Special Report

サウジアラビア・知的財産権保護措置事件パネル報告-カタール危機とWTOの安全保障条項-

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

顕在化するWTO体制と安全保障の相克

WTOはもはやその果たすべき機能の多くが麻痺あるいは低下しており、危機的状況にある。とりわけ「王冠の宝石(crown jewel)」とまで言われた紛争解決制度は、2019年12月以降の上級委員会の機能停止により、存亡の危機に瀕している。そこへ来て、昨今は安全保障と通商の緊張関係が一気に顕在化し、このことがWTO紛争解決手続にいっそう過度な政治的負担を課している。各国が安全保障目的を標榜して採用している措置の協定整合性にまでWTOパネル・上級委員会が踏み込むことは、ひとつ舵取りを誤れば、紛争解決の正統性を著しく傷つける恐れがあるからだ。

従来、貿易と安全保障の関係は長年「大人の知恵」で平穏に保たれてきた。すなわち、各国はワッセナーアレンジメントをはじめとした国際レジームで形成された相場観に基づき慎重に安全保障貿易管理制度を運用し、GATT21条に代表される安全保障条項(注1)を濫用することはなかった。また、その限りで、安全保障目的の通商措置については、WTO協定整合性が争われることもなかった。

しかし、2018年3月にトランプ大統領が1962年通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミニウム製品に対する追加関税を命じて以降、状況は一変する。この措置をめぐってEU、中国ほか7カ国の要請によりWTOで紛争解決パネルが設置され、2020年秋にも判断が見込まれるが、米国はパネルが安全保障上必要と米国が判断した措置について判断することに強く反発している(米国・鉄鋼及びアルミニウム関連措置事件(DS544、547、548、552、554、556、564))(注2)。また、これと相前後して、クリミア危機に際してロシアが実施した貨物通過制限措置を争った案件(ロシア・貨物通過事件(DS512))について、2019年4月にパネル報告書が示され(上訴なし)(注3)、初めて安全保障条項(GATT21条(b)(iii))の解釈・適用が行われた。さらに、同年7月のわが国のフッ化水素等3品目の対韓国輸出管理見直しをめぐるWTO紛争(日本・対韓国物品及び技術輸出事件(DS590))についても、2020年7月中にも新たにパネルが設置されることになる(注4)。こうした一連の安全保障と貿易の近接と緊張関係については、これまでの筆者の成果を参照されたい(注5)。

カタール危機とサウジアラビア・知的財産権保護措置事件

サウジアラビア・知的財産権関連措置事件(DS567)もまたそのようなWTO協定と安全保障の交錯が問題となった一連の紛争のひとつだが、本件のパネル報告書がさる2020年6月16日に公表された。本件はカタール危機に伴う紛争であり、以下説明するように、措置の安全保障条項(TRIPS(知的所有権の貿易関連の側面に関する)協定73条(b)(iii))への適合性が争われた。

カタール危機については改めて述べるまでもないが、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)ほか計6カ国は、2017年5月末のカタールのタミーム首長によるハマス、ヒスボラなど過激派武力組織およびイラン支持の発言(カタールは、これ自体がサウジアラビアのカタール国営放送に対するサイバー攻撃によるフェイクニュースの拡散だと反論している)を問題視し、カタールとの国交断絶に踏み切った。この国交断絶にはカタールとの物流の停止や、カタール国籍の船舶・航空機の領域通過および寄港・離発着の禁止措置も含まれる(注6)。しかし本件ではこうしたカタール・サウジアラビア間の断交に伴う通商制限措置が広く争われたものではなく、ごく特定された知的財産権保護の懈怠についてのみが対象となっている。

本件で問題の措置は以下のようなものである。カタールに本社を置くbeIN Media Groupは、娯楽・スポーツのグローバル企業である。他方、カタール危機勃発から程ない2017年8月、サウジアラビアにbeoutQなるbeINの社名をもじった放送事業者が設立された。beoutQはbeINが中東・北アフリカ地域で放映する同社制作、あるいはライセンス所有のコンテンツについて、インターネットや衛星放送によって違法に海賊放映・配信を開始した。この時、サウジアラビアは本件関連のbeINの知的財産権を保護せず、beoutQによる権利侵害を放置した。具体的には、(a) サウジアラビア国内における知的財産権執行のための民事手続きにおける、beINを代理するサウジアラビア国民たる弁護士への委任の妨害、(b) サウジアラビアによるbeoutQに対する刑事手続および刑事罰の不適用、および(c) リヤド市内での政府後援イベントにおけるbeoutQの違法な2018ワールドカップ放映のパブリックビューイングおよび政府によるその宣伝、である。

