Research & Review (2004年6月号)

WTO体制下のセーフガード-現状と課題

川瀬 剛志
研究員

本誌2002年1月号で紹介されたように、大学での研究生活にあった筆者は、01年9月より2年間経済産業省において通商政策の立案・遂行に携わる機会に恵まれたが、着任早々に放り込まれたのが当時政治化していた日中ネギ等農産物セーフガード問題の渦中であった。当初は異なる勤務環境に何から何まで戸惑いの連続だったが、環境の変化ばかりがその原因ではなかった。

研究生活においてWTO法の展開を外からフォローしてきた筆者にとっては、戸惑いはむしろ、自身に割り振られた役割の中で「果たして日本政府は適正にセーフガードを発動できるのか」との疑問から生まれるものであった。やがてこの日中紛争は01年末に両国閣僚レベルでの妥結に至るが、それから3カ月と経たない翌02年3月上旬、我が国は米国の鉄鋼セーフガードの被発動国となった。筆者は攻守所を変えて今度は他国のセーフガードをWTOで争う立場に立ち、協定整合的なセーフガード発動の難しさを改めて痛感した。

02年8月に、筆者は経済産業研究所に非常勤のコンサルティングフェローとして迎えられたが、この問題意識を共有した荒木一郎上席研究員(現・横浜国立大学助教授)と研究会を組織した。今回この成果を、荒木氏との共同編集により、経済産業研究所政策分析シリーズ「WTO体制下のセーフガード制度・実効性ある制度の構築に向けて」(東洋経済新報社、2004年7月刊)として、世に問うことになった。本稿では同書に対する導入として、このプロジェクトの問題意識を読者諸氏に紹介したい。

GATT1947下のセーフガード

対中調査の1件のおかげで、セーフガードは生活に根ざした国民的な関心事項となった。当時は新聞や経済誌はもとより、主婦向け生活誌の誌面を賑わすこともあった(*1)。従って、本誌読者諸氏には自明かも知れないが、簡単にセーフガードについて説明しておきたい。

1948年に現在のWTOの前身たるGATTが発効して後、8回にわたる多角的通商交渉の結果、各国の関税率は相当低下した。自由化が国民経済一般に好ましいことは疑う余地はないとしても、予期せぬ事情で大幅に(特に短期間に)輸入が増加した場合、輸入品と競合する国産品の売れ行きが落ち込み、生産者が重大な損害を被ることがある。この場合、「息継ぎ」の時間を国内産業に与えるべく一時的に輸入制限が許されるが、これがセーフガードである。

筆者が法学部生として初めてGATTに触れた1980年代後半、セーフガードへの通り相場の評価は「抜くに抜けない伝家の宝刀」として、あまり注目を集めない政策課題というものであった。おりしも時期は輸出自主規制(voluntary export restraint―VER)全盛期であり、我が国も自動車、鉄鋼、工作機械、半導体など、主要産品の対欧米輸出数量を制限した。繊維分野ではこうしたVERを多角的繊維取極(MFA)として多国間で制度化し、GATTとは全く別レジームでの世界大の数量管理を実現した。さらに農業については、米国のようにGATT上の義務免除(ウェイバー)を取得するか、我が国を含め多くの国々のように違法な残存輸入制限を維持するなど、事実上法の支配の埒外におかれていた。従って、こうした輸入自由化の影響に対して本来敏感な産業については、セーフガードは必要とされなかった。

また、この時期はこうした規制下にない産品については、反ダンピング税・相殺関税が多用された時期でもある。セーフガード発動には、貿易自由化にあたり予見されなかった事情による輸入増加や重大な損害の発生を要求される。さらに、もっぱら輸入国の一方的な事情で自由化のコミットメントを撤回することから、他の産品の自由化をもって輸出国に代償を与えるか、無理なら輸出国から対抗措置としてセーフガード措置と同等の通商制限を甘受しなければならない。このため、セーフガードは一般に反ダンピング税に比べて使いにくいと認識されてきた。

WTO設立とセーフガードの「復興」

こうした状況を受け、セーフガード制度の活性化による国際通商体制の健全化をめざし、ウルグアイ・ラウンドにおいてはセーフガード協定が策定された。すなわち、反ダンピング税の濫用やWTO枠外の灰色措置を規制し、さらに繊維・農業といったセンシティブセクターにおける貿易秩序もWTO体制内に取り込み、一層の自由化を図った(繊維協定および農業協定が制限撤廃および段階的自由化を規定)。その一方で、要件を明確化し、代償・対抗措置を部分的に制限することで、一時的で透明性のある保護手段としてセーフガードを適正に発動できるよう、セーフガード協定を定めた。

