Special Report

脱国境・脱中央の実現で創造的復興を-空間経済学の視点から

藤田 昌久
所長・CRO

注:本稿は、筆者の2011年8月31日 日本経済新聞「経済教室」の内容を大幅に加筆修正したものである。

東日本大震災の発生から4カ月半経った7月29日に、政府はようやく復興方針を決定した。事業規模は10年間で23兆円とされる。しかし、肝心の財源確保の問題は先送りされている。野田首相が率いる新政権は、具体的な復興計画の迅速な作成と実行が求められる。本稿では、「空間経済学」の視点から、復興を通じての今後の日本の有り得るべき進路ついて展望する。

1. 東日本大震災を、創造的破壊として未来へ繋ぐ

空間経済学とは、多様な人間活動が近接立地して互いに補い合うことで生まれる集積力(生産性と創造性の向上)に注目し、都市や地域、国際間の空間経済システムのダイナミックな変遷を分析する経済学の新分野である。その基本的な課題は(図1)、個々の生産活動における「規模の経済」と広い意味での「輸送費」の間のトレード・オフを通じて、多様な生産・消費活動が相互に連関しながら、都市・地域・国レベルでさまざまな集積を形成し、一方では分散していくプロセスを経済学的に分析することであった。さらに、今回の大震災は、規模の経済と輸送費の間のトレード・オフのみではなく、個々の企業が特定地点に生産を集中すること、あるいは多様な人間活動が都市ないし地域に集積することと、さまざまな天災・人災に基づく「リスク」とのトレード・オフも、我が国の望ましい空間構造と産業発展の方向を考える上において不可欠な課題であることを突きつけた。

図1:空間経済学の基本的な問題
図1:空間経済学の基本的な問題

東日本大震災は、地震、津波、原発事故、電力供給障害、および大規模なサプライチェーン(素材の部品調達から製品納入までのモノの流れ)の寸断を伴った、歴史上初めての巨大な複合災害であった。しかし、日本は既に今回の大震災の前に、少子化と急速な高齢化、経済成長力の低下、悪化する一方の財政問題、環境・資源・エネルギー問題、社会的格差の広がりと地域の疲弊、国の政治・行政システムの機能不全などの、多くの根本的な課題を抱えて大きく行き詰まっていた。今回の大震災は、これらすべての課題を、さらに先鋭化して日本に突きつけた。従って、大震災の前の状態への単なる復旧ではなく、新しい日本の未来につながる「創造的な復興」を目指すことが望まれる。

今回の大震災からの「創造的な復興」を考える上で、阪神大震災の時の経験が参考となる。神戸港は壊滅的な被災の後、2年2カ月という短期間で全面復旧を成し遂げた。しかし、東アジアにおける国際ハブ港としての機能はその間に釜山や上海に奪われ、神戸港は国際ハブ港としての地位を再び取り戻すことはできなかった。実際、コンテナ貨物取扱量世界ランキングにおいて、神戸港は震災直前の94年において6位であったが、復旧後の98年に17位に、2008年には44位にまで落ちた。これは「国際海運ネットワークのハブ」の持つロックイン効果は、いったんそれを失うと取り戻すことは困難であることとともに、「創造的復興」の難しさも教えている。

被災した神戸港の復旧計画が検討された際、世界貿易の急拡大とともにコンテナ船の大型化が急速に進んでいたことは当然認識されていた。にもかかわらず、水深12mの神戸港の「完全復旧」が選択された。将来を考えて、16mないし18mの水深を持つ神戸港の「創造的復興」を目指すべきであったかもしれない。しかし、そのためには、大型船に備えて埠頭を深くするのみでなく、埠頭を長くするとともに、埠頭と外洋を繋ぐ航路すべての水深と幅を確保する必要があり、完全復旧に比べてはるかに大きな費用と時間が掛かる。さらに、京都大学の藤井聡教授によると、当時も現在も日本の港湾行政は、戦後GHQの指導の下に制定された港湾法に基づいており、その権限は地方自治体(神戸港は神戸市)にある。従って、港湾法の抜本的な改正なしに国家プロジェクトとして神戸港の大型化は不可能であったし、現在も不可能である。

