東日本大震災は、津波や原発事故、電力不足も伴う複合災害で、被災範囲も極めて広い。本稿では、「空間経済学」の視点を交え、経済への影響を分析し復興の姿を考察する。空間経済学とは、多様な人間活動が近接立地して互いに補い合うことで生まれる集積カ(生産性と創造性の向上)に注目し、都市や地域、国際間の空間経済システムのダイナミックな変遷を分析する経済学の新分野である。
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被災者の救助、生活支援や原発対策が最優先されることは論をまたないが、空間経済学の観点からは、被災他の企業活動も注目される。生産活動が復旧しなければ、雇用も所得も回復しないからだ。
東北・北関東は、自動車や電機などの組み立て型メーカーに基幹部品や素材を供給する工場が集積し、先端製造業の心臓部ともいえる一大拠点である。これら部品や素材の供給こそが、日本の製造業のサプライチェーン(部品調達から製品納入までのモノの流れ)を支える源だった。部品・素材供給の停滞で、川下のメーカーの操業が停止・中断し、日本の製造業はかつてない深刻な危機に直面している。
現代の製造業は、膨大な数の企業をつなぐサプライチェーンの密なネットワークで支えられている。図1で自動車を例にとれば、1台につき2万~3万点の部品・素材①を加工。それらは製造機械②が据え付けられた工場に集められて量産され③、国内外に販売される。
なぜ集積するのか、メカニズムを図2で説明しよう。まず(I)わが国で多様な中間財と資本財が供給されていると、(II)量産メーカーはそれにアクセスしやすい国内に立地することで生産性上昇を達成できる。すると(III)より多くの量産メーカーが日本に立地するようになる(前方連関効果)。これが中間財・資本財へのより多量で多様な需要を生み、(IV)規模の経済を実現しつつより多くの特化した中間財・資本財メーカーがアクセスのよい日本に立地する。その結果(I)より多様な中間財・資本財が日本で生産され(後方連関効果)、雪だるま式に集積が進む。
普及技術に基づく量産活動は、市場アクセスや低賃金の労働力を求めて海外に容易に移るが、先端技術型の量産活動は、先述のアクセスの重要性から日本を離れるのが難しい。つまり日本での基幹部品・素材と製造機械産業の集積自体が、日本の先端製造業全体を日本にロックイン(囲い込み)する集積力の源泉となり、このロックイン効果によって日本の製造業の強さが保たれてきた。普及技術に基づく量産活動で比較優位を既に失った日本で、基幹部品・素材産業や製造機械の集積も失われれば、日本の競争力自体が大きく損なわれてしまう。
1990年代の半ばまで、日本の製造業の中心は南関東以西にあった。だが豊富で低廉な労働力と土地、交通インフラ整備によるアクセス改善、東北大学などの教育研究機関の充実、熱心な企業誘致などの理由で、90年代半ばから東北・北関東での先端製造業が着実に伸びてきた。
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既報のとおり、自動車や電機をはじめ日本を代表する製造業の多くが、今でも操業の全面・部分停止に追い込まれている。おのおのの企業が部品や材料の在庫を極力削減すべく、サプライチェーンマネジメントを基に効率性を追求してきた日本企業の姿勢は、残念ながら裏目に出た。
影響は海外にも波及しつつある。世界の製造拠点となっている東アジアの密な生産ネットワークの中でも、多くの先端部品・素材の中心的な供給地は日本である。今の事態が長引けば、こうしたアジアはもとより欧米での生産活動にも大きな支障が出よう。
日本企業の多くは、今回の大震災を機にこうした先端部品の供給元を、中部地方以西に求め、一部は海外シフトも検討している。一方、海外企業の多くは、日本に限定せず、世界的視野での代替調達先を検討し始めている。
阪神大震災のとき、神戸港は壊滅的な打撃を受けた。修復までの2年で、国際ハブとしての機能は釜山や上海、高雄に奪われた。つまり「国際海運ネットワークのハブ」というロックイン効果で、神戸港は過去、国際ハブ港であり得たが、いったんそれを失うと取り戻すのは困難なのだ。
神戸港がたどった運命を避けるべく、日本の先端製造業は被災地での生産活動を一刻も早く回復させる必要がある。回復に手間取り、海外での代替生産が本格化すれば、被災地の工場が復活しても、需要は元に戻らない。日本経済の雇用、ひいては製造業全体の集積力が大きく失われる。
当面、中部地方以西で代替生産する策が考えられるが、実は中部以西の震災リスクも大きい。京都大学の橋本学教授によると、今後30年以内に起きる確率が高いとされる東海、東南海、南海の3つの地震が連鎖すると、マグニチュード9クラスの大地震になる恐れかおる。そうなると、関西以西の太平洋沿岸と瀬戸内海沿岸を大津波が襲うと中央防災会議の報告書は警告する。今後半世紀、東北地方での巨大地震発生の確率は低下した。国家のリスク管理としては、慌てて西にシフトした日本の製造業が総倒れになる愚は避けなければならない。
大企業を中心とした関連工場・企業の復旧支援には限度があり、公的機関や非営利組織(NPO)の助けが欠かせない。緊急融資や債務保証、様々な税・財政支援のほか、被災他の中小金融機関自体の支援も必要である。
一時的にせよ個々の企業の生産や調達が海外にシフトする動きは強制的には止められない。だが日本の先端製造業の競争力の源泉は、基幹部品・素材・製造機械産業と先端メーカーとの相互連関から生まれる集積力、つまり広い意味の「外部経済」に依存する。このため、被災企業への迅速な公的支援は、産業空洞化防止につながり、経済学的にも十分な正当性をもつ。
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福島原発問題を別にしても、復興には10兆円超の予算措置が必要といわれる。一方で財政再建への確実な道筋を内外に示しながら、他方で巨額の財源を確保するには、今回の悲劇を転機に新しい日本を創るのだという真の「復興」への展望を、国民全体で共有すべきだろう。筆者は日本の地域経済社会システムを外的ショックに対しレジリエント(復元力に富んだ)なものにする方向を提案したい。
今回、極度に効率性を重視した日本全体の生産システムのもろさが露呈した。今後も日本各地で大地震が予想されるだけに、こうした生産システムは空間的にリスクを分散するよう見直すべきである。
日本経済の東京一極集中構造も転機かもしれない。首都圏機能の完全マヒによる影響を減らすためにも、地域主権を本格推進し、自律性をもった多様な「地域」が6~7程度できるよう、多極連携型の国土構造へ再構築する必要がある。そのモデルとなるべき、すべきは、今回最も甚大な被害を受けた東北であり、国民挙げた支援が望まれる。戦後最大の危機に、日本が一丸となって果敢に応戦し、新しい日本を創ることが、今回犠牲となった多くの方への最善の供養であると信じたい。
2011年3月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載