カタールはこれらの措置をTRIPS協定に反するとして、2018年10月1日にサウジアラビアに協議を要請した。しかし、サウジアラビアがこれを拒否したため、カタールは直ちにパネル設置を要請し、同年12月18日には本件パネルの設置が決まった。本件パネルの長は、国連国際法委員会(ILC)委員も歴任したDonald McRae(カナダ・オタワ大学名誉教授)が務めた。ロシア・貨物通過事件パネルのGeorge Abi-Saab(WTO上級委員、国際司法裁判所臨時裁判官、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷裁判官等を歴任)に引き続き、通商のみならず広く国際公法全体に通じた権威に判断が委ねられることになった。

パネル報告書の概要

本件パネルは問題の措置により、サウジアラビアのTRIPS協定41条1項、42条、および61条違反を、それぞれ認定した。これを受けて、サウジアラビアはこれらの違反は同協定73条(b)(ii)の安全保障条項に適合すると主張した。 この点について、パネルは以下のように判断している。

1.判断の順序

判断の順序については当事国に争いがないことから、まずTRIPS協定の義務違反を認定してから、もし違反があれば、問題の措置がいずれかの「例外(exception)」に該当するかを検討する、と説示している(7.6、以下、カッコ内の7.xxは本件パネル報告書パラグラフ番号)。

この例外がTRIPS協定73条であり、上記のように問題の措置に同協定違反が認定されたことから、同条適合性の判断に進んだ。

2.管轄権(司法判断適合性)

ロシア・貨物通過事件パネルでは、ロシアはGATT21条(b)(iii)の自己判断的な文言を理由に、パネルの管轄権を否認する議論を展開した。本件ではサウジアラビアは異なるアプローチを採用し、本件の性質が「政治的、地政学的および安保上重大な案件(a “political, geographical and essential security dispute”)」であって、通商紛争ではないことから、パネルの審査に服さないと主張した。これに対してパネルは、カタールの請求に基づき、パネルに付託された問題はTRIPS協定違反であって、パネルの管轄権が及ぶと判断した(7.13–7.16)。

また、サウジアラビアは、そうした政治紛争に関するパネルへの付託は「問題の満足すべき解決を図ることを目的」としたものではなく、紛争解決了解(DSU)3条4項によってパネルの判断を妨げられると主張した。しかしパネルはこれも上記と同様の理由で退けた(7.17–7.19)。

本件パネルは、その前提として、先例において、DSUの下で有効に付託された紛争につき管轄権を行使しない裁量がパネルに与えられていないと上級委員会が説示したことにも言及している(7.9–7.12)。

3.TRIPS協定73条(b)(iii)適合性

次に具体的に安全保障条項適合性を検討するが、本件で援用されたのは、TRIPS協定73条(b)(iii)である。同条は以下のように定める。

第73条 安全保障のための例外
この協定のいかなる規定も,次のいずれかのことを定めるものと解してはならない。
(a) 加盟国に対し,その開示が自国の安全保障上の重大な利益に反するとその加盟国が認める情報の提供を要求すること
(b) 加盟国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要と認める次のいずれかの措置をとることを妨げること
 (i) 核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置
 (ii) 武器,弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行われるその他の物品及び原料の取引に関する措置
 (iii) 戦時その他の国際関係の緊急時にとる措置
(c) 加盟国が国際の平和及び安全の維持のため国際連合憲章に基づく義務に従って措置をとることを妨げること

本件パネルは、同条がGATT21条(b)(iii)と同一の文言であることから、ロシア・貨物通過事件が後者の解釈において示した判断枠組みをそのまま踏襲した(注7)。すなわち、

①事態が客観的に「国際関係の緊急時」に該当するか
②問題の措置が「国際関係の緊急時」に取られたものか
③例外を援用する当事国が「安全保障上の重大な利益」を明示したか
④「安全保障上の重大な利益」の保護に問題の措置が必要か

