ここ数年、日韓の化学物質輸出制限紛争や各種の米中通商制限、昨年2022年は一連の対露制裁、年末の米国の対中半導体輸出規制強化など、安全保障と自由貿易の緊張関係が課題となっている。そして2022年12月9日には、こうした緊張関係の契機となった2018年のトランプ政権による鉄鋼・アルミ製品追加関税について、WTO紛争解決パネルが協定違反の判断を示した(注1)。
それからわずか2週間足らずの12月21日、引き続いて米国・香港原産地表示要件事件(DS597、以下、カッコ内の「DS...」はWTO事件番号)のパネル報告書が公表された(注2)。本件でもまたGATT21条(安全保障のための例外)の解釈・適用が主たる争点となり、昨今の安全保障と貿易の交錯・摩擦に重要な示唆を与える判断が示された。特に本件では、軍事・防衛上の関心を意味する伝統的かつ狭義の安全保障ではなく、安全保障としての人権問題へのGATT21条適用可能性が問われた。詳しくは後述するが、従来はそのように理解されていなかった政策課題が安全保障の問題として捉えられる「安全保障化(securitization)」が昨今様々な分野で認められるようになり、本件はこうした趨勢の中でWTO体制の中で貿易と安全保障の新たな課題を提起する案件として注目される。
以下、本件判断の概要を紹介した後、それを踏まえて、米国が展開する人権や民主主義を重視する価値外交とWTO協定の関係に対する本件の示唆について論じたい。
パネル報告の概要
●本件の措置
米国は1997年7月の香港の中国返還後も、米国法をそれ以前と同様に香港に適用する旨を1992年香港政策法201条(a)(22 U.S.C. §5721)において規定した。一方で、同202条(a)(22 U.S.C. §5722)によれば、大統領は香港が「十分に独立していない(not sufficiently autonomous)」と決定する場合、自身でこの待遇の適用を停止できる。2020年7月、トランプ大統領(当時)は、前月の中国における香港国家安全維持法(注3)の制定を受けて、この202条の権限に基づいて大統領令13936号(注4)を公布した。これによって米国による香港への1930年関税法304条(a)(19 U.S.C. §1304)の適用を停止し、香港産品の輸入について「香港産」の表示を許可せず、「中華人民共和国産」と明記するよう義務付けられることになった(7.194-7.197、以下、カッコ内の「7.xx」は本件パネル報告書パラグラフ番号)。
●検討の順序
本件では香港は原産地規則に関する協定2条(c)及び(d)、貿易の技術的障壁に関する協定(TBT協定)2.1条、GATT1条1項及び同9条1項違反を申し立てている。パネルは、先例が問題の措置について特定的かつ詳細に定める協定から先に検討することを原則としていることに鑑み、本件で問題の原産地表示については特にGATT9条のみが規律し、他の条文はより一般的な義務を定める規律なので、先にGATT9条から判断することとした(7.11-15)。
また、米国はこれまで同様にGATT21条(b)は自己判断的であって、米国の措置の同条適合性はパネルの審査に服さないと主張した。パネルはGATT21条の下での自らの管轄権の有無は中核的な問題であり、その方が効率的なので(米国の主張通りであった場合には残余の請求を判断せずに済む)、先に同条の自己判断性を判断することとした(7.20)。
●審査可能性(reviewability)
そのGATT21条は以下のように規定する。なお、以下の議論は併せて同条の英語正文を参照すると理解しやすいので、併せて参照されたい。
第二十一条 安全保障のための例外
この協定のいかなる規定も、次のいずれかのことを定めるものと解してはならない。
- (a)締約国に対し、発表すれば自国の安全保障上の重大な利益に反するとその締約国が認める情報の提供を要求すること。
- (b)締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める次のいずれかの措置を執ることを妨げること。
- (i)核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置
- (ii)武器、弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引に関する措置
- (iii)戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置
