高齢者雇用の現状と課題 60歳代後半を「支える」側に

小塩 隆士
ファカルティフェロー

高齢化が進む中で社会保障の持続可能性を高めるには、給付の削減や負担の増加だけでは力不足だ。負担の担い手を増やすことも重要だ。中でも高齢者就業率の引き上げはかなりの威力を発揮する。社会保障給付の受け手が負担の担い手になれば、社会保障にかかる高齢化の圧力もかなり押し返せるからだ。

2018年2月に閣議決定された「高齢社会対策大網」は、70歳を超えても年金の繰り下げ受給を選択できるよう検討を求めた。それも契機となり、政府内で高齢者就業の拡大が重要な政策課題として浮上している。財政制度等審議会でも年金支給開始年齢の68歳までの引き上げ案が取り上げられた。高齢者就業率の引き上げ策は次回の年金改革で大きな焦点となるはずだ。

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高齢者就業率は最大限どこまで引き上げられるのか。高齢者に「もっと働いてください」とお願いしても、すべての高齢者がこれまで通り働き続けられるわけではない。健康面の制約のために仕事を辞め、労働時間や日数を減らさざるを得ない人も出てくる。

筆者は総務省の清水谷諭氏の協力を得て、健康面の制約だけを考慮したときに、高齢者の就業率が全体としてどこまで引き上げられるかを検討している。試算の手順を簡単に説明しよう。

まず厚生労働省「国民生活基礎調査」(16年)に基づき、50歳代の人たちの健康状態を調べる。同調査からは約40種の疾病に関する医師の診断や日常生活での支障の有無、主観的な健康感、入院、喫煙など、健康に関する個人ベースの詳細な情報が得られる。さらに厚労省「簡易生命表」(16年)から、各年齢層の平均的な健康状態を示すものとして平均余命を得る。そして50歳代の人たちの就業状態が多数の健康変数とどう関係しているかを計量モデルで調べる。

次に健康と就業の関係について、それ以上の年齢でも変化しないと仮定したうえで、60歳代の個人の実際の健康状態に当てはめて各人の就業確率を計算し、年齢階級ごとの平均値を求める。この平均値が健康面からみた各年齢階級の潜在的就業率だ。健康以外の要因は一切考慮していない点に留意すべきだが潜在的就業率が実際の就業率を上回る分だけ就業率を引き上げる余地があることになる。

図は男女別に試算した結果を示したものだ。男性の就業率は50歳代では90.2%だが、60歳代前半に75.5%、後半に52.5%に低下する。これに対して、健康面だけに注目した潜在的就業率は60歳代前半で87.8%、後半で86.2%までの低下にとどまる。

50歳代から60歳代にかけての健康悪化は総じて限定的だからだ。その結果、60歳代の就業率は前半には12.4ポイント、後半には33.7ポイント引き上げる余地があることが分かる。

図:60歳代の就業率はどこまで引き上げられるか
図:60歳代の就業率はどこまで引き上げられるか
(出所)厚労省「国民生活基礎調査」「簡易生命表」(2016年)を基に筆者試算

女性の場合、健康悪化のペースは男性と大差ないが、潜在的就業率の低下ペースはやや大きめとなる。ライフスタイルが男性より多様な分だけ就業が健康に左右されやすいためだ。60歳代の就業率を引き上げる余地は前半には10.5ポイント、後半には22.1ポイントと男性よりやや小さくなる。

健康以外の要因の影響は一切考慮していないので、結果の解釈は慎重でなければならない。それでも60歳代後半の男性で3割以上、女性で2割以上の人たちが、健康であるにもかかわらず就労していないと推計される状況は看過できない。もちろん就労していない人たちを非難することはできない。定年を迎え年金を受給できる年齢に達し、再就職の機会も限定的であれぱ、仕事を辞めて年金生活に入るのは極めて合理的な選択だ。

しかし社会全体からみればどうか。健康面からみれば社会を「支える」側に立っていてもおかしくない人たちを、「支えられる」側に移している現行制度には問題がある。政府の各種調査でも、健康なうちは働き続けたいと答える中高年回答者が多いことを考えればなおさらだ。

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ではどうすればよいか。最も直接的な解決策は年金支給開始年齢の引き上げだ。実際、15年前の01年のデータを基に今回と同様の方式で試算すると、60歳代前半で就業率を引き上げる余地は16年の方が幾分小さくなっていることが確認できる。01年に始まった年金支給開始年齢の段階的引き上げが、定年延長の流れや景気回復と相まって、60歳代前半の従業継続を促してきたことを反映している。

政府は年金支給開始年齢の引き上げには極めて慎重だ。代わりに、繰り下げ受給の上限年齢の延長が提案されている。だが現行の繰り下げ受給制度は魅力的でなく、適用者は極めて少ない。高めの賃金で働きながら年金受給を繰り下げようとすると、繰り下げによる給付の上乗せ分が削減されるからだ。

この仕組みは、賃金を得ながら年金を受給すると給付が削減される在職老齢年金制度との整合性を保つために設定されているようだ。そのため在職老齢年金制度が適用される場合と同じように就業が抑制される。

日本の高齢化の度合いやペースを考えると、年金支給開始年齢を一律に引き上げ、それにより増加する保険料収入や税収を給付額の引き上げに活用するのが正攻法だろう。年金給付水準を自動調節する「マクロ経済スライド」が本格的に稼働すると、裁定後の年金額はかなり削減されていく。さらに非正規雇用などにより保険料の拠出実績が乏しい現役層が増加し、「貧困の高齢化」が進む危険性も高まっている。

そうであるならば、年金による所得保障はより上の年齢層を対象とし、働く余力のある60歳代後半層は社会保障を「支える」側に回ってもらうという発想があってよい。

とはいえ年金支給開始年齢の引き上げは国民の強い反発を招く。諸外国でも実現までにかなりの時間がかかっている。実現するにはかなりの政治的エネルギーも必要だ。従って支給開始年齢引き上げの効果を補完するような方策があるのなら、その実現を目指すことも現実的な対応といえよう。その意味では、高齢者就業の拡大を改革の前面に打ち出すことは悪くない。

だがそれには現行制度の中で就業を抑制している要素をできるだけ排除する必要がある。在職老齢年金制度はその代表例だ。年金繰り下げ支給も現行のままでは就業促進につながりにくい。在職老齢年金制度の撤廃が前提となる。

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一方、高齢者の働き方も見直すべきだ。民間企業に対し定年のさらなる延長を求め、退職者をフルタイムの正社員として継続雇用することを要請しても限界があろう。

高齢者にとっても、高齢になれば企業に拘束されず、健康に無理が生じない形で、多様な生き方の中で就業を位置づけるというライフスタイルの選択があってよい。欧米では既に進んでいるが、これまで習得した技能や知識、経験を生かして、企業から業務を請け負って報酬を得るといったタイプの多様で主体的な働き方が高齢者就業をけん引するという展開が望まれる。

総務省「労働力調査」によると、17年には60歳代後半の雇用者のうち約75%が非正規雇用であり、過去15年間の同年齢層の雇用増全体のうち実に約82%が非正規雇用の増加で説明できる。定年後の再雇用が中心だろうが、この働きを高齢者の就業スタイルの多様化につなげられないか。高齢者就業率の引き上げを目指すなら、高齢者を「働き方改革」の主役とする必要もある。

2018年10月3日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2018年10月23日掲載

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