の4つのステップで安全保障条項適合性を判断すると説示した(7.241–7.242)。

まず、①については、ロシア・貨物通過事件パネルの解釈を踏襲し、「国際関係の緊急時」は「実際または潜在的な武力紛争、緊張または危機の高まり、あるいは国家を取り巻く包括的な不安定性の状況(a situation of armed conflict, or of latent armed conflict, or of heightened tension or crisis, or of general instability engulfing or surrounding a state)」を意味し、「防衛・軍事あるいは法・公序の維持といった特定の種類の関心(particular types of interests for the Member in question, i.e. defence or military interests, or maintenance of law and public order interests)」を惹起するものであると解釈している。また、こうした懸念に関係しない政治的・経済的不和は「国際関係の緊急時」に該当しないと説示している(7.245)。

その上で本件パネルは、2017年6月5日の外交・領事関係の断絶は関係国間の危機時の最終手段であって、武力紛争時にも外交関係が維持される昨今では例外的であることを指摘し、また国連憲章41条が平和に対する脅威や侵略行為等から平和・安全の維持・回復のために取り得る措置として、経済関係・運輸通信手段の中断、および外交関係の断絶を挙げていることにも言及した。さらに外交関係断絶の背景として、カタールが地域の安全保障と安定に対処するリヤド協定を拒否し、テロや過激派を支援しているとサウジアラビアが主張していることを指摘した。これらのことから、カタール危機は「国際関係の緊急時」に該当すると認定した(7.257–7.268)。

②については、「国際関係の緊急時」は2017年6月5日以後継続し、beINの知財侵害が問題となるbeoutQの創業は同年8月以降なので、両者に同時性があると認定した(7.269)。

③については、これもロシア・貨物通過事件パネルの解釈を踏襲し、「安全保障上の重大な利益」は国家の「本質的機能(quintessential function)」に関する狭い範囲の利益であると定義する。柱書の自己判断的文言から何がこの「安全保障上の重大な利益」に該当するかは当事国の判断によるとしながら、(b)(iii)の誠実解釈の義務から、これを明示する義務があるとした(7.249–7.250)。

本件ではサウジアラビアは「安全保障上の重大な利益」をテロ・過激派の危険からの自衛と説明したが、カタールはこれでは不明確であると異議を唱えた。パネルは条文からそれ以上の説明義務を加盟国に課す根拠がないとし、ロシア・貨物通過事件パネルが「安全保障上の重大な利益」の明示が「最低限満足のいくもの(minimally satisfactory)」であるか否かを基準としたことに触れた。その上で、この明示義務は特に負担の重いものではなく、パネルの限定的な審査にのみ服することが適切であると説示し、サウジアラビアの説明を受け入れている(7.279–7.281)。

最後に④についてもロシア・貨物通過事件パネルの解釈を踏襲し、措置と「安全保障上の重大な利益」の関係には「最低限の真実味が求められ(a minimum requirement of plausibility)」、措置と緊急事態が「かけ離れ、また無関係(remote from, or unrelated to)」ではなく、問題の「安全保障上の重大な利益」の保護のための措置であることが「信じがたい(implausible)」ものでなければよいと説示した(7.252)。

本件パネルは、民事裁判による救済の妨害は、サウジアラビアがカタール危機時に取ったカタール人の入国・滞在禁止により裁判所へのアクセスが制限され、またサウジアラビア国民のカタール国民との交流禁止によりサウジアラビア人の弁護士によるbeINの代理を禁止した結果である(つまり、カタール人が入国およびサウジアラビア人と接見できないので、カタールの権利者はサウジアラビアの裁判所に出頭できないし、サウジアラビア人の弁護士に委任できない)、と認定した。入国・滞在禁止および交流禁止はカタール危機時の包括的措置の一部であることから、民事救済の妨害が「安全保障上の重大な利益」の保護のための措置であることは信じがたいものではないと認めた(7.285–7.288)。

他方、刑事罰・刑事手続きの不適用については、サウジアラビアがカタール人との交流なしに独自に実施できるので民事救済の妨害と同様に論じられないこと、beoutQがカタール以外の第三国の権利者の権利侵害を行っていること、そして、刑事罰・刑事手続きの不適用と包括的措置とのその他直接的関係をサウジアラビアも説明してないことから、④のテストをクリアしないものと認定し、TRIPS協定73条(b)(iii)による正当化を認めなかった(7.289–7.293)。

本件判断の解説

本件判断は上記のようにおおむねロシア・貨物通過事件パネルの判断を踏襲している。理由は同事件と異なるものの、まず政治的紛争であるが故の司法判断適合性の否認およびパネルの判断回避の裁量については、これらを否定した。すなわち、DSU6条1項に適合した付託事項によってWTO協定違反の申し立てが行われれば、パネルは安全保障条項に関わる紛争であっても必ず判断する。