その結果、WTO発足後セーフガードは以前に増して援用されることとなったが、他方でセーフガードの多用、特に基幹産業やセンシティブセクターにかかわる措置の発動は、加盟国間の紛争を引き起こすこととなった。例えば、96~7年の米国のトマトに対するセーフガード調査については、フロリダの冬季トマト栽培を営む農家の圧力を背景として、問題は米墨間で政治化した。先に触れた01年の我が国のネギ等セーフガード調査・暫定措置発動についても、個別案件への言及は「異例」とされながらも、01年秋の小泉=江沢民会談で取り上げられた。さらに米国鉄鋼セーフガードは、日本を含め、EC、中国ほか各国の強い反発を招き、報復のための譲許停止(いわゆるリバランス)や、貿易転換への対応を理由としたセーフガードの連鎖を引き起こした。また、中国のWTO加盟はその競争力により「脅威」となりうるとの認識から、中国の加盟議定書に規定される特別セーフガードに対して、我が国でも、そして米国でも、生産者や政治の期待は極めて高い。

これらの例が示すように、今日ではセーフガード措置の発動(とりわけ貿易大国によるもの)は、テレビや一般紙でも注目を集めるトピックスとなり、セーフガード発動そのものに対する賛否は、先に述べたように「お茶の間」レベルで広く国民的な議論を呼んだ。さらに、先に挙げたふたつの事案については、極めてハイレベルの政治的関心事項となったことも、セーフガードの通商政策手段としての重要性を高める結果となった。

現行制度のほころび

こうしてセーフガードが注目を集め、また本来の役割を期待されてくると、どうしても目立つのは現行制度のほころびである。本来GATT19条に規定されるセーフガードの発動要件は抽象的で分かりにくく、WTO発足に伴ってセーフガード協定がこのGATT19条の「適用のための規則」(前文)として制定された。しかしながら、セーフガード協定が実施細則としての機能を持つものとしても、やはりそれ自体一般的・抽象的な書きぶりでしかない。

先に触れたように、セーフガードの多用はこれをめぐって加盟国間の紛争を引き起こすが、さらにWTOの発足に伴い自動化・司法化による紛争解決手続の実効性が向上したことから、相次いでセーフガード関連の事案がWTOに付託された。むろん、実定法の不明確さはある程度司法プロセスでの解釈で補われるべきであり、とりわけWTOの紛争解決手続は協定解釈を通じた加盟国の権利義務関係の明確化に資する機能を具備する(*2)

しかしながら、紛争解決パネル・上級委員会は政策的に合理的な解釈・運用を行っているのか、その判断は各加盟国発動当局に対してセーフガード適用の適切な指針となっているのか、さらにはそもそも協定の文言は解釈により補足すれば適正に運用される程度にきちんと詰められているのかといった点につき、批判的な見方は少なくない。冒頭に言及した役所勤めに感じた筆者の「戸惑い」の正体は、実務においてセーフガード協定を具体的に国内実施する際、明確な適用の指針が条文からも先例からも得られないことに他ならなかった。

この点をもう少し具体的に説明したい。例えば、セーフガード発動に際しては、輸入増加が求められる。この増加とは、先例では「直近、突如、急激にして相当」な増加と解釈されているが、いったいどの程度の期間に何%程度の増加が求められているのだろうか。「重大な損害」とはセーフガード協定には「著しい全般的な悪化」と定義されるが、例えばいったいどの程度失業率が上がれば、あるいはどの程度損益が悪化すれば十分なのだろうか。また、パネル・上級委員会はセーフガード協定が検討を要求する経済指標のすべてについて悪化を要求していないが、だとすればどの指標の動向が重要視されるべきだろうか。

むろん、これらについて一律の基準はなく、基本的には、こうして定性的に示された増加や損害の定義にある程度合致する事実が発生していることを、調査当局が合理的な証拠の裏付けをもって説明することが求められている。しかし、ある加盟国のセーフガード発動について事後的に協定整合性をパネルが審査するとき、当局の検討した証拠がその事実認定に対して一体どの程度厳密な説明能力を有することが求められるのか(いわゆるパネルの審査基準)について、必ずしも明確ではない。ある数字なり資料なりの解釈やある事実との結び付け方は、幾通りも考えられる。

