「ライオンと鼠:日米規範文化比較論 -後編-」(3/5)
デイヴィッド・ライトマンが書いた現代アメリカ版『ライオンと鼠』の話の出だしは、古いアメリカ版と全く同じである。つまり、ねずみは自分の勇気を仲間に示すために、「私はライオンの背中の上を駆け抜けることだってできるぞ」と言って、ライオンの背中に駆け登ったのだが...
ところが、ねずみが背中から降りるやいなや、今まで良く眠っているように見えたライオンはパッと跳ね起きて前足でねずみを押さえてしまいました。
──誰だ、私の眠りの邪魔をするのは!
ライオンはねずみをただ一口で呑み込もうとしました。ところが、ここに、成り行きを近くで観察していた者がいました。狐です。狐は急いで飛び出して来て、
──待ってくださいよ、ライオンさん。こういうことはこんな風に私的に解決しちゃこまりますよ。もちろんあなたも言い分はおありだろうが、ねずみにも弁解させる機会を与えなきゃ。公正(justice) ってもんが大事ですよ。ライオンさんともあろう人が、このことをお分かりにならないわけは無いと思うけど。
と、大きな声でまくしたてました。
その一方、狐はねずみの耳元にすばやくそっと尋ねました。
──あなたの、いや、あなたの御家族やお仲間は十分裕福なんでしょうな?
──えっ?
──成功報酬のみでけっこうですよ。つまり失敗したら一銭もいらないが、もしこの件で私があなたの命を助けたら、謝礼は十分期待できるかってことですがね。
──そ、それはもちろん。
と、命の助かりたいねずみは慌てていいました。
──それじゃ、話は決まった。ここは、あなたは何も言わずに、私にまかせなさい。
狐はこうささやくとまた、
──公正!公正!
と、ライオンにまくしたてました。
──なんだ、こいつはいきなり割り込んできて。
と、ライオンは腹を立てましたが、気がつくと騒ぎに引き寄せられて、たくさんの動物が回りに集まって来ています。それに、狐がまた、「公正! 公正!」と、訴えるともっともだ、とうなづく動物もいるようです。
(まあ、ねずみに非があるのは分かり切っているし、腹も空いていないから、ここは狐のいう「公正」な決着をつけるのも悪くはないか)
ライオンは怒りを押さえて、こう冷静に考えました。
数日後に裁判が開かれました。裁判官は猿、ライオンの変わりにねずみを告発する検事は狼、ねずみを弁護するのは、もちろん狐、それに加えて、リス、馬、牛、ピューマ、羊、熊から各2名の計12名が陪審員といった顔ぶれです。それに他の多くの動物達が傍聴しています。
罪があるかないかを決めるのは陪審員達で、彼らが「無罪」と結論した場合は裁判官であっても、それを変えることはできません。反対に、陪審員達が「有罪」と結論した場合は、それ相当の理由がなければ、裁判官は決定を無罪に変更できないし、まず普通は変更しません。なぜなら、むやみと陪審員達の決定を変更すれば、動物達が
──自分達の代表が裁いているとはいえない。それでは公正ではありえない!
と、騒ぎだすに違いないからです。
ですから、狼も狐も、陪審員のリス、馬、牛、ピューマ、羊、熊達に、納得してもらうように議論を展開します。
始めに狼がねずみを訊問し、ライオンの身体の上を走った事実関係を確認しました。ねずみはそれを全く否定しません。ついで、狼は
──ねずみは、ライオンの身体であることを知っていて、かつ故意にその上を走ったに違いない。
と、述べました。
なぜなら、ライオンが観察するには、ねずみは始めにライオンの様子をうかがうようにし、眠っていると見定めてから、駆け登った様子が見られた、というのです。
──この点に、重大な関係のあるねずみ達の会話を聞いた者がおり、必要ならば証言してもよいといっている。
こう狼は述べました。
傍聴席からは、これではもうねずみは助からない、といった様子の溜息が聞かれました。
狼はライオンの身体に登ったのは計画的に故意にしたことであったとねずみに認めさせようとしましたが、狐が立ち上がって、
──この質問の答えについては、あとから明らかにすることと関連するので、後回しにしてほしい。
と、裁判官に要求しました。
傍聴席のねずみびいきの者たちからは、
──なぜ、故意でないと今はっきり否定しないのだ。なにをやっているのだ狐は!
と、疑問や不満の声も起こりました。
ついで、狼はねずみの罪は、大が反逆罪、中が重大な侮辱罪、小が安眠妨害罪、である、と申し立て、その理由を述べ、反逆罪はもとよりライオンに対する侮辱罪ですら死罪に値すると述べました。さすがに小さなねずみが身体の上を走り回ったぐらいではライオンはけがをしないので暴行傷害罪は付け加えませんでした。
狐はすかさず立ち上がると、ライオンは誰もが認めた王というわけではないから反逆罪というのはおかしいし、またライオンはねずみを「観察していた」と狼が言うのだから、目覚めていたはずで、安眠妨害罪はなりたたない、と述べたてました。
──しかし、陪審員のみなさん!
と、狐は続けます。
──私が一番申しあげたいことは別の点です。
狐はさっそく本論に移って良いかを裁判官の猿に確認し、話し続けました。
──さて、みなさん、私が一番申し上げたいのはねずみのかかっている特殊な病気についてなのです。その病名は「注意欠乏多動症」といいます。
──「注意欠乏多動症」だって、そんなもの聞いたことあるかい?
と、いう声がざわざわと傍聴席でおこりました。
狼がすかさず立ち上がっていいました。
──陪審員のみなさん、私は「注意欠乏多動症」などというような病気は聞いたことがありません。しかし、狐のいいたいことは容易に想像ができます。つまり、狐は「ねずみはついうっかりしたんだ。ライオンの身体なんて気がつかなかったんだ」と、いいたいのだと思います。それをいうのに「注意欠乏多動症」などとおおげさな病名を持ち出したのだと思います。だが、みなさん私は次の2点について、狐の言い分を聞く前に、みなさんに思い出していただきたい。1つは、ねずみの行動には「ついうっかりしていた」というのとは明らかに矛盾するところがあった、ということです。この点については、狐からもねずみからもまだ明快な説明がありません。第2に、もし仮に万が一故意でなかったとしても、過失で犯した行為でも相手に害をなしたねずみの行為に罪がある、ということです。みなさんが有罪か無罪かを決める時に、このことは是非忘れないようにしていただきたい。
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