また、安全保障条項の解釈、適用もロシア・貨物通過事件パネルの判断枠組みを踏襲しており、TRIPS協定73条(b)(i)〜(iii)該当性は客観的に判断する一方、(b)柱書については自己判断的文言により誠実審査を行う。しかしこの(b)の解釈・適用については、いくつか注目すべき判断が含まれている。

第一に、安全保障条項の法的性質と挙証責任の配分である。本件パネルは問題の措置のTRIPS協定違反を認定した後に、同73条適合性を検討した。これは通常積極的抗弁であるGATT20条の一般的例外に見られる検討の順序である。あくまで当事国に争いがないことを前提としてこれを採用しているが、実際本件パネルもTRIPS協定73条を「例外」として位置付けていることから、この順序を採用したものと理解できる。仮にTRIPS協定73条を「例外」と位置付けることが同条は積極的抗弁であることを意味するのであれば、被申立国(本件ではサウジアラビア)が措置の同条適合性の挙証責任を負うことになる。

他方、安全保障条項は一次規範であると性質決定されることがあり、その場合は安全保障条項の範囲にある措置には義務の適用除外になる(注8)。すなわち、申立国が被申立国の措置が一次規範である安全保障条項の範囲内にないことを先に立証しなければ、パネルは義務違反の判断に進まない。ロシア・貨物通過事件パネルはこの点を明確にしていないが、あたかもGATT21条が一次規範であるかのように、先に同条適合性を判断している。この点において、両者の判断は対照的である。

もっとも、本件パネルが安全保障条項を「例外」と位置付けることは、必ずしも挙証責任配分を予断するものではない(注9)。この点については、今後の明確化が待たれる。

第二に、「国際関係の緊急時」の判断である。クリミア危機とカタール危機では、領土の併合や国連総会が認める武力紛争が実際発生しているか否かで決定的に異なる。言い換えれば、クリミア危機は、ロシア・貨物通過事件パネルが言うところの、戦争・武力紛争「そのもの(hard core)」だった(注10)。本件パネルも述べるように、経済的・政治的不和は「国際関係の緊急時」に該当しない。カタール危機はこの点一貫して外交上の紛争の域を出ず、その意味で、経済的・政治的不和の域を出ないようにも評価できるが、本件パネルは外交関係の断絶が最終手段であり、例外的であることを理由に、「国際関係の緊急時」への該当性を認めた。

第三に、「安全保障上の重大な利益」の明示義務である。本件パネルは、「安全保障上の重大な利益」の明示につき、ロシア・貨物通過事件パネルが「最低限の満足」基準を採用したことに準じている。しかし、同事件パネルは「国際関係の緊急時」の重大性と明示義務に比例関係を求めており(注11)、必ずしもいかなる場合にも最低限の説明義務で満足することを示唆するものではなかった。特に同事件ではあくまで戦争・武力紛争「そのもの(hard core)」であるクリミア危機を前提にしてこのような基準を用いたのであって、この点は本件とは異なる。上記のように具体的な武力行使と領土の併合は起こっていない点で、クリミア危機との比較で言えば本件の緊急度は明らかに低いが、本件パネルはこの点をまったく斟酌していない。もし関連する「国際関係の緊急時」「最低限の満足」基準がひとり歩きすれば、「安全保障上の重大な利益」の明示要件のハードルは著しく下がることになる。

第四に、上記③と④の齟齬である。③では「安全保障上の重大な利益」をテロ・過激派からの自己防衛と位置付けたが、条文の文言からすれば、④ではこの利益と問題の措置、つまり知財保護の懈怠の関係に最低限の真実味があるか否かを検討すべきであろう。しかし、本件パネルは④では2017年の外交関係断絶に際して取った包括的な措置の一部であるかどうかを検討しており、③の認定と整合性が取れない。

実はこの③と④の関係はロシア・貨物通過事件においても明確でなかった。同事件においてロシアはかたくなにクリミア危機について明示的な言及を避け、また何が「安全保障上の重大な利益」であるかを特定していない。そのため、パネルも「安全保障上の重大な利益」を特定せず、よって、クリミア危機(2014年の事態、と間接的に表記)との関係において、間接的に「安全保障上の重大な利益」の存在を認めるよりほかなかった。よって、④については同事件ではクリミア危機と措置の関係を検討せざるを得なかった。