- (c)締約国が国際の平和及び安全の維持のため国際連合憲章に基く義務に従う措置を執ることを妨げること。
米国は、先の米国・鉄鋼及びアルミ追加関税事件パネル(DS544, 552, 556, 564)と同様に、「締約国が...認める(which it considers)」で始まり、(i)〜(iii)サブパラグラフのいずれかで終わる部分(上記日本語仮訳では「いずれかの措置を執ることを妨げること」以外の部分)が「措置」にかかる「一体の関係節(a single relative clause)」を構成し、自己判断的性質はこれらサブパラグラフにも及ぶ、と主張した。つまり、各サブパラグラフは直前の「安全保障上の重大な利益」を修飾し、サブパラグラフまで含む「一体の関係節」を構成することになる。
パネルはこれまでの紛争同様に条約法条約31条に従ってGATT21条(b)を解釈すべく、「用語の通常の意味」から検討に着手した。パネルは米国の「一体の関係節」論では(b)(iii)が文法的に説明できないこと((iii)では「執る(taken)」なので、サブパラグラフが「安全保障上の重大な利益」にかかると読めない)、他方(i)、(ii)も含めてサブパラグラフは全て柱書中(日本語仮訳では各サブパラグラフ中)の「措置」にかかると読めることを指摘し、米国の主張を退けた(7.57)。
また、サブパラグラフまでを「一体の関係節」と見る場合、「認める(consider)」は関係節の外の「措置(action)」を目的語に取り、各サブパラグラフの「関する」((i)、(ii))または「執る」((iii))と柱書にある「必要な」を同時に補語に取ることになる(つまり、「必要と認める措置」・「関する(執る)と認める措置」)。しかし、これも文法上柱書部分と各サブパラグラフの間に実際には条文にはない“and”や“to be”を補う必要があり、また(i)、(ii)ではそのような解釈は各サブパラグラフが「安全保障上の重大な利益の保護」にかかるとする米国の主張と矛盾する(7.62–7.67)。パネルはこのことをフランス語・スペイン語正文との比較でも確認した。
次に、条約解釈の文脈として、GATT21条(a)を参照した。米国は、GATT21条を援用する加盟国は安全保障上パネルに開示できない情報があるがゆえに(b)適合性を証明できない場合があるので、(b)の完全な自己判断性を認めなければ(a)は実効性を損なう、と主張した。パネルは、 (a)はGATT10条ほか多くの透明性確保・法令等の公表義務の例外であること、また (b)の援用に際して、被申立国には(a)を援用して情報開示を拒む権利があることから、(b)を自己判断的と解釈しなくてもその意義は損なわれないと説示し、米国の主張を退けた(7.95, 7.102)。
次にWTO協定の趣旨・目的については、米国は、(b)の完全な自己判断的解釈の否定は加盟国に「重大な安全保障上の利益」にかかわる措置の撤回を余儀なくし、多国間通商体制の安定性・予見可能性に寄与しない、と主張した。パネルは、GATT21条の援用に一定の柔軟性を与える一方でそれを行使できる状況を限定する上記の(b)の解釈(つまり完全な自己判断の否定)は多国間通商体制の安定性・予見可能性確保に資すること等を理由に、米国の主張を却けた(7.145–7.148)。
更に米国は、GATT21条の自己判断的解釈の証左として、米国の対チェコスロバキア輸出許可事件GATT理事会決定(1949)を解釈に関する事後になされた当事国間の合意(条約法条約31条3項(a))として参照するように主張した。しかしパネルは、当該決定は個別紛争に対するGATTの適用に関するものに過ぎず、解釈合意に当たらないと判断した(7.152, 7.156, 7.158)。
パネルは条約法条約31条に基づく解釈によって(b)の完全な自己判断性を否定し、同32条の解釈の補足的手段の検討は不要としながらも、後者が前者の適用で得られた解釈の確認のために援用できることから、GATT21 条の起草過程も併せて検討した。本件パネルはロシア・貨物通過事件パネル(DS512)とほぼ同様の検討を行ったが(注5)、GATTと同時並行で締結交渉が進んでいた国際貿易機関(ITO)設立のためのハバナ憲章(1948年3月署名)の99条1項も参照した。パネルは、同項の文言が起草者はGATT21条(b)においてサブパラグラフは柱書の関係節の一部を構成せず「措置(action)」を修飾することを予定していたことを示す証左であると指摘した(7.171–7.172)(注6)。
