経済学から見た二重債務問題:新規ローン促進に節度を

内田 浩史
神戸大学教授

植杉 威一郎
ファカルティフェロー

東日本大震災からの復興では問題が山積しているが、中でも二重債務問題は重要である。震災前から借り入れを抱える企業・家計が復旧・復興のための新たな借り入れをすると、返済負担が二重になり事業・生活に多大な支障が生じかねない。二重債務問題に対しては、既存(旧)債務の整理、新債務の負担軽減のための対策案を政府がまとめ、必要な立法・予算措置をとっている。

本稿では二重債務問題について、みずほ総合研究所の小野有人氏、学習院大学の細野薫氏、日本政策投資銀行の宮川大介氏とともに、企業の問題に絞って経済学の観点から検討した内容を紹介する。

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経済学の観点から見てまず注意すべきなのは、一般にいわれる「二重債務問題」の中に、3つの異なる問題が含まれていることである。

第1に、資金の有効利用の問題がある。資源配分の観点から見た場合、被災企業が再スタートを切る際に必要な資金を調達できない、つまり「実行すべきローンが実施されない」という問題で、「第1種の過誤」と呼ばれる。「実行すべきローン」とは、返済が見込める、すなわちその借り入れによって展開される事業から生まれるキャッシュフローの正味現在価値(NPV)がプラスとなるローンを指す。

旧債務は経済学的にはサンクコスト(すでに投下されてしまった費用)であり、新規ローンについてはこれを除いて評価する必要がある。旧債務の整理がつかないために将来性のある事業への融資が実行されなければ、被災企業、ひいては被災地の復旧・復興も進まない。

第2に、第1種の過誤とは逆に、NPVがマイナスの「実行すべきでないローン」が実施されるという「第2種の過誤」の問題がある。事業不振企業が起死回生を狙って調達するリスクの高い借り入れ、悪用を企図した借り入れ、借り手が返済努力を怠るケースも含まれる。関東大震災時の震災手形の経験からも分かるように、震災後の資金繰り支援策は、それ以前から事業不振状態にある企業の延命策となる危険がある。第1種の過誤を防ぐ政策も、行きすぎれば不良債権を増加させ、将来に禍根を残しかねない。

第3に、被災者の旧債務を処理(償却)する際に、その費用を誰がどう負担するかという問題がある。これは資源配分の問題ではなく、サンクスコストの分担、すなわち負の所得分配の問題である。債務者、債権者、政府(納税者)など多くの利害関係者が絡むことも解決を困難にする。

3つの「二重債務問題」はそれぞれ異なる理由で発生し、対処法も異なる。まず、第1種の過誤は、主として4つのケースで発生する。

1つ目は、将来収益の一部が旧債権者への返済に充てられるために新規ローンの返済が見込めないケース(デットオーバーハング問題)。この場合、旧債務が免除・軽減されれば新規ローンが実行されるため、再建型倒産手続きに基づく債権整理、私的整理ガイドラインなどに基づく私的な債権放棄、新規ローンのノンリコース(非遡及)化、債務株式化(デット・エクイティ・スワップ)などによる旧債務の劣後化などが有効である。岩手県などで設立予定の債権買取機構にも、こうした役割が期待される。

2つ目は、金融機関のリスク管理の実務上、旧債権償却により借り手の債務者区分が引き下げられ、新規ローン供給が困難になるケース。これを防ぐためには旧債権の償却と独立に新規ローンを評価する必要がある。

3つ目は、新規ローンによる事業継続が地域経済や取引先などへの外部(波及)効果を持つケース。サプライチェーン(供給網)のハブ(拠点)企業の場合など、新規ローンの供給が社会的に望ましくても、民間金融機関が波及効果まで考慮して融資することは難しい。もっとも、外部性は二重債務問題に限って発生するわけではなく、本来その対処は政府の役割である。幅広い観点から財政支出など他の施策なども含めて対応すべきだ。