しかし本件では、パネルが指摘するようにこの点は上記のロシア・貨物通過事件とはまったく異なっており、サウジアラビアはテロ・過激派の危険からの自衛を「安全保障上の重大な利益」として明示している(7.280)。その意味において、本件パネルは条文の文言のとおり、「安全保障上の重大な利益」の保護と措置の関係の説明に「最低限の真実味」を検討すべきであった。

最後に、④の具体的な適用の結果、刑事手続および刑事罰の不適用については、安全保障条項による正当化を認めなかった。パネルがTRIPS協定73条(b)柱書における誠実審査は単に形式審査でないことを明確にした点は評価できる(ただし、上記のように③との齟齬において④の検討自体には疑問は残る)。

本件の示唆―日本政府は日韓問題にどう対処すべきか―

今後わが国は、輸出管理見直しに関する日韓紛争において、このGATT21条およびTRIPS協定73条を援用することになる。本件判断で両条文の(b)柱書適合性のハードルが上がった点、下がった点がそれぞれわが国の主張にどのように影響するかは、多分に事実関係と双方の主張に依存するので予断できない。また、当該紛争においては、日韓関係の悪化は政治紛争の域を出ず、ロシア・貨物通過事件で指摘されたように、それでは(b)(iii)の射程を外れることになる。従って、わが国が他のサブパラグラフを援用することを前提とすれば、本件ならびにロシア・貨物通過事件パネルにおける「国際関係の緊急時」を前提にした(b)柱書の解釈・適用を準用することには、慎重でなければならない。加えて、本件も上訴される可能性が残されており、その場合は上級委員会が機能停止に陥っている現状からすると、本件判断が確定するまで数年単位の時間を要する。

こうした限界を踏まえつつ、あえて本件判断が有する示唆を論じると、まず、対韓輸出管理見直しの背景となる「安全保障上の重大な利益」の説明義務については、本件パネルの「最低限満足のいくもの」基準であれば、例えば不安定な朝鮮半島情勢の一般的説明で十分に事足りることになろう。一方で、「安全保障上の重大な利益」と措置の関係については、本件パネルが誠実審査は形式的な審査に止まらない姿勢を明らかにしたことを受けて、パネル判断の趨勢を楽観することはいっそう慎むべきだ。2019年7月にわが国の輸出管理強化に際して一部政治的目的を疑わせる言動が政府内にあったが、これらが誠実審査においてわが国の主張を害することのないよう、パネルでは「安全保障上の重大な利益」と対韓輸出管理見直しの関係を十分に丁寧かつ明晰な説明する必要がある。

また、本件では安全保障条項を例外と位置付けており、もしこれが積極的抗弁と性質決定されれば、適合性の挙証責任をわが国が負うことになる。この点はまだ安全保障条項の一次規範あるいは二次規範としての性質が確定していないことから、わが国としては安全保障条項を前者であると主張の上、韓国に不適合性の挙証責任を負わせることが本来は最適となる。しかし、本件の第三国参加意見書でわが国は安全保障条項を例外として扱う立場を主張しており(7.6 fn.216)、対韓案件でこれと矛盾する主張を展開することは困難であろう(注12)。

司法判断適合性については、安全保障条項の援用あるいは紛争の政治的性質のいかんにかかわらず、パネルの管轄権不行使は期待できないことはいっそう明らかになった。さる2020年6月29日に開催された、対韓案件のパネル設置を審議するWTO紛争解決機関(DSB)会合において、日本はGATT21条に言及しつつ、従来どおり貿易管理措置に関する紛争がWTOに付託されることに遺憾の意を表している。このステートメントに米国が支持を表明したと報道されるが(注13)、正確に米国の発言を読み解けば、自国の232条措置パネルを見据えて、これまでの主張同様、安全保障条項に関する司法判断適合性およびパネルの管轄権を否定する意見を繰り返したに過ぎない(注14)。本件およびロシア・貨物通過事件パネルがいずれもまったく米国の意見に沿った判断をしなかったのは、周知のとおりだ。確かに安全保障関連の紛争をWTOで争うことは望ましくないことは事実であり、わが国のDSBでのステートメントはその意味で政治的言説としては妥当だが、米国の「支持」に意を強くし、パネルで正面からパネルの管轄権を争うことは賢明とは言えない。先行する2件の判断からすでに明らかなように、もはや徒労に終わる公算が高く、むしろこの2件におけるわが国の第三国参加意見との矛盾を指摘されかねないリスクを負う。

