米国鉄鋼セーフガード紛争が残した課題-リバランスの成功とセーフガード協定の限界-(上)

川瀬 剛志
研究員

11月最終週、弊所研究プロジェクトの調査のため、WTO事務局のあるスイス・ジュネーブを訪れると、思わぬ事態に遭遇した。12月1日にWTO紛争解決機関(DSB)において米国の鉄鋼セーフガードを協定違反とする上級委員会報告の採択が予定されていたが、これを10日間延期してくれるよう、米国自身が求めてきたというのである(Inside US Trade, Nov. 28, 2003, at 1)。出国前、筆者は経済産業省勤務時代に親交のあった各国の現地駐在WTO紛争案件担当官と再会の約束を取り付けていたが、彼らの何人かが本件の対応に追われたおかげで面会の予定が大幅に狂い、歯噛みする思いだった。その際彼らは口々に、「一体10日間で何ができるのか? 撤廃などできるわけはないだろう」と、苦々しげにこの採択延期要請の意味をいぶかった。

筆者がその「意味」を知ったのは、12月1日、成田から帰宅直後に友人からのメールを開いた時だった。意外なことに(おそらく誰にとっても)、消息筋によればブッシュ大統領が措置の完全撤廃を検討しているというのである。その真偽については揣摩憶測が飛び交ったが、12月4日、果たしてその通りになった。

興味深いことに、大統領声明によれば、措置撤廃はあくまでも「セーフガード措置が所与の目的を達し、経済状況の変化の結果として」決定されたものであり、公式にはWTOによる協定違反の判断の結果でも、ましてや対抗措置(リバランス)の圧力の結果でもない(驚いたことに、大統領はこの2点に言及すらしていない!)。ゼーリック米通商代表も、プレスとの会見において、この2点が措置撤廃の根拠でないことを躍起になって主張したが、内向けの政治的「歌舞伎」とはいえ、その姿は滑稽ですらある。

措置撤廃を促したリバランス

ブッシュ政権がどのように取り繕おうとも、この早期撤廃をもたらした理由がやはりリバランスにあることは、誰も否定できないところであろう。セーフガード協定にはWTO下の他の協定には見られない独自のリバランス制度が規定されており、セーフガードにより自国の輸出利益を侵害された加盟国は、反対にセーフガード発動国からの輸入に対し、自国が侵害されたものと「実質的に等価値」の譲許や義務の停止(すなわち関税引き上げや輸入数量制限)を課すことができる(8条)。

今回のリバランスは最大10カ国(共同申立国+オーストラリア、台湾)から発動される可能性があり、分けても22億ドル分のリスト[PDF:129KB]を用意したECから受ける圧力は相当のものであった。ECの用意したリストは繊維製品や柑橘類を含み、ブッシュ政権支持基盤の南部、特に前回大統領選で熾烈な選挙戦が繰り広げられ、大統領の実弟ジェブ氏が知事を務めるフロリダ州に打撃を与えるものであった(日経新聞12月6日付朝刊7面、朝日新聞12月6日付朝刊11面)。

また、ECは昨年6月に制定したリバランスに関する理事会規則[PDF:129KB]において、米側措置のWTO違反確定から5日後の自動発効を規定している。理事会規則であるということは、これを覆すにはEC委員会の行政判断ではなく、再度閣僚理事会による極めて高いレベルでの政治決定を要することを意味している。つまり、ECは正に退路を断ってこのリバランスに臨み、これが効を奏したといえる。

更に、米側措置の関税水準と同等にした、と説明されるが、結果としてECの関税率設定は巧みであった。禁止的(つまり輸入が効果的に止まる)関税水準は20%とも30%ともいわれているが、域内への影響を勘案しながら品目によって税率を変えているものの、ECのリバランス・リストは多くの産品について30%の追加的関税を課税している。リバランスの総額は関税徴収額(当該品目の近過去の貿易額×関税率)を基本にして計算される。この時、20~30%の課税で輸入が実質的に止まるのであれば、一品目についてことさらそれ以上高い税率を設定せず、むしろ品目を多く選んだほうが、相手国への経済的打撃が大きくなる。ECはこの原則を忠実に実施したのである。

また、EC以外の関係諸国による対米包囲網も着実に狭まっていった。まず日本は、11月26日付でWTOへ追加的に通報したリストは農産物こそ含んでいないものの、南部の共和党支持基盤に効くとされる繊維製品を含む。中国も11月18日に米国が発動を決定した対中繊維特別セーフガードに反発して、同20日に商務省次官がリバランス発動に言及している。更に、ノルウェーも11月21日にリバランス発動を政府決定した。

加えて、自動車、産業機械など、米国内の鉄鋼ユーザーのセーフガード存続への強い反発も相俟って(日経新聞12月10日付夕刊3面、日経新聞12月5日付夕刊3面)、ラム肉や小麦グルテン、溶接ラインパイプといった過去の米国のセーフガード案件と比べて、著しく早い撤回がもたらされたのである。