今回の大震災を創造的破壊として、今世紀における日本の発展に繋げるには、関連する制度改革も含めて、国民を挙げての将来に向けての冷静な議論と大きな決断を要する。しかし日本は最早大きく変わらざるを得ない状況に追い込まれている。この戦後最大の危機を奇貨として、日本が一丸となって果断に応戦できなければ、日本の衰退は確実に進む。東北の復興のあり方を中心として、日本の社会経済システムの再構築の方向について検討しよう。大きな方向は、「脱国境」と「脱中央」である(図2)。

図2:オープンで多様性の豊かな創造立国
図2:オープンで多様性の豊かな創造立国

2. 一層のグローバル化を目指して、サプライチェーンの再構築を

まず、サプライチェーン問題の検討を通して、日本の製造業の将来の発展の方向について見てみよう。今回の大震災における驚きの1つは、直接被災を受けたのは主として東北4県(岩手、宮城、福島、茨城)であったにもかかわらず、自動車と電機産業を中心として日本の製造業全体が、一部は海外においても、大きく生産減少に追い込まれたことである。たとえば乗用車8社の4月における生産台数は前年同月比で国内60%、海外19%に落ち込んだ。これは大規模なサプライチェーンの寸断による影響であり、図1を通して理解できる。たとえば自動車は1台につき2万~3万点の部品(および素材)を集めて作られるが、各々の部品の生産においては「規模の経済」が働く(生産量の増加とともに単位当たりコストが減少)。従って、交通インフラが整って「輸送費」が相対的に低くなっている日本においては、各々の部品(ないし素材)を1社が1カ所で量産し、日本全国(一部は海外)へ輸送するという誘因が強く働く。ただし、自動車・部品企業相互間の近接性も重要であるので、部品企業は日本全国に一様ではなく、既存の自動車産業の中核地域である、東海、九州地域および90年代より急成長してきた東北地域に、大部分集積している。しかし、多くの部品は、各々が1カ所で造られる傾向にあるので、それら三地域を中心として日本中にサプライチェーンの密なネットワークが張り巡らされ、各メーカーは在庫を極力削減しながら効率性の高い生産を行ってきた。この効率性重視のサプライチェーンマネジメントは、今回の大震災で裏目に出た。

もちろん、自動車・部品企業の多くは、中越地震などの経験を通じて、そのようなサプライチェーンマネジメントが、天災などによるリスクに対して弱いことを認識しており、各々の部品生産のある程度の分散化も図っていた。しかし、たとえば、主として東北域内における分散であり、今回のように広域を覆った大震災は想定外であった。さらに、自動車メーカーは数次の川上の部品生産の分散化までは十分に目が届かず、そこでは再び規模の経済に基づく集中生産も起こっていた。

今回の大規模なサプライチェーン寸断に面して、日本の製造業は驚くべき現場力を発揮して、当初の予想を上回るスピードでサプライチェーンの修復を実現してきており、製造業の生産はほぼ正常化してきている。しかし、現在までのところほぼ「元に戻した状況」である。これは、日本の先端製造業が神戸港が辿った運命を避けるためには、やむを得ない選択であったといえる。しかし、今回の経験を生かして、よりレジリエント(復元力に富んだ)な国内外におけるサプライチェーンの再構築という大きな課題が今後に残されている。内外の市場からの部品・素材メーカーへの分散圧力は大きく、調達網の「日本外し」を避けるためにも、この課題を先延ばしできない。

要は、「規模の経済」を生かしながら、いかにリスクを分散するかであり、そのための基本的方策は3つある。第1の方策は、BCP(事業継続計画)などを通じて、バーチャルに工場を分散。第2の方策は、国内(たとえば西と東)あるいは海外へ、リアルに工場を分散。第3の方策は、部品・素材の「共通化」と「差別化」の戦略を峻別し、競争力の源泉を成す基幹部品・素材は、継続的なイノベーションを通じて徹底的に差別化を追求していく。これら3つのベストな組み合わせを通じて、国内外におけるよりレジリエントなサプライチェーンを再構築していく必要がある。

