日本の産業調整援助

執筆者 小宮 隆太郎
発行日/NO. 1992年10月  92-DOJ-44
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概要

経済発展の過程で「趨勢的」不況に直面した産業から、労働をはじめ各種の「資源」が他の産業に円滑に移動することは国民経済にとって望ましいことである。市場経済ではこのような産業間の資源移動は本来、プライス・メカニズムによって行われるが、さまざまな人為的障害と移動コストのためにこれが円滑に行われないことがある。そこでこのような障害を取り除き、さらにコストの負担能力が低い当事者に代わってコストの一部を公的に負担することによって、趨勢的不況産業から他の産業への資源移動を促進するのが「産業調整援助」の政策である。「産業調整援助」は「衝撃緩和」「構造改善」とともに「不況産業対策」の構成要素の一つと考えることができる。

最近の日本で行われてきた「不況産業対策」には三つの段階がある。第一次石油危機後の不況対策として1978年に制定された法律に基づくもの、それらの時限立法が切れる1983年に制定された法律に基づくもの、そして1985年秋以降の急速な円高を背景として1987年に制定された法律に基づくものである。それらには「衝撃緩和」「生産効率改善」「産業調整援助」の三種類の政策が含まれている。

「不況産業対策」の具体的内容として、「不況カルテル」「投資制限」「設備廃棄・買い上げ」「輸入抑制のための国境措置」「企業の再編成・統合」「生産性改善」「事業転換」「不況地域への工場の誘致」「労働移動に対する援助」などが行われてきた。それらば「低利融資」「利子補給」「債務保証」「税負担の減免」「補助金・助成金の給付」といった手段を使って行われてきた。

日本の「産業調整政策」には四つの特徴がある。第一に、産業調整は市場システム・民間企業が中心になって行われてきた。そして政府の産業調整援助を受けた産業は日本経済全体から見ればごく一部であった。その手段も市場メカニズムを通じて作用するインセンティブ政策が中心であった。日本で産業調整が順調に進んできた背景には、日本のマクロ経済パフォーマンスが概して良好であり、一方である産業が衰退するときに、他方では目ざましく成長する産業があったことが挙げられよう。第二に、国境措置はほとんど実施されなかった。第三に、不況対策はつねに期間を限って実施されてきた。このことが比較優位を失った産業からの資源移動を促進した。第四に、不況産業対策の「基本計画」の情報機能が重要であったと考えられる。不況産業の援助について「基本計画」が作成される過程で関係主体間で情報の収集と伝播、相互説得が行われ、それが産業調整に大きな役割を果たしてきた。