教育格差の処方箋 子供と過ごす時間の質高めよ

中室 牧子
ファカルティフェロー

「教育格差」という言葉が広く知られるようになってきた。出身の家庭環境により子供たちの教育機会に格差が生じることを指す。「家庭環境」が包含するものは一つではないが、多くの人は親の経済状況の影響を想起するのではないか。確かに経済的余裕が乏しいと子供の学校や進学などの選択肢が限られてしまう。これが貧困の世代間連鎖を生み出すというわけだ。

一見もっともらしいものの、親の所得は親自身の学歴や資格、能力など様々な要因で決まるから、そういったものが同時に子供の学力や学歴にも影響しているのかもしれない。親の所得が増加すれば子供の学力や学歴が高まるという「因果関係」があることを証明するのは容易ではない。

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経済状況の因果効果を見る一つの方法は、予期せぬ親の所得増が子供の教育に与えた影響を見ることだ。有名な研究としては、米ノースカロライナ州でカジノの利益が6カ月ごとに近隣の貧困世帯に分配された状況を利用したものがある。年間4千ドルの家計所得の増加は、子供が21歳時点の教育年数を約1年伸長させ、16歳時点で軽犯罪に関わる確率を22%も引き下げる効果を持つことを示した。

1990年代に実施された子供のいる貧困世帯への政策支援の効果を調べた7つの大規模実験をまとめた論文は、年間1千ドルの家計所得の増加は就学期の子供の学力を偏差値で0.5~0.6程度上昇させる効果を持つと結論づけている。このように貧困世帯に対する再分配は、子供の教育格差の縮小に資することを示す研究は少なくない。

加えて、教育格差が生じるメカニズムそのものに焦点を当てた研究も注目されている。住民税の支払い記録と国勢調査を照合し、貧困世帯の子供が「親よりも所得が高くなる確率」(=貧困の世代間連鎖から脱出できる確率)を推定し、これには大きな地域差があることを明らかにした。つまり貧困の世代間連鎖が生じやすい地域とそうではない地域があるというわけだ。

この論文の著者であるラジ・チェティ米ハーバード大教授らは、これを「近隣効果(neighborhood effect)」と呼び、親だけではなく地域からの影響も少なくないことを発見した。子供たちは親だけでなく、周囲の大人の背中も見て育つということなのだろう。

チェティ教授らはその後、政府の引っ越し支援により、貧困の世代間連鎖が生じやすい地域から子供が幼少期のうちに引っ越しをすれば、大人になってからの学歴や経済状況が改善することも明らかにした。

だがこうした研究に懐疑的な見方をする人もいるだろう。本当に「お金」だけの問題なのか。お金はなくても教育に熱心な親の下で育てば、子供の学力や学歴が高くなるかもしれない。

実際に米国で予期せぬ急激な景気悪化により、子供を持つ父親が解雇され、所得が大きく減少した状況に注目し、所得減少が子供にどんな影響を与えたのかを明らかにした論文がある。親の所得減少は子供の大学進学にはほとんど影響を与えなかったという。奨学金などの借り入れを増やすことで、子供に望む教育を受けさせたのである。この論文は、教育に対する親の考え方や価値観も重要な役割を果たすと主張している。

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経済状況のみが格差を拡大するわけではない点も重要だ。お金以外に、親の「時間」をどの程度、子供に振り向けるかという時間投資もまた格差の源泉となる。

毎日の時間の使い方について記録をつけた「生活時間調査(time use survey)」のデータを利用して、親の時間投資の効果を明らかにしようとした研究もある。これらの論文の結論は一貫しており、特に幼少期における親の時間投資の効果はかなり大きいという。

例えば16の欧米諸国の生活時間調査を用いて、国によらず、親の時間投資に共通のパターンがあることを見いだした論文がある。多くの国で親の学歴が高い方が、子供への時間投資が長くなる傾向があるという。特に母親については専業主婦か外での就労かよりも、学歴の方が時間投資との関連が強い。英国のデータをみると、学歴の影響が顕著なのは、本の読み聞かせや宿題の手伝いなどの「勉強」に投資する時間であり、親の学歴は美術館に行くことや屋外での運動などの「体験」に投資する時間にはあまり影響していない。

厚生労働省「21世紀出生児縦断調査」によれば、母親の学歴が高い方が、子供の勉強への時間投資が増えるのは日本も同じだ(図参照)。しかし母親が外で就労している方が、子供の勉強時間は少なくなる傾向がある。

図:母親の学歴・働き方による勉強と体験への時間投資の格差

一方、体験については、学歴の高い母親ほど熱心な傾向がある。また、むしろフルタイムで働く母親の方が、専業主婦の母親よりも積極的だ。このように日本は英国と異なり、学歴だけでなく、働き方や労働時間も子供への時間投資に影響している可能性がある。

体験への投資は子供の認知能力と非認知能力の両方にプラスの影響を与えることを示す研究が複数発表されている。よって子供を持つ親の長時間労働是正や働き方改革は、労働者としての親の負担だけでなく、子供と過ごす時間を増やすという観点で次世代にも良い影響があるかもしれない。

とはいえ、親の学歴による時間投資の格差は存在するし、経済的に余裕がない場合も生計維持に精いっぱいで子供と過ごす時間を十分にとるのは難しい。ところが時間投資の格差を解消する目的で導入された政策の多くは、これまで目立った成果を挙げていない。

本当に必要な支援を考えるうえで参考になる研究もある。デンマークで約1500人の小学2年生の子供を持つ親に実施された支援だ。親が子供と一緒に過ごす限られた時間の質を高めるためのヒントが書かれたパンフレットを配るというシンプルなものだった。

その内容は3つに要約される。第1に現時点での能力によらず、子供の読み書きの能力は鍛えて伸ばすことができる。第2に子供に本の内容を要約させたり、本の内容について質問を投げかけたりするなどの工夫により、子供が自発的に本を読む習慣を身に付けられるように仕向ける。第3に子供の読み書きの正確さやスピードを褒めるのではなく、本を読むという行為そのものを褒めてあげる。

親がパンフレットを受け取ったグループは、受け取らなかったグループと比べて、3カ月後の子供の国語テストの偏差値が2.6も高くなり、その効果は7カ月後にも持続していた。そして学歴や所得の低い親の子供ほど、パンフレットの効果が大きかったという。

つまりこの支援は、親が子供と過ごす時間の質を高めることで、子供たちの読み書き能力の全体的な底上げに成功しただけでなく、教育格差の縮小にも成功したことになる。こうした研究は、親の時間投資をより効果的なものにするために、政策的な支援として何ができるのかを考えるうえで重要なヒントになる。

2022年8月22日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年8月29日掲載

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