以上から、パネルは(b)(iii)の自己判断的文言はサブパラグラフに及ばず、その適合性はパネルの審査に服すると判断し、自身の事物管轄権を認定した(7.185)。その後の検討については、違反認定がなければ正当化は生じず、また正当化の証明責任の配分が明確にならないことを理由に、義務違反の請求を先に審理し、違反認定があればGATT21条適合性を審査するアプローチ(つまりサウジアラビア・知的財産権事件(DS567)と同じ)を採用した(7.187–7.189)。
●GATT9条1項
パネルによれば、GATT9条1項は原産地表示義務について、あるWTO加盟国の産品を他の加盟国の産品より不利に取り扱うことを禁止しており、ある種の最恵国待遇(MFN)原則である。よってパネルは、① 異なる加盟国原産の同種の産品の間で原産地表示義務に差異があるか、② その差異によって申立国(本件では香港)原産品の競争条件が不利に改変されているか、を検討した。その際に、②の悪影響が問題の措置の規制目的で説明されるかどうかは勘案されない(つまり悪影響の有無のみを問う)、とされる(7.204–7.206)。また、②の評価については、措置の制度設計や制度の予定される運用等に鑑みて、措置がもたらす産品間の競争機会の平等への示唆を明らかにし、輸入品の競争条件の不利な改変の有無を決定しなければならない、とされた。その際、評価は措置の実際の効果や悪影響の蓋然性に基づくのではなく、特定加盟国産品に潜在的な差別的影響をもたらすのであれば、不利な待遇を与えていることになる(7.240)。
パネルは米国法令が他のWTO加盟国には実際の原産地を表記することを要求(=許容)する一方、香港産品にのみ実際の原産地ではなく「中国産」と記載を要求する点で、上記①の差異を認定した(7.234–7.235)。また②についても、米国の措置の結果、香港産品の輸出者は将来にわたり香港原産品に付与される価値を高めたりこれを享受したりする可能性を否定され、このことが米国市場での競争条件に悪影響を与える、と認定した(7.247)。よって、パネルは米国の措置はGATT9条1項に違反すると認定した(7.251–7.252)。
●GATT21条(b)(iii)
本件措置のGATT9条1項違反が認定されたため、パネルはGATT21条適合性を検討した。パネルは米国が提出した情報が(b)(iii)に関係していることを示したと認め、同サブパラグラフ適合性を検討した。立証責任はこれを援用する米国に課した(7.258–7.260)。
(b)の検討順序については、パネルは(b)の下で措置を取れる状況を限定する各サブパラグラフを先に検討し、後に柱書適合性を検討することが論理的である、と説明した。パネルは、GATT21条と同様の検討ではないと留保を付しながらも、この検討順序はこれまでのGATT20条と類似のものであると述べた(7.263–7.264)。
パネルはその上で、まず(b)(iii)の「緊急時(emergency)」の通常の意味を、辞書上の定義から本来「喫緊の対応を要する事態」と解したが、フランス語・スペイン語正文を参照し、英語正文の意味を一部修正した。パネルによれば、フランス語・スペイン語の正文ではそれぞれ“grave tension (internationale)”、“grave tensión (internacional)”とされていることから、事態の深刻度は「最大限の重大性(the utmost gravity)」であると理解するのが最も適切と説示した。これを踏まえ、「国際関係の緊急時」を、「国家間または国際関係に参加する主体間の関係に発生する極度に深刻な事態で、事実上これらの関係の破綻ないしはほぼ破綻を示す状況(a state of affairs that occurs in relations between states or participants in international relations that is of the utmost gravity, in effect, a situation representing a breakdown or near-breakdown in those relations)」と定義した(7.289–7.290)。
