企業の資金繰りと企業間信用
景気後退の時期に常にクローズアップされるのが、企業の資金繰りの問題である。近年では2008年9月のリーマンショック後の景気後退により企業の資金繰りが悪化し、さまざまな政策的対応がとられた。日本銀行短期経済観測(短観)の資金繰り判断DIを見ると、企業規模・製造業非製造業を問わず2008年12月調査時点において急速に悪化している(図表1)。
企業の資金繰りに影響する要因はさまざまであるが、中でも重要なのが企業間信用に関する要因である。企業間信用は、企業間の取引における支払いを将来に先延ばしにする、いわゆる掛け払いを行うことから発生するものであり、売り手にとっての売掛金・受取手形、買い手にとっての買掛金・支払手形に他ならない。中でも買掛金・支払手形は購入資金を借り入れることに他ならず、銀行借入と同様企業の負債項目の1つである。
景気後退に伴い掛け払いを断られたり支払期日の前倒しを求められたりして企業間信用の利用可能性が制限されると、企業は資金不足に陥る。ただし、不足した資金を他の資金調達手段、たとえば銀行からの追加運転資金借り入れによってカバーできれば、たとえ企業間信用の利用可能性が制約されても、資金繰りには問題ないはずである。とはいえ、企業間信用が利用できない企業は他の資金調達手段も利用できないかもしれず、企業間信用の不足は全体の資金繰りの問題を反映している可能性もある。
企業間信用と銀行借入の代替性・補完性
以上のような問題意識から、経済学においては銀行借入と企業間信用(買掛)とは代替的なのか、補完的なのか、という問いが示され、数多くの研究が行われている。たとえば諸外国ではGiannetti, Burkart, and Ellingsen (2011)、Molina and Preve (2012)(アメリカ)、Guariglia and Mateut (2006)、Bougheas, Mateut, and Mizen (2009)(イギリス)など多数があり、日本に関しても、Uesugi and Yamashiro (2006)、小川 (2003)、福田・粕谷・赤司 (2006)ほか多くの研究が行われている(詳しくは内田 (2013)参照)。
こうした研究は基本的に、買掛金・支払手形の額と銀行からの短期借入額との間の相関関係を調べているもので、正の相関があれば補完性、負の相関があれば代替性を表す証拠だと考えられる。しかし、数多くの分析が行われているにもかかわらず、得られている結果は一貫していない。つまり、代替性を示す結果を得た研究もあれば、補完性を示す結果を得た研究もあり、結論が得られていないのである。
このような状況に対して、内田 (2013)は既存研究の問題点を指摘している。それは、企業間信用と銀行借入の代替性あるいは補完性がすべて(少なくとも多く)の企業に共通していると暗黙に想定している点である。そもそも企業間信用と銀行借入とは、同じ短期的な負債であるとはいえ、企業から見れば全く性質の異なるものである。企業間信用を用いる動機と銀行借入を用いる動機は異なるはずであり(内田 2011参照)、企業によってどの動機が強いかどうかも異なるはずである。すると、代替的か補完的かは企業ごとに異なってもおかしくない。
2008、9年にRIETIが実施した2つの中小企業向けアンケート調査は、こうした予想が現実にも支持されることを示している(注1)。図表2は、これらの調査から得られるデータを用いて、2008年から2009年にかけての貸借対照表上の企業間信用(買掛金+支払手形)と銀行借入(短期借入)の変化額を計算し、その関係を調べた結果である。具体的には、企業間信用の[減少、変化無、増加]と銀行借入の[減少、変化無、増加]の9つの組み合わせについて、該当する企業数(割合)を示している。この表からは、企業間信用の額に変化が無い企業が全体的に少ない、という傾向はみられるが、それ以外に特定の組み合わせが特に高い頻度で見られるわけではないことが分かる。この結果は明らかに、両者の増減に明確な関係がないことを示している。つまり、上記の予想どおり、すべての企業に共通する代替、あるいは補完関係はみられないのである(注2)。