その際、神戸港の完全復旧が結果的に失敗に終わったことを教訓として、世界経済の大きな流れの変化に対応しての再構築である必要がある。特に、現在までの日本企業のグローバルサプライチェーンは、欧米を中心とする先進国の市場に向けて構築されてきた。しかし、今世紀に入り、工業製品への需要の大きな拡大が期待されるのはBRICSやASEANを含む新興国である。たとえば、自動車の販売台数は、日米欧を中心とする先進国では2001年の約4000万台から2011年には3400万台と見込まれているのに対して、新興国では同期間に約850万台から2500万台に増加すると予想されている。従って、日本企業が世界の成長とともに発展して行くには、現在のグローバルサプライチェーンと企業戦略を抜本的に見直して、一層のグローバル化を進める必要がある。

その際、建設機械業界において新興国市場を中心に大きく成長してきているコマツ(小松製作所)の、集中と分散を巧みに使い分け、リスク対応にも徹底したグローバルサプライチェーンが参考となる。大型ブルドーザーをはじめとする建機の組み立て拠点は、米国、中国、インド、ブラジルをはじめ世界中に分散し、基幹部品以外は現地調達している。一方、エンジンやバルブなどの競争力の源泉となる中核部品は100社近くの下請と一体となって、徹底したリスクヘッジを図りつつ日本国内(主として石川、富山、栃木県)に生産を集中し、不断の技術革新を進めている。これは、日本の先端製造業の競争力の強化とともに地方の発展にも繋がる。

さらに、日本人(特に男性)中心主義からの決別も含めて、企業文化と組織の抜本的変革も不可欠である。東京大学 上野千鶴子教授が主張しているように、微細で多様なローカルマーケットの積み上げであるグローバルマーケットに柔軟に対応するには、組織内の多様性を高めるしかない。

一方、日本政府は、日本の先端製造業の競争力の源泉である基幹部品・素材・製造機械産業を日本に留めて製造業の「空洞化」を防ぐとともに、外資を呼び込む努力をすべきである。具体的には、原発事故の収束と電力の安定供給の確保に全力を挙げるとともに、自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)を促進し、法人税率を国際レベルに下げ、円高の阻止、さらには中長期の成長戦略を果断に実施すべきである。同時に、復興事業への財源確保と財政再建への確実な道筋を内外に示すとともに、復興計画の迅速な実施が待たれる。

3. 復興を東北州の実現に繋ぎ、道州制の推進を

日本経団連の御手洗冨士夫名誉会長をはじめ数人の識者から、道州政府への移行を視野に入れた強力な権限を持つ本部を東北に置き、東北主導で迅速に復興政策を実行すべきと言う主旨の提案がなされている。筆者もこの提案を支持する。具体的には、復興基本法で設置が決められている復興庁(ないし、その実質的な執行部)を東北、たとえば仙台に設置して東北六県の実質的な指導の下に置き、将来の「東北州」の基盤とする。さらに、この「東北州モデル」を日本全国に順次広げていき、道州制を実現していくことを提案したい。これは、予想されている直下型地震の首都圏機能の麻痺による影響を減らすためにも必要である。

明治維新における廃藩置県により生まれた東京中心の中央集権国家は、全体としてみれば欧米の工業化社会にキャッチアップする目的のためには良く機能した。東アジアの雁行形態型の経済発展の先頭をリードしてきた日本は、1990年には東アジア全体のGDPの72%を占めるに至り、1人当たりGDPは93年にOECDで1位に上り詰めた。しかし、その後、日本は大きな雪玉が谷底にはまったような状態になり、世界経済の成長から取り残されてきた。実際、93年にOECDで1位であった1人当たりのGDPは、2002年には7位に、2008年では19位へと急速に落ちており、1位のルクセンブルグと3倍近くの開きができてしまった。これは、日本の経済社会システム全体が大きな構造的な問題を抱えていることを示している。