4つ目は、震災により金融機関の資金供給能力が失われたケース。今回の被災地で主に資金供給を担う地域金融機関は貸出先の地域分散が難しく、震災によって不良債権比率が上昇し、リスクテーク能力が低下している。これらの金融機関によるリレーションシップバンキング(地域密着型金融)を、被災地の借り手情報を蓄積していないメガバンクなどが直ちに代替することは難しい。

この点で金融機能強化法の特別措置に基づき、被災した金融機関の資本増強の道を広げたことは評価できる。また、不良債権の増加は自己資本比率維持のための不良債権処理先送りや追い貸しという形で金融機関のモラルハザード(倫理の欠如)につながる可能性もあり、この点でも資本増強は重要である。

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第2種の過誤については、震災後の新規ローンに対する安易な政府補助(金利補助や信用保証など)に起因する借り手・貸し手のモラルハザードとして発生する可能性がある。このため借り手・貸し手双方にある程度リスクを負担させることが望ましい。震災復興を目的とする以上、出口戦略も明確にすべきであろう。

最後に既存債務の費用負担問題については、誰もが納得する公平な負担方法は存在しない。また各主体の負担能力、債務者に保障すべき生活水準、私有財産の公的補償の可否、他の災害時の補償との公平性といった点も考慮する必要がある。この中には二重債務問題に対する金融支援ではなく、むしろ財政支援など他の方法で対処すべき問題もある。大局的な見地から、民主主義的な手続きを踏んだうえで、しかも遅滞なく政治的に決断する必要がある。

以上の通り、政府の対策には第1種の過誤の防止、旧債務処理の促進という2つの目的がある。ただし、安易な補助が第2種の過誤のリスクを招かないようにする必要がある。

東日本大震災では第1種・第2種の過誤のリスクをどう考えるべきだろうか。前者は、既存債務は多いが、震災後も収益性の高い新規事業が見込まれる企業が多いほど発生しやすい。逆に、既存債務が多く、収益性も乏しい企業が多ければ、新規ローンの促進策は後者の問題を招きやすい。

表は、東日本大震災、阪神大震災、新潟中越地震の被災地所在企業について、震災前の自己資本比率と売上高営業利益率を、同時点の全国企業と比較したものだ。過去の震災と比べて東日本大震災の被災地企業は、自己資本比率が全国比で平均的に低い(債務が多い)ため、今回の震災では二重債務問題が深刻である可能性が高い。他方で今回の被災地では企業の平均的な利益率が低く、事業不振期業が多いことが示唆される。

表:被災地企業と全国企業の自己資本比率・売上高営業利益率(%)
表:被災地企業と全国企業の自己資本比率・売上高営業利益率(%)

これらの結論は、分布をより詳細に見た場合にもほぼ同じとなる。このため新規ローンの促進策をやみくもに拡大すると、かえって第2種の過誤を招きかねないので、慎重な制度設計が求められる。もちろん、この示唆はあくまで資源配分の観点から得られるものであり、所得分配の観点から見た対策の必要性を否定するものではない。ただしその場合には前述の通り、金融支援以外の方策も検討されるべきであろう。

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これまでの政府の対策はどのように評価できるだろうか。政府は補正予算(第1次・第2次)に、震災復興のための緊急保証制度や政府系金融機関の特別貸し付けなど、新規ローンの供給支援策を手厚く盛り込んだ。第1種の過誤については十分に手当されているといえる。

被災者への配慮を十分に尽くすべきなのは当然だが、その半面、支援策の対象となる企業の範囲が広すぎる、政府による信用保証割合が100%であるなど、第2種の過誤に対する配慮が不足していることが懸念される。また、旧債務の費用負担問題を解決するため、ひいては第1種の過誤を防ぐためにも旧債務の負担軽減策を早期に決定する必要があるが、対策は遅れている。

最後に、二重債務問題の有効な解決策が被災地域の再生と復興であることはいうまでもない。インフラ整備、復興特区における規制緩和などにより将来性のある民間事業を増やすことは、二重債務問題の軽減にも有効である。第3次補正予算を含め、今後はこれらの点に十分配慮した対策の策定・実施が求められる。

2011年10月10日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2011年10月28日掲載

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