次にパネルは、文脈として(b)(iii)では「国際関係の緊急時」が「戦時」と併置されていることが上記の解釈を支持すると述べ、前者は後者にまで至らないが、国家間関係に与える影響において戦争に「ほぼ匹敵する(near-comparable)」深刻・重大なものでなければならない、と論じた。また、何ら限定なく「国際関係」と規定されていることから、緊急時は(b)(iii)を援用する加盟国の領域並びに二国間関係で発生する必要はなく、とりわけ戦争は当事国以外にも影響を及ぼす国際関係の緊急時になりうる、と述べている(7.296–7.298)。
更にパネルは文脈として(b) (i)・(ii)について、特定の状況に言及する(iii)と異なり、措置の範囲に言及するものであって状況の深刻さに言及していないが、(i)・(ii)も明らかに軍事・防衛に関係しており、よって密接に(iii)に関係していることを指摘した。パネルは「国際関係の緊急時」の深刻さに鑑みて、(iii)も通常は軍事・防衛に関係することが予期されるとしながらも、他方で、ロシア・貨物通貨事件パネルのように「緊急時」が必ず軍事・防衛の関心に関係しなければならないと示唆することは控えた。また、パネルによれば、国連憲章第7章(平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動)に基づく義務の実施について規定した(c)は、「国際関係の緊急時」の解釈の目的において、GATT21条の範囲にある状況の深刻さ・重大さの例示と見ることができる(7,300–7.303)。
上記の解釈による「国際関係の緊急時」の検討にあたり、パネルは悪化を引き起こす原因のいかんを問わず国際関係の悪化の程度を検討する責務を課せられる。また、パネルは事態の深刻さを示す指標を、一方の極に友好的かつ平和な交流、他方の極に国家間関係の破綻を表す連続体(spectrum)になぞらえ、「国際関係の緊急時」を後者に近いものとして位置付けた。パネル曰く、通常多くの政治的緊張・不和は緊急時となる程に後者の極に近づくことはなく、国際的な法的枠組の範囲内で対処できるが、(b)(iii)は「戦時及び国際関係の緊急時」がその例外であることを示す(7.308–7.311)。
パネルは、抽象的な「国際関係の緊急時」の定義に該当する事態は列挙できるものでなく、判断はケースバイケースで行うものとした。また、状況が戦争あるいはそれに匹敵する国際平和及び安全への脅威から乖離するほど、被申立国はなぜその状況が国際関係の断絶に近いのかの説明をよりいっそう求められる。パネルは関係する事態の(b)(iii)該当性を認めたロシア・貨物通過事件及びサウジアラビア・知的財産権事件の両パネルに触れ、両パネルは本件パネルと若干異なるものの、本件でもこれらと類似した「国際関係の緊急時」の理解に立つと述べた(7.312–7.315)。
パネルは大統領令13936号のほか米国の関係法令、政府報告書、香港に関するカナダなど第三国の発言、更に新聞報道を検討した。その結果、香港の状況に対して米国ほか一部加盟国が懸念を示し、またこれらが輸出規制、ビザ、難民申請等に関する措置を取っていることから、香港の事態が国際関係に影響を与えたと認定した。しかし、上記の措置は限定的であり、米国と香港の関係は多くの分野で協力関係を継続していること、更に通商関係も維持されていることから、国際関係の断絶あるいはそれに準じる事態とは認めなかった。よって、両国関係は(b)(iii)に該当しないものと認定した(7.353–7.358)。
最後にパネルは、米国の「安全保障上の重大な利益」に反映される人権、民主主義、そのほかの価値・利益の重要性を疑問視するものではないこと、他方そのような価値を促進する措置をGATT21条の下で正当化するのであれば、同条の要件に合致しなければならないことを付言した(7.359)。なお、パネルはGATT1条1項、TBT協定、原産地協定違反の請求については訴訟経済を行使し、判断を行っていない(7.368)。
本件判断の解説
●GATT21条の法的性質と検討順序
本サイトにおけるこれまでの一連の判例解説(注7)でも論じてきたが、GATT21条については一次規範としてGATTの義務の範囲を定める規定か、それとも積極的抗弁として事後的に援用される例外規定と位置付けられるべきか、またその適合性についての立証責任をどちらが負うべきかについて、案件ごとに判断が分かれていた(注8)。
この点について本件パネルは、まず明示的にGATT21条をGATT20条と同様の例外として位置付けている(7.109)。条文内部の判断の順序も、GATT20条が各号・柱書の順で適合性を判断することになぞらえ、GATT21条(b)サブパラグラフ・柱書の順で適合性を判断した(7.264)。また、同条を申立国による被申立国措置の協定違反の主張・立証の成功の後に、当該違反の正当化のために被申立国が援用するものと位置付け(7.189)、その適合性の立証責任を被申立国側に課した(7.260)。このように本件判断は、柱書の自己判断性を除けば、GATT21条をほぼ同20条と同様の例外規定として適用している。
