経済学から見た労働時間政策

執筆者 樋口 美雄  (慶應義塾大学)
発行日/NO. 2010年2月  10-J-010
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概要

昨今、日本では長時間労働問題を解決するために、種々の取り組みが政府によって実施されている。こうした取り組みは、時には個々の経済主体の自由な取引を阻害する可能性があるが、本稿では、経済学の基本的な視点に立ち戻り、はたして政府の労働時間決定への介入は、どのような時に正当化されるのか、そしてどのような政策手段によって介入することが効果的であるのかを考察する。その結果、他の一般的な財の取引と違って、人間の心身から切り離すことができない「労働」といった特殊性の取引においては、経済学でいうところの「市場の失敗」が発生しやすく、とくに生存に最低限必要となる所得や余暇時間が存在する場合、「低賃金・長時間労働」が発生したり、労使間に「交渉上の地歩の差」が存在し、労働時間には左右されず人員の増減によってのみ多額の「準固定費」が発生したり、労働市場が流動化しておらず個別労使間で交渉が行われる「相対(あいたい)取引」であったり、チーム作業が求められる場合、個々人の契約が他の労働者に影響をもたらす「負の外部効果」が生じる場合、政府による労働時間への介入が必要となることが示される。しかしこうした条件の成立可能性は、経済成長やグローバル化の進展、職務の高度化、多様化とともに変化し、労働時間政策の必要性や内容も変わってくることを、法学における主張と対比しながら検討する。そして最後に、労働時間決定への政府の介入は、労働者等に利益をもたらす一方において、そのやり方によっては使用者や他の経済全体に不利益が発生する可能性があり、時には雇用者数の削減など労働者にとっても問題が発生することもある。政府はこれらの点も考慮に入れながら、労働時間政策を実施することが求められる。