日本の中央集権システムのもとで、キャッチアップの課程での成功と表裏一体して、社会の多くの側面において多様性と自律性が失われていった。全国一律の義務教育と記憶中心の受験競争は独創性と思考力を育む機会を奪った。中央による地方行政の従属化は地域の自律性を奪い、多様な地域が育つのを妨げた。さらに、一極集中による東京の肥大化は日本における人間の多様性の減少に拍車をかけている。

近年までのように、先端知識は欧米から上手く吸収し、それを適当に改変・改善することで成長できた時代には、共通知識重視の従来の日本の経済社会システムには上手く機能した。しかしグローバル化時代に知識創造社会として発展していく上で、現在日本に求められているのは、科学技術のみでなく社会経済全体を含めての広い分野における知のフロンティアの開拓である。そのためには1人1人の固有知識重視の、従来よりもはるかに多様性豊かで自律性の高い、社会経済システムの再構築が不可欠である。

特に、自律性の高い多様な地域の育成のためにも、道州制の実現が望まれる。この点を理解するために、2008年、OECDでの1人当たりGDPの上位10カ国は、ルクセンブルク、ノルウェー、スイス、デンマーク、アイルランド、オランダ、アイスランド、スウェーデン、フィンランド、オーストリア、すべて北欧の小国で占められていることに注目しよう。10カ国合計の人口6300万人は日本の約半分、また、平均して1カ国630万人で東北6県の総人口930万人よりずっと小さい。10カ国は比較的小さな領域に集まっているが、それぞれは独立国家として、固有の言語と文化、独自の産業集積と経済・社会・教育政策を持ち、全体として多様性に富んだ知識創造社会を形成している。

従って、知識創造社会の一員として発展していく上において、人口規模はあまり大きい必要はないことが分かる。国と地方の役割分担を大きく見直して、自律性と多様性に富んだ道州制による地方分権システムを構築し、地域間の競争と連携を促進すれば、日本は知識創造社会として今よりはるかに活性化することが期待できる。

大震災直後から、過酷な状況で自らを律して助け合いながら我慢強く希望を捨てないで生きておられる被災地の方々の映像を見て、世界中が驚かされた。我々も、東京発の文化と違う、人間的絆に基づく地方の伝統文化の底力を再認識した。日本の多くの地方と同じく、東北地方は震災前から人口減、高齢化と一次産業の衰退に直面していた。しかし、東北地方は稀に見る豊かな自然に恵まれている。また、人口規模も北欧の国々と比較して、決して小さくない。従って、復興特区などの支援を十分に生かしていけば、若者を引きつけることのできる魅力のある地域に再生することは、十分に可能である。また、日本各地に既に行われている高齢者を巻き込んださまざまな経済社会の活性化の試みを参考にすれば、東北独自の高齢化社会モデルを日本に先駆けて創っていくことも期待できる。要は、東北全体を多様性に富んだ全員参加のイノベーションの場として発展させていくことである。

4. 東北中を太陽光パネルのお花畑にしよう

東北地方はこれまで電力供給においても大きな役割を担ってきた。これからもそれは期待されるが、特に、今後の日本にとって大きな期待の寄せられている、再生可能エネルギーの総合的な技術発展と社会モデルの構築に大きな役割を果たしていくことができる。そのためには、国は東北の各大学の研究拠点化のために思い切った支援を行うとともに、復興特区制度などを利用して、産学連携を大胆に進める必要がある。

しかし、ハードな科学技術のみでは、東北を魅力ある地域にすることはできない。一般に、新しい大きな社会的プロジェクトを成功させるために理想的な人材の組み合わせは、科学・技術系1/3、経済・経営系1/3、文化・アーティスト系1/3といわれている。たとえば、東北復興地域の数百万戸の屋根に太陽光パネルを設置する場合、現在の黒いパネルを敷き詰めても楽しい町は作れない。それよりも、科学・技術屋に必要な技術開発をしてもらい、経済・経営屋に必要なファンドをうまく調達してもらい、世界中の文化・アーティストと住民が一緒になって、それぞれの町が太陽光に反応するカラフルな独自のパネルアートをデザインして、東北中をパネルのお花畑にしよう。そうすれば、世界中から来た観光客も、見事に復興した東北を楽しむことができる。

2011年9月1日

2011年9月1日掲載