筆者はこの判断は妥当なものと評価する。そもそもGATT21条はそのタイトルに「安全保障のための例外(Security Exceptions)」と明記されている。また、GATT21条柱書と(b)柱書を繋げた際の文言がGATT20条と酷似していることからして(注9)、GATT20条を積極的抗弁として援用すべき例外規定とと位置付ける以上、GATT21条も同様に取り扱うことに違和感はない。
更に、規範構造上GATT21条は同20条柱書の但書部分に相当する濫用防止の規律を欠いている(注10)。しかも、GATT21 条(b)の柱書は自己判断的であり、より謙抑的なパネルの誠実審査にのみ服する(注11)。加えて同条が適用除外の一次規範として問題の措置がその範囲外にあることの証明責任を申立国に課すとすれば、申立国の協定上の権利に不均衡な制約が生じるおそれがある。
これに伴い、本件の検討順序は、① GATT21条(b)の自己判断性(司法判断適合性)、② GATT9条1項ほか実体的義務違反、③ GATT21条(b)適合性(積極的抗弁)の順となった。管轄判断から本案に入り、違法性の認定の後に違法性阻却事由の有無を検討する標準的な検討順序だが、これまでの3件のGATT21条案件のいずれとも異なる。
●「戦時及び国際関係の緊急時」の解釈
本件のもう一つの注目すべき点は、「戦時及び国際関係の緊急時」の解釈について先例の軌道修正を行った点である。
第一に、(b)(ii)では緊急事態の程度のみを審査し、その原因となる事態については基本的に不問に付すと述べた(7.308)。つまりパネルは国際関係に対する影響の深刻さを量的評価にするのみで質的評価を行わない、と理解できる。
第二に、「国際関係の緊急時」を軍事・防衛上の利害に関係する状況に限定する先例の解釈を否定した(7.301)。本件パネルは「国際関係の緊急時」の解釈についてロシア・貨物通貨事件及びサウジアラビア・知的財産権事件の両パネルとの共通点を認めつつも、差異も指摘している(7.301、7.315)。より具体的には、「国際関係の緊急時」はもっぱら「加盟国の国防又は軍事上の利益、あるいは法及び公の秩序の利益の維持(a Member's defence or military interests, or to maintenance of law and public order interests)あるい「国家を取り巻く全般的な不安定(a situation of "general instability engulfing or surrounding a state)」に関係するものに限定されない、と述べている(7.315 n.438)。
第三に、これまでの判断と異なり、「国際関係の緊急時」の解釈にあたり、文脈としての柱書の「安全保障上の重大な利益」に言及していない。先例はこの利益の重大性ゆえに、そのような利益が問題となる「国際関係の緊急時」を主に軍事・防衛上の利害に関する状況に限定する解釈を展開してきた(注12)。
最後に、国際関係の緊急時の領域的制約を外している。本件では、緊急事態はGATT21条援用国の領域的管轄圏内はもとより、援用国の二国間関係で発生する必要もないとされている(7.297)。特に戦争については当事国以外に影響が広く及ぶことを指摘しているが、現下のウクライナ情勢に鑑みれば、この指摘は自明であろう。
本件判断の示唆―GATT21条は安全保障化した人権を取り込めるか―
●安全保障化する人権問題
1997年の中国返還の後、香港では50年間にわたり保証されるはずだった「一国二制度」の有名無実化とそれに反発する民主化運動の弾圧が繰り返されてきた。香港特別行政区行政長官選挙の立候補者を制限する2014年の全国人民代表大会常務委員会決定の際には「雨傘革命」が起こり、2019年の逃亡犯条例改正案審議(最終的に取り下げ)の際にも、大規模デモ等の民主化要求運動が勃発したが、いずれも鎮圧されている。
