日本農政の底流に流れる“小農主義”の系譜

執筆者 山下 一仁 (上席研究員)
発行日/NO. 2017年6月  17-J-040
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概要

国民の間で日本農業は小農が支えているという認識には根強いものがあり、これが農業の改革を阻害してきた。農業経営の規模を拡大して、農業をより効率化し、その競争力を向上させようとすると必ず「小農切り捨て」という批判が上がる。この批判は農業界からのみならず、一部のマスコミからもいわゆる知識人と言われる人たちからも行われ、多くの国民の共感を呼んできた。ほとんどの国民が農業や農村から離れ、その実態を見たり聞いたりすることがなくなったからである。今では小農はいても貧農はいない。むしろ、兼業農家である小農は規模の大きい専業農家よりも高い所得を得ている。農村で農家は少数派になっている。しかし、実態と異なるイメージに多くの国民は惑わされている。

明治年間において“小農主義”を唱えたのは横井時敬(東京大学農学部教授、東京農業大学初代学長)だった。彼の“小農主義”は地主階級の利益と結びついていた。貧しかった小農を保護するというものではなく、それを圧迫していた地主階級のための主張だったのである。小農主義が地主制と結びつくには、経済学的に十分な理由があった。戦後経済が復興する中で、戦前と同様“小農主義”が特定の農業勢力と結びついて展開されるようになった。東畑精一によって「日本経済史上の1つの奇跡」と呼ばれた柳田國男や石橋湛山らの農政思想と横井の小農主義を対比しながら、日本農業界における“小農主義”の継承について分析を行う。