企業行動は変えられるか 先行き懸念強く 慎重姿勢

千賀 達朗
研究員

安倍政権の経済政策「アベノミクス」が始まって5年となる。日本経済は緩やかながらも景気回復基調が続いている。とりわけ円安効果もあり、企業収益や雇用の逼迫度合いは過去最高水準となった。

足元の企業業績改善が設備投資・所得・個人消費の拡大をもたらし好循環を実現できるか。現実には好調な企業業績や逼迫した雇用情勢とは対照的に、企業行動には慎重さがみられる。企業の現金保有が増加傾向をたどる一方、賃上げや設備投資は緩やかな伸びにとどまっており、そのことが政策実現のネックになっている可能性も指摘される。

企業行動は今後変わりうるのか。本稿では、筆者と張紅詠・経済産業研究所研究員、陳誠・香港大助教授が実施した企業サーベイの結果を紹介し、企業の慎重姿勢やその要因について考えたい。

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企業は事業計画策定の際、将来の事業環境をミクロレベルとマクロレベルの双方から点検する。また経済学者も、企業行動を動学的な視点から分析することを基本的な手法としている。様々な理論や実証分析は、企業が直面する将来の事業環境に関する不確実性は企業行動を慎重化させることを示してきた。さらに企業行動の慎重化は、資本や労働を企業間に効率的に配分するメカニズムを弱め、経済全体の生産性を低下させかねないことも指摘されている。

企業が直面する不確実性を正確に測るバロメーターは存在しないが、近年マクロレベルの不確実性を測る指数の開発が進んでいる。株価変動を利用したVIX指数(恐怖指数)や、「不透明」「不確実」といった単語が新聞で用いられる頻度を利用した経済政策の不確実性指数などだ。

他方個別企業が直面するミクロレベルの不確実性を測ろうとする試みも進んでいる。ニック・ブルーム米スタンフォード大教授を中心に各国でチームが組まれ、筆者も日本と英国で企業が直面する不確実性の計測を試みている。

具体的には企業サーベイを通じて、売上高の見通しなどについて5つのシナリオを尋ね、見通しのばらつき具合や偏りの情報を用いて、企業の主観的な不確実性指標を構築しようというものだ。例えば売上高見通しの分散が大きい企業は高い不確実性に直面している可能性があるとみる。

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筆者らは2017年10〜11月に経済産業研究所で「企業の事業計画と予測に関する調査」を実施した。為替レート、実質経済成長率、自社の売上高について「最も悲観的な見通し・悲観的な見通し・見通し中間値・楽観的な見通し・最も楽観的な見通し」の5つのシナリオを尋ねた。各シナリオがどの程度の確率で起きると想定しているか(予想確率)も尋ね、5つのシナリオと予想確率に基づいた主観的な確率分布を構築した。

実質経済成長率見通し(17年度と18年度の期間平均)について「見通し中間値」は1.05%と、企業サイドの慎重な予想が示された。一方「最も悲観的な見通し」は0.19%で、相応の下振れリスクがうかがわれるほか、「最も楽観的な見通し」が2.34%と、楽観的な見方でも成長期待は決して高くない(図参照)。

図:日本企業の実質経済成長率見通しと事業・経営環境の先行き見通し
図:日本企業の実質経済成長率見通しと事業・経営環境の先行き見通し
(出所)経済産業研究所「企業の事業計画と予測に関する調査」から筆者作成

英経済学者ケインズは、人々の期待の動きを「アニマルスピリット」と呼んだ。楽観にも悲観にも振れる期待がどのように形成され、企業行動に影響を及ぼすか理解を深めることは重要だ。調査では5つの売上高予測シナリオのどれを前提に設備投資・雇用計画を作成するかも尋ねた。結果、約8割の企業が売上高予測の「見通し中間値」を前提にすると答えた。「楽観的な見通し」に基づき設備投資・雇用計画を作成する企業は約1割と、アニマルスピリットに期待するのは難しそうだ。

事業・経営環境に関する先行き不確実性についても尋ねたところ、68.6%の企業が「やや不透明感がある」、15.3%の企業が「非常に不透明感がある」と回答した。

なお事業・経営環境に関する先行きについて「非常に不透明感がある」と答えた企業は「あまり不透明感はない」と答えた企業と比較して以下のような結果が確認された。(1)経済成長率見通しが低く、見通しの分散が大きい(2)自社売上高見通しの水準が低く、見通しの分散が大きい(3)雇用計画が低い―などだ。主観的な将来予測の分散を用いて不確実性を計測することの妥当性や、企業が直面する不確実性と成長予測、企業行動の間の負の関係などが示された。

企業が直面する不確実性の背景は何だろうか。これについても質問した。事業・経営環境の見通しに影響を与える項目(複数回答)として、60%の企業が国内経済成長率、49%が国内物価、35%が政府・日銀の経済政策を挙げた。政府・日銀の経済政策のうち事業・経営環境の見通しに影響を与える項目としては、73%の企業が税制(法人税、消費税など)、48%が労働基準・監督に関する制度、36%が金融政策を挙げた。

税制に関する不確実性が重要との結果は、13年に実施された森川正之・経済産業研究所副所長によるサーベイでも示されている。また同氏の研究では税制による設備投資、海外展開、採用計画に対する影響が指摘されている。

企業行動を変えるには、将来不安を払拭し成長期待を高める必要がある。これは小川一夫・関西外国語大教授による分析(17年12月22日付本欄)とも整合的だ。

加えて今回のサーベイでは、税制、雇用関連政策、金融政策に起因する不確実性がこうした企業の慎重姿勢に少なからずつながっている可能性を示唆している。

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これまでのアベノミクスでは「大胆な金融政策(第1の矢)」「機動的な財政政策(第2の矢)」「民間投資を喚起する成長戦略(第3の矢)」のうち、第1・第2の矢に焦点が当たることが多かった。危機からの脱出を図る異次元緩和や積極財政への期待が高かったことも背景にある。

他方、インフレ目標の未達、財政健全化の遅れ、緩慢な経済成長率を踏まえると、従来の第1・第2の矢で高成長を達成し、財政健全化も可能との見方は堅持し難い。財政健全化が進まない状況で、膨大なマネタリーベース(資金供給量)を今後どう処理していくのか。少子高齢化などの根本的な構造問題を抱え、消費税・法人税、社会保障制度をどうするのか。こうした将来不安が、企業が安心して賃上げや設備投資をできない状況を招いている可能性がある。

この5年間、財政・金融政策に頼りすぎ、規制緩和などの改革ベースが遅かったことも指摘したい。白川方明日銀総裁(当時)は10年12月の日経新聞のインタビューで「問題の本質は成長力の低迷」「税制や規制のあり方は企業の経営戦略に影響を与える重要なポイント。こうした実体的な問題に取り組まない限り、成長期待が高まらず、デフレも是正されない」と話している。当時も今もこうした成長戦略の重要性は変わっていない。

危機モードといえる従来の第1・第2の矢を正常化する前に、大胆な成長戦略を加速させ、中長期的な構造問題の解決に道筋を付けなければ、将来不安は払拭されず、企業が安心して賃上げや設備投資をできる環境にはならない。景気拡大が続く足元の環境を好機ととらえ、持続可能な金融・財政政策の中長期ロードマップを提示して市場との対話を進めていくことが、今後の成長戦略にとって重要だ。

2018年3月8日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2018年3月16日掲載

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