この結果は、実際に企業間信用と銀行借入とは性格が大きく異なり、それぞれが用いられる理由は大きく異なることを示している。このことは政策的にも重要な意味を持つ。それは、景気後退時における企業向けの資金繰り対策を行う場合、企業間信用に働きかける政策と、銀行借入に働きかける政策とで、効果が全く異なる可能性があるからである。
企業間信用の動因・・・Tsuruta and Uchida (2013)より
では、企業間信用にはどのような特徴があるのだろうか。この問いに対して興味深い分析を行っているのが、上記と同じく2008、9年のRIETIによる中小企業向けアンケート調査データを用いたTsuruta and Uchida (2013)である。同論文は、企業がリーマンショック後の景気後退というショックに対応するために、仕入れ先との間で取った実物的対策(具体的には仕入数量や価格の引き下げなど)および金融的対策(支払いサイトの延期、掛け払い比率の引き上げなど)と、企業間信用(買掛金+支払手形)の額の増減との関係を調べたものである。
実物的対策は企業間信用の背後にある取引の条件を変化させるものであり、取引額が絞られる結果、企業間信用額は減少するはずである。これに対して金融的対策はまさに金融面での調整であり、企業が企業間信用を通じて能動的に資金繰りを調整することを意味する。この調整は企業間信用額を増加させる方向に働くはずである。このように、企業間信用の動きには、その背後にある取引額の変化から受動的に影響を受ける部分と、資金繰りの調整により能動的に変化する金融的な部分の両方があり得るのである。前者は銀行借入にはない特徴であり、他の資金調達手段と企業間信用との大きな違いである。
Tsuruta and Uchida (2013)が明らかにした結果は次のとおりである。まず、実物的対策(仕入数量の減少)を取った企業は企業間信用が有意に減っていたのに対し、金融的対策(買掛金支払期日の延長)を取った企業は企業間信用が有意に増えていた。これらの結果は事前の予想通りである。しかし、金融的対策を取った企業よりも実物的対策を取った企業の方が数が多かった。この結果を定量的に示したのが図表3である(注3)。この図表は、2種類の対策の効果を分析対象企業全体で集計した結果を示したものである。

この図表からわかるように、サンプル企業全体(1638社)で集計すると、実物的対策による企業間信用の減少(260社合計約170億円)は、金融的対策による企業間信用の増加(19社合計約20億円)の約8.5倍にも及ぶ。このことは、企業間信用の主な変動要因は資金繰り調整のための企業間信用自体の条件変更、つまり金融的な動機ではなく、その背後に存在する実物取引の変化によるものであることを意味している。言い換えれば、少なくともリーマンショック後の日本においては、企業の資金繰りの調整のために企業間信用が用いられていたのではない。さらにTsuruta and Uchida (2013)では、資金繰りに関しては企業は銀行借入に頼っていたことを示唆する結果が得られている。
企業が資金繰りを改善するために企業間信用の支払い条件の緩和を求めることは、実際に難しいと考えられる。これは、支払いの繰り延べ等を求めることが仕入れ先に対して信用力悪化という悪いシグナルを発信することになり、その後の取引に悪影響を及ぼす可能性があるからである。企業の資金繰りを改善するためには銀行借入が重要であると考えられ、たとえば銀行借入を促進するような政策(信用保証など)が景気後退期の企業の資金繰りを適切に支えることができる可能性がある。ただし、リーマンショックは日本経済に対しては金融ショックではなくむしろ実物的なショックであり、銀行部門には大きな問題がなかった点には注意が必要である。もし金融危機が発生した場合には、資金繰りに関しては銀行を頼る、という道は閉ざされているかもしれず、その際には企業間信用の調整が重要になる可能性も完全には否定できない。
本レポートは「効率的な企業金融・企業間ネットワークのあり方を考える研究会」プロジェクトの成果です。