日韓経済関係:現実とその認識

執筆者 松本 厚治
発行日/NO. 1992年12月  92-DOJ-41
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概要

戦後の日韓の経済関係は、発展途上国と先進国間の関係としては、最も成功したものの一つになった。国交が回復された1960年代半ば以降、韓国の対日輸出と対日技術導入、日本の対韓投資のいずれもが飛躍的に増加している。長らく停滞を続けていた韓国経済も、同じ頃から高度成長を開始し、産業構造の急激な高度化も達成された。対日経済関係の深化と韓国経済の発展はほぼ同時に始まり、両者が互いに因となり果となって他を牽引していった。同時代の他の先進地域と周辺発展途上国の関係と比べ、日韓の経済関係が特異な成功事例になったことにはそれなりの理由がある。

この60年代半ばは、日本の輸入自由化が行われた時期でもあった。その前は、輸入は日本政府が編成する外資予算の範囲で行われ、韓国側が努力したところで対日輸出の増大には限界があった。韓国経済が離陸を始めたちょうどその時に、この制約が取り払われたというタイミングの一致をぬきにして対日輸出の急増は考えられない。60年代の後半には日本の経常収支の黒字が定着し、資本輸出の条件も整のい、韓国への直接投資や技術移転の流れも急増した。

韓国経済の高度成長と日本経済の国際化は同時に生ずる必然性はなく、これは意義の大きい偶然であった。

また韓国の工業化の基地として日本は好都合な条件を備えていた。これほどコンパクトにまとまった外国の工業地帯が至近距離にある発展途上国は、韓国以外にはない。日本の製造業は、品質、価格、デリバリーなどの面で優れ、資材や用役の供給を日本から受けること自体が、韓国産業の競争力を高めることにもなった。日本市場は各業種がワンセットで存在し、競争も激しく売り込みにくいと言われるが、調達する側から見れば日本で揃わないものは余りなく、しかもそれらが相互にかみ合うようになっているという点でも、有利であった。直接投資についても、アメリカ企業が重視する出資比率に日本企業はそれほど拘わらず、これは韓国人が経営に参加し経営のノウハウを学ぶことを容易にした。日本の言語、制度や慣習に馴染んでいる厚い層が存在したことは、日本への売り込みや合弁、技術導入を図る上に有利に働いた。

日本が韓国にモデルを提供したという点もある。これにより政策立案に伴う試行錯誤を省けただけでなく、日本製品の北米における販売網を踏襲するなどにより具体的次元でのコストの削減も可能にした。

以上のように韓国経済の発展は、近隣に日本という工業化の基地が存在したことが一つの要因としてあげられるべきである。しかし対日経済関係が、韓国経済の発展を制約してきたという奇妙な通念が韓国にある。これを支えるのは、日本の市場の閉鎖性のために韓国は累積貿易赤字に苦しんでいるという、「貿易逆調」論と、ブーメラン効果をおそれて日本は対韓技術移転に消極的であるという認識であるが、これらはどれも根拠に欠ける。現実から遊離した日韓経済関係についての認識は、日本にかかわることを何かと悪く描き出し、またそれを信じようとする韓国国民一般の心理の反映と考えられる。