こうした「一国二制度」の有名無実化を決定的なものとしたのが、本件措置導入の契機となった香港国家安全維持法の制定である。同法によって中国の公安組織が直接香港で法執行を行えるようになり、また香港で逮捕された香港籍の住民が中国本土に移送される可能性が生じたことで、香港での個人の自由と安全保障が脅かされるようになった。この法律の制定により、中英間、あるいは中国と国際社会との間で形成された「一国二制度」の暗黙の合意は崩れたと評される(注13)。トランプ大統領はかように香港の高度な政治経済上の自治が損なわれる状況を米国安全保障への「極めて尋常ならざる(unusual and extraordinary)」脅威であると認定し(注14)、本件措置の導入に踏み切った。
本件に限らず、米国は権威主義国家による人権侵害を安全保障の問題と捉える傾向にある。トランプ政権時代から、例えば2019年10月にダーファテクノロジー、ハイクビジョン等を輸出管理規則(EAR)のエンティティリストに搭載するにあたり、その監視技術が新疆ウイグル自治区での人権弾圧に利用されている事実が米国の安全保障上の脅威になることを指摘している(注15)。トランプ政権下では、その後も同様の理由による中国企業のエンティティリストへの搭載が続いた(注16)。またバイデン政権下でも、2021年12月に対カンボジアの輸出管理強化のためのEAR改正案は、同国における中国軍の影響拡大と併せてカンボジア軍による人権侵害が米国の安全保障と矛盾すると述べている(注17)。更に、2022年6月に施行されたウイグル強制労働禁止法(注18)や人権輸出管理イニシアチブ(注19)等の実施など、今後も米国による人権擁護目的の通商制限の実施が見込まれる。
もとより米国は、より基本的なところで人権を安全保障課題の一部と位置付けている。例えばオバマ政権下の2010年国家安全保障戦略を参照すると、海外諸国と米国との友好の基礎として価値共有を追求することが謳われており、海外における民主主義と人権の促進がその課題の一つとされている(注20)。バイデン政権においても、西半球(主に中南米)における民主主義の促進が地域別課題の一つとして挙げられているほか、やはり同盟国間連携の重要性を人権及び民主主義促進の観点から強調している(注21)。
冒頭で言及したように、時として、従来安全保障とは理解されてこなかった政策課題が、アクター間(例えば政府と国民)の政治的ディスコースを通じて安全保障上の課題として捉えられるようになることがある。昨今、こうした「安全保障化(securitization)」が多様な分野で発生しており、これらには気候変動、パンデミック、サイバーセキュリティ、資源・エネルギー、食料、技術、経済といった課題が含まれる(注22)。本件で問題となった米国の人権や民主主義もこの安全保障化の一例であり、日本におけるここ数年の経済安全保障論の高まりも、やはりこうした安全保障化の顕在化と言えるだろう。
●本件パネルのアプローチ
これまでの先例は、GATT21条(b)の安全保障上の重大な利益を伝統的かつ狭義の軍事・防衛を中心とした関心事項として理解し、こうした利益と自由貿易原則の調整を試みるにとどまっていた。これに対して本件では、安全保障化の結果、正当だが新しい安全保障課題としての人権にGATT21条が対応できるか否かが問われている。しかし、これまでの3件が展開したような伝統的かつ狭義の安全保障概念に立脚したGATT21条の解釈・適用では、こうした幅広い政策課題の安全保障化に対応することは困難である(注23)。
本件パネルは安全保障化への対応の要請に対して、GATT21条(b)(iii)の「国際関係の緊急時」を緩やかに解釈することによって応えようと試みた。すなわち、これはもっぱらある事態が国際関係に与える影響の重大さ・深刻さを求める要件であり、その影響の原因となる事態のいかんを問わない、また、特に軍事・防衛といった狭義の安全保障との関連性も不要で事態発生の地理的制約も課されない、と解した。
本件パネルはこの解釈に至るにあたり、フランス語・スペイン語正文を参照し、英語正文の意味を一部修正した。しかし仏・西正文のそれぞれ“grave tension (internationale)” 及び“grave tensión (internacional)”から得られる示唆は、もっぱら事態の深刻さが個別事案における特定の事態が「国際関係の緊急時」に適合するか否かを判断する基準とされるべきことのみで、その他の事態の性質—特に軍事・防衛上の関心であるか否か—の検討を不要とすることまでは導けない。また、文脈として「国際関係の緊急時」と対置されている(b)(iii)の「戦時」も、本件パネルは前者の解釈への示唆を事態が国際関係に与える重大性の水準に限定しているが、先例が展開したような「緊急時」の性質を「戦時」同様の軍事・防衛上の関心と結び付ける解釈が排除される理由を詳らかにしていない。
