し、費用対効果のより高い政策への重点化が求められよう。そのためには、厳密な実証分析に基づくエビデンスを示すことが必要となる。

中小企業の国際化の問題点として海外市場に関する情報の不足が指摘されることが多いが、どのようなチャネルでの情報提供が有効であるかについては、あまり議論されてこなかった。そこで筆者らは企業レベルのパネルデータ(同一の対象を継続的に観察し、記録したデータ)である経済産業省の企業活動基本調査を活用し、情報ソースの差が企業の輸出活動の開始や継続へ与える影響を分析した。

その結果、取引金融機関をソースとする情報が、特に中小企業の国際展開で重要な役割を果たしていることが示唆された。これは金融機関が普段の取引関係を通じて、融資先企業のニーズを把握し、それぞれの企業の特性に応じて必要な情報をタイムリーに提供していることを反映しているものと推察される。

前出の大綱は「中小企業が必要な情報をきめ細かく、分かりやすく提供する」ことを政策支援の重点課題に挙げているが、企業と日常的な取引がない政府にとって、こういった情報提供は難しい。

しかし我々の研究が含意するところによると、政府が地域金融機関との連携によって情報提供活動を行うことは、企業の海外進出を後押しすることに有効であるかもしれない。このように、パネルデータを活用し政策を評価することで、その政策の実現可能性を高めるようなエビデンスを示すことが可能になる。

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成長戦略では人材育成の重要性も強調されているが、国家戦略としてどのような投資をすべきかをめぐって、エビデンスに基づく政策的議論が圧倒的に不足している。

そのことを示した顕著な例が少人数学級の見直しにかかわる議論であろう。周知の通り、財務省は11年度から公立小学校で実施してきた1クラス35人の少人数学級について、導入の前後を比較しても、いじめや暴力行為の発生割合に変化がないことから、40人学級に戻すべきだと主張した。それに対し文部科学省は、教員が大変多忙ななかで、きめ細かな指導のためには少人数学級は有効であると反論した。

たしかに財務省が示したような異なる年齢コーホート(世代)の子どもらの単純比較では、少人数学級に効果がないとまでは断じることはできない。それでも教員に限らず労働者の労働時間が長い日本で、教員が多忙であるという理由だけで、少人数学級の効果が定かでないのに制度の維持を正当化するのは難しい。

少人数学級については、米テネシー州でのSTARプロジェクトをはじめ、複数の大規模な社会実験による検証が存在する。これらの結果によると、少人数学級は子どもらの学力を上昇させる因果効果があるものの、決して費用対効果の高い政策とはいえないことが示されている。

ノーベル賞経済学者である米シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授は、1学級あたり5人の生徒を減少させる少人数学級は、高卒労働者の生涯賃金をむしろ減少させるという推計を発表し、「少人数学級は社会的にみて賢い投資とはいえない」と述べている。また、慶応大学の赤林英夫教授らの研究でも、少人数学級の因果効果は小学生の国語にしか観察されず、科目や学年について一様ではなかったことが示されている。

今回の議論では、財務省と文科省はともに信頼できるデータや分析に基づくエビデンスを提示できないままに35人学級が据え置きになるという顛末(てんまつ)となった。日本の教育政策論議は国際的な水準から著しくかけ離れているように思えてならない。

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エビデンスに基づく教育政策が浸透するためには、学校や学力に関する情報を研究者に対して公開し、第三者による外部評価の道筋をつけることが必要だ。

たとえば、学力の代表的なデータである全国学力・学習状況調査は、統計法による統計には分類されておらず、研究者は個票データを分析できない。このようにデータ利用が限られていることは、大きな弊害となっている。今後はどのようにデータを収集し、公開していくかということがエビデンスに基づく教育政策の鍵を握っている。

ライフステージの各段階における個人の教育投資を把握するためのデータとしては、パネルデータが優れている。例えば、政府が収集している統計では他に類をみないパネルデータとして、厚生労働省の21世紀出生児縦断調査があるこれは子どもの誕生から現在までを長期にわたって追跡したもので、蓄積したデータから子どもの教育、健康、貧困などに関する多くの研究が生み出され、政策に有用な知見が蓄積されつつある。

また、海外では政策評価の「ゴールドスタンダード(理想形)」と評されるランダム化比較試験と呼ぶ社会実験が、教育分野でも一般化しつつある。こうした手法を採り入れた政策の因果効果の計測と科学的検証も重要である。

教育には地域差があるため、地域ごとの状況を踏まえた政策対応には、自治体や教育委員会と協力し、データを収集することも欠かせない。筆者らも教育現場の情報通信技術(ICT)化が子どもらの認知・非認知能力に与える影響について、東京都福生市や茨城県古河市・つくば市の教育委員会と連携して、大規模な調査を実施している。

財源が限られている以上、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成にとって最重要な教育への投資であっても、選択と集中が求められる。

ライフステージの各段階の教育で、どんな政策に資源を重点的に配分すれば、国際的に競争力があり、人口の高齢化やグローバル化に対応しうる人材を育成できるのか。エビデンスによってその答えを示し、学校や保護者、納税者への説明責任を果たしていくことが求められている。

2015年2月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年2月25日掲載

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