次に、セーフガードは「国内産業」に重大な損害が起きていることを要件とするが、このときの「国内産業」とはどのように定義されるのだろうか。特に、川下・川上産業の関係をどう理解したらいいのだろうか。例えば羊肉の輸入が増加すれば、それだけ国内の牧羊農家に打撃を与える。この場合、羊肉の輸入増加に対して、損害を受ける産業は食肉生産業者のみならず牧羊農家も含まれると定義することは一見論理的であるように見えるが、パネル・上級委員会は生きた羊と羊肉は同種の産品ではないとして(同一の市場で競争関係にあるかどうかは判断せず)、このような議論を退けている。先の米国・鉄鋼セーフガードについても類似した問題が提起されたが、この点について上級委員会は判断を避けている。

現行制度の一番の問題点とされるのは因果関係論である。輸入増加と「重大な損害」が発生しているとして、セーフガードはこの間に因果関係がなければ発動が認められない。国内産業への損害は、放漫経営、過剰な設備投資、不景気による需要の縮小等、輸入増加以外の要因でも起こりうる。このため、損害の原因の明確な峻別が要求され、輸入増加以外の原因に損害を帰責することは厳禁される。しかし複雑に絡み合う要因をいかに切り分け、損害全体のうちどれだけが個々の要因に帰すべきかを決定するのは容易ではない。にもかかわらず、上級委員会は単に「要因の峻別を行っていない」と調査当局を批判するのみで、具体的な方法論を示すに至らず、敗訴した被申立国の不満は並々ならぬものがある。

これまでのところ、セーフガードに関する紛争は8件(繊維セーフガードを含めると11件)で判断が示めされているが、すべての案件において問題のセーフガード措置が協定違反とされた。にもかかわらず、加盟国はそこから適正なセーフガードの発動について学ぶことができない。このように、現行協定の解釈は迷走しており、シカゴ大学法科大学院のサイクス教授は、この状況を policy at sea と痛烈に批判する(*3)

さらにこのほかにも、完全に起草の誤りとしか思えない条文の矛盾や制度設計そのものに瑕疵が見られる。例えば対抗措置の発動期限についても、現行協定の書きぶりは矛盾しており、このことが米国・鉄鋼セーフガードでは関係国間で争点となったことは記憶に新しい(*4)。また、セーフガード協定は構造調整の重要性と国際市場における競争促進の必要性を前文で謳いながら、構造調整義務を明確に課しておらす、セーフガードが所与の政策目的を果たすことが制度的に保証されていない。

今や誰の目にも明らかなように、現行のセーフガード協定は不備であり、改正を必要としている。

国際経済法研究と新しいセーフガード制度の構築

このような状況を受けて、国際経済法研究におけるセーフガードへの関心は高い。例えば、オランダ・ハーグのPeace Palace LibraryのWTO文献目録サービスを見ると(*5)、90年代末からセーフガードに関する論文や学術書の刊行が目に見えて増えている。この点は我が国でも同様で、日本国際経済法学会は2002年秋にセーフガードについてのシンポジウムを開催し、その成果は昨秋刊行された(*6)

我々の研究プロジェクトはこうしたセーフガード研究の隆盛を受けて、先述の現行のセーフガード協定の抱える問題点を、法実証主義的な解釈法学の立場から体系的に整理し、明らかにすることを試みた。このことにより、今後の我が国におけるセーフガード発動、ひいてはWTOにおけるセーフガード協定の改正に向けて示唆を与えることを目指した。また、必要に応じて法解釈の分析的枠組みを越えて、政策的見地から妥当な協定解釈を提示し、また制度設計を提案した部分もある。

もちろん本書が全ての課題に答えるものではないが、主要な論点をめぐるセーフガード協定約10年の展開をある程度網羅できた議論となっているものと自負する。上梓の際は読者諸氏のご批判を仰ぎたい。

脚注
  • *1 例えば『通販生活』2001年冬号3頁以下。
  • *2 小寺彰『WTOの法構造』87-93頁(2001)。
  • *3 Alan O. Sykes, The Safeguards Mess: A Critique of WTO Jurisprudence. University of Chicago Law School John M. Olin Program in Law & Economics Working Papers (2nd Series) No.187 (2003)
  • *4 川瀬剛志「米国鉄鋼セーフガード紛争が残した課題・リバランスの成功とセーフガード協定の限界・(上)」(経済産業研究所『今週のコラム』No.110, 2003)
  • *5 http://www.ppl.nl/bibliographies/wto/
  • *6 「セーフガードの意義と課題―国際経済法学と経済法学の交錯」『国際経済法学会年報』第12号1頁以下(2003)。

2004年7月12日掲載