明白になった現行制度の不備

しかしながら他方で、本件が現行のリバランス制度の不備を明らかにしたことにも注意しなければならない。

もともとセーフガード協定8条の文言は不出来であるため、リバランス発動の手順が明らかではない。リバランスは、問題のセーフガード措置が輸入の絶対的増加を理由として発動され、なおかつ協定違反がない場合、3年のモラトリアムがかかる。この協定違反の判断は、紛争解決了解(DSU)23条(一方的措置の禁止)により加盟国が一方的に行うことは禁じられていることから、通常はパネル・上級委員会による紛争解決手続の結果を待つことになる。

しかしながら、他方でリバランスはセーフガード発動後90日以内の発動を義務づけられており、通常1年半程度かかる紛争解決手続の終了を待っていては、輸出国はその権利を失ってしまう。したがって、輸出国は独自に輸入国のセーフガード措置の協定整合性を判断すること、つまりDSU23条という極めて重要なWTOの基本原則を犯すことによってしか、この権利を適切に行使できない。

このような協定の不備に対し、日本はWTOにおける紛争解決手続の終了までリバランスの権利を留保することを通報し、その後に発動は可能である、という独自の協定解釈を示した。また、ECは形式的に90日以内に関税引き上げを行うことなく権利行使(専門的にいえば、関税譲許のみの停止)を行ったこととし、実際の税率引き上げを紛争解決手続終了後まで待った。この解釈には専門家からも賛否両論が示され、適切な条約解釈の範囲内でこれを正当化できるかどうかについては論議の余地はあろう。ただ、幸いにして、今回は実際に各国がリバランスの発動に至っていない(また、冒頭に述べたように撤廃に際して米国自身がリバランスを無視した)ことから、この解釈の正当性はWTOで問われることはなかった。しかしながら、今回の結果はともあれ、このように法的安定性を欠いたままでは、リバランスは本来の機能を損なわれることになりかねない。

また、日本およびECのセーフガード協定8条の解釈が正しいとしても、紛争解決手続の消尽をリバランス発動の前提としていることから、機動的にこれを行使することができない。今回の米国の措置についても、多くの専門家から発動当初から協定違反の可能性が指摘されていたが、結局本格的なリバランスの発動は措置発動から1年9カ月後まで待たなければならなかった。メキシコが先月のDSB特別会合(いわゆるDSU交渉)に提出したペーパーは、DSUを最後まで完遂して紛争を解決する場合では二国間協議から4年以上かかっており、その間の関係事業者の損失は巨額に及ぶことを指摘している。リバランスは正にこうした事態を回避する有効な手段たり得るが、解釈によって紛争解決手続と結びつけられることで、その機能が大幅に減殺されていることは否めない。

セーフガード濫用回避のため、リバランスの強化を!

以上のことから、今回の米国の措置のような明白な違反に対しては、リバランスはもっと強化されてよい、と筆者は考える。もともとリバランスはGATT19条3項aに起源を有するが、これがセーフガードの発動コストを上げ、加盟国がVER(輸出自主規制)に逃避するという認識から、現行のセーフガード協定では一定の制限を設けた。しかし、91年当時、現行協定の草案を見たシカゴ大学ロー・スクールのサイクス教授は、リバランスを制限すればVERは減ってもむしろセーフガードの濫用は増加するだろうと警告した(Alan O. Sykes, Protectionism as a 'Safeguard': A Positive Analysis of the GATT 'Escape Clause' with Normative Speculations , Univ. Chicago Law Review Vol. 58, p.255 ff (1991))。

再三WTOにおいて違反の判断を受けながら、米国がセーフガードの適用について法制度も慣行も変えようとはしない現状は、91年当時のサイクスの指摘は一面正しかったことを裏付けている。特に協定整合性が3年間のモラトリアムの条件となってしまったことから、リバランスが時間のかかる紛争処理手続と結びつけられ、パネル・上級委員会の結論が出されるまで、明らかに違法なセーフガードの「やり得」を誘発している。

もともとのGATT19条のリバランスの哲学は、相手のセーフガード措置の協定整合性には無関係であり、単純に輸入国側の事情で反故にされた通商上の利益バランスを回復するという、極めて価値中立的なものであった。かかる現状では、思いきってこの基本に立ち返り、セーフガード協定8条における協定整合性の判断を紛争解決了解23条と切り離してもよいのではないか。

しかしながら他方で、今回米国が措置の撤廃にあたり、鉄鋼輸入に関するライセンス制の維持および輸入動向の監視を発表し、更に今後のダンピング防止税の課税強化がささやかれている。制度的不備とは裏腹に功を奏してしまったリバランスは、このような思わぬ副産物、つまり加盟国にセーフガードを回避させ、より保護主義的な措置に向かわせる結果を生みつつある。

次回へ続く

2003年12月16日

2003年12月16日掲載