最後に、本件もまた今後上訴されるか否か予断できないが、上級委員会が機能停止状態にある現在、仮にパネルで敗訴した場合にどうするかをあらかじめ検討しておくことも必要だろう。日本も韓国も現時点ではEUを中心に締結された多国間上訴代替手続(MPIA)(注15)に加入しておらず、日韓紛争パネル報告までに上訴手続が再開しない限り、上訴は実質的な紛争の棚上げを意味する。仮に敗訴の場合に、日韓関係の政治性からわが国には上訴しない選択肢は取りにくい一方、MPIAにも参加せず、米国がもたらした上級委員会の機能不全に便乗して問題を先送るとすれば、WTOによる法の支配の重視を標榜してきたわが国のスタンスとの一貫性を厳しく問われることになろう(少なくとも韓国は国際社会に向けてそのように批判するだろう)。これに対してわが国がどのように正当性をもって答えるかの検討は必須だ。

***

日韓紛争のみならず、今後冒頭に触れた232条パネル、そしてカタール危機に関連してアラブ首長国連邦・物品、サービス及び知財関連措置事件(DS526)パネルと、今後も安全保障条項適合性の判断を要する案件が控えている。その解釈をめぐって、通商と安全保障の緊張関係の今後の展開が引き続き注目される。

脚注
  1. ^ 筆者も含めて、GATT21条その他安全保障を理由とした義務の免除・不適用を規定する「安全保障例外」と記述することがあるが、後に論じるように、その性質について例外か適用除外か法的性質が定まっていない。よって、本稿では中立的に「安全保障条項」と記述する
  2. ^ なお、同一の措置に対するカナダおよびメキシコの申立については、当事国間で相互に満足すべき解決に至り、実質的な判断に至らずパネルは終了している。Panel Report, United States – Certain Measures on Steel and Aluminium Products, WT/DS550/R (July 11, 2019); Panel Report, United States – Certain Measures on Steel and Aluminium Products, WT/DS551/R (July 11, 2019).
  3. ^ Panel Report, Russia – Measures concerning Traffic in Transit, WT/DS512/R (Apr. 5, 2019).
  4. ^ Request for the Establishment of a Panel, Japan – Measures Related to the Exportation of Products and Technology to Korea, WT/DS590/4 (June 19, 2020).
  5. ^ 川瀬(2018)、川瀬(2019a)、川瀬(2019b)。
  6. ^ 詳細は中谷(2017)堀拔(2017)参照。
  7. ^ 判断の詳細な紹介と分析は川瀬(2020)を参照。
  8. ^ Continental Casualty Company v. Argentina, ICSID Case No. ARB/03/9, Award, ¶¶ 163–164 (Sept. 5, 2008); CMS Gas Transmission Co. v. Argentina, ICSID Case No. ARB/01/8, Decision of the ad hoc Committee on the Application for Annulment, ¶¶ 129–132 (Sept. 25, 2007).
  9. ^ Appellate Body Report, European Communities – Measures Concerning Meat and Meat Products, ¶ 104, WT/DS26/AB/R, WT/DS48/AB/R (Jan. 16, 1998).
  10. ^ Russia – Traffic in Transit (Panel), supra note 3, ¶ 7.136.
  11. ^ Id., ¶¶ 7.135–7.137.
  12. ^ 本件では、2019年7月9日・10日に第一回パネル会合(口頭聴聞)が行われ、その前に第三国参加意見書が提出された。わが国の意見書は公表されていないが、同じタイミングで提出されるはずの米国の第三国参加意見書は同年6月5日付になっている。対韓貿易管理見直し問題勃発のおよそひと月前であり、その時点ではわが国は自らの安全保障条項援用を意識するよりも、米国の232条措置を念頭に、謙抑的な安全保障条項の援用を念頭に置いた議論を展開したものと思われる。
  13. ^米、日本支持を鮮明に 日韓紛争『WTOにそぐわず』」時事通信2020年6月30日。
  14. ^ U.S. Says WTO Cannot Review Japan’s Use of National Security Exception, INSIDE U.S. TRADE, July 7, 2020.
  15. ^ JOB/DSB/1/Add.12 (Apr. 30, 2020).
参考文献

2020年7月14日掲載