●GATT21条は安全保障化にどこまで対応すべきか
また、立憲主義的見地から安全保障とWTO協定の諸原則の適正なバランスの確保は必要であることは否定しがたいとしても(注24)、本件パネルのアプローチは、際限のない安全保障化を全てGATT21 条で受け止めることになりかねない点でも懸念が残る。
GATTには20条で別途各種の公共政策目的のための例外が定められており、昨今安全保障化されている政策課題の多くは、その範囲内にある(注25)。本件も人権・民主主義といった価値共有の問題であり、本来はGATT20条(a)(「公徳の保護のために必要な措置」)で対処すべき問題と言える。先例において「公徳(public moral)」は、加盟国毎の価値観の差異を反映した善悪の行動基準として理解されており(注26)、米国の価値観に基づいた人権や民主主義がそこに含まれることには争いはないだろう。
しかし、GATT20条(a)において、米国は同時に本件措置が公徳の保護に「必要」であることを示さなくてはならず、その際に例えば措置が香港の人権・民主主義の保護になし得る貢献や、その他の協定整合的で合理的に利用可能な代替手段の不存在等を証明する必要がある。詳細な検討は本稿の射程を外れるので割愛するが、直感的に言えば、香港の民主制維持に本件措置がどの程度意味があるものかには疑問を持たざるを得ない。米国は価値外交の一端として人権・民主主義を安全保障上の課題として位置付けたことに加え、本件措置のGATT20条適合性の主張が困難であることを認識していたからこそ、同21条(b)の自己判断性に基づいてパネルの管轄権否認を主張したのではないだろうか。
GATT21 条(b)柱書の自己判断的文言ゆえに、その下での措置の正当化は謙抑的なパネルの誠実審査にのみ服し、加盟国が享受する裁量は大きい(注27)。それゆえ加盟国には、本来GATT20条が捕捉すべき政策課題を安全保障化を通じてGATT21条に流し込み、後者を援用することで措置の正当化を容易にせんと試みる誘因が働く。本件パネルのアプローチは多様な課題の安全保障化は趨勢としてある程度受け入れざるを得ない一方でGATT 21条が同20条の抜け道となることを防ぐべく、同じ課題(例えば人権)への対応を国際関係への影響の程度を基準として2つの条文の適用範囲を区分しているようにも見える。
しかしながら、安全保障化に呼応してGATT21条(b)(iii)の適用範囲を拡張した本件判断の妥当性については、評価を留保せざるを得ない。米国は「錦の御旗」としての安全保障を振りかざして十分な法的論証もなしに自己判断性を主張し、これを否認されれば、今度は主権的判断への介入としてパネルの非を鳴らすことで道義的優位(the moral high ground)に立とうとする。こうした米国の態度に接するにつけ、この「使い勝手の良さ」が安易な安全保障例外援用の常習化を招くことを強く危惧せざるを得ない。かつてロシア・貨物通過事件パネルは安全保障とは「魔法の呪文(incantation)」ではないと喝破したが(注28)、依然として機能停止が続く上級委員会への空上訴ゆえに実質的に紛争の解決が棚上げされ、安全保障例外援用の濫用を是正することが叶わない現在、特に米中のような大国には、GATT21条は「魔法の呪文」になりつつある。このような状況で、GATT20条でカバーできる課題にまで安全保障例外を拡張する必要が果たしてあったのか、筆者としては本件パネルの判断には疑問を感じざるを得ない。
既に同様の懸念は気候変動の文脈で顕在化しつつある。米国はEUと連携のうえ有志国間で炭素集約的な鉄鋼・アルミ製品に追加関税を課す合意を構想していることが報じられているが、この実現手段として、1962年通商拡大法232条(19 U.S.C. 1862)を援用する可能性が指摘されている(注29)。予てからバイデン政権は気候変動を外交・安全保障の最優先課題と位置付けており(注30)、また先のWTOパネルでの敗訴にかかわらず米国はトランプ政権が課した鉄鋼・アルミの追加関税の撤廃を拒否しているため(注31)、当該措置を気候変動目的の措置に移行させることは好都合だろう。本来大気保全はGATT20条(g)で対応すべきだが(注32)、もし232条によってこの課税を実現するのであれば、米国はGATT 20条(g)の要件を迂回するため、再び安全保障例外の自己判断性を主張することが予想される。安全保障化によるいっそうのWTO体制侵食の懸念は深まるばかりである。