1980年代の日本の産業政策

執筆者 小宮 隆太郎/横堀 恵一
発行日/NO. 1990年5月  90-DOJ-15
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概要

第二次世界大戦後の日本経済の発展、その主要な原動力となった製造業の発展に鑑み、日本政府の産業政策が世界の多くの人々の注目を集めるようになった。しかし、多くの誤解も存在する。本稿では、日本の産業政策がどのような機能を果たしてきたかについて、1980年代を中心に述べる。

日本の産業政策の手段として大きな役割を果たしてきたのは「ビジョン」の提示である。「ビジョン」は指令的性格を持たず、幅広い有識者の意見を反映した重要な将来予測情報の一つとして民間企業経営者に受け取られる。「ビジョン」は産業政策の基本的方向を示し、産業政策当局にとっても、税制・金融等の産業政策上の措置の立案実施上の指針となる。

産業政策の対象として大きな重要性を占めてきたのは(1)研究開発の促進、(2)産業調整援助、(3)貿易摩擦への対応、及び(4)規制緩和の四つの領域である。研究開発促進のために通産省が行ってきた技術開発援助政策のうち、通産省による研究開発組合の設立の支援は、民間部門の研究開発活動の「呼び水」として、そのコストを上回る社会的利益率をもたらす場合が少なくない。これまでのところ、共同研究のために効率性が低下したり、企業選択の公平性が損なわれるというような問題は生じていない。

日本の産業政策は、基本的に市場メカニズムを主体に運営されてきた。ただし、需給条件の急激な変化の影響を緩和するために、一時的措置である産業調整援助が、主として中小企業の事業転換の援助という形で行われてきた。産業調整政策の対象となった産業から他産業への資源移動を促進するため、臨時立法による特定産業の過剰設備の廃棄、労働者の雇用転換対策がとられてきた。一般に日本の産業調整援助では輸入制限、関税賦課等の保護主義的措置はとられず、かつ、産業調整の期間は限られている。長期的な産業構造調整の政策は、産業調整援助を通じてではなく、個々の民間企業の自助努力を促す「ビジョン」の提示等の情報を通じて行われる。

いわゆる「貿易摩擦」の事態に対処するための日本側の輸出抑制措置は、しばしば恒久化しがちであり、透明性や時限性の確保が必要である。半導体に関する日米間の「貿易摩擦」は、国際的な寡占的産業に対する産業育成政策および寡占対策について国際的調整のルールを検討する必要性を示唆している。

「規制緩和」は、1980年代の国際的な潮流であり、産業政策においても例えば石油産業において進展した。市場機構に対する信頼の回復を背景として過度の行政介入を不要とする考え方が有力になり、従来基礎的物資における国際的寡占企業あるいは産油国のカルテルへの対抗力として正当化されてきた石油産業への規制は大幅に緩和された。

なお本稿では1980年代の日本の産業政策の内容・特徴を概説を目的とし、特定の地域の産業発展のための政策や中小企業振興のための政策などは取り上げず、又、産業政策上の各種の措置が関連産業に及ぼした効果や、ひいては日本経済に与えた影響についての「評価」には立ち入らなかった。