政権交代には、自分が何を欲しいのかを自覚した有権者が存在しなければならない。政治も商売と同じく、クライアントが何を望むかが全てなのである。今回はマニフェストの手法や民主・自由党合併も手伝って、政権交代も夢ではないといわれるが、それぞれの有権者が政権交代のもつ意味をどのように理解し、その理解を実行に移すのかが問われる。有権者はそこで、自分なりに欲しいものを精査しておかなければならない。
政権交代とは、絶対の正解が存在しない政策立案や政治システムの世界にあって、答えを探すための試行錯誤に必要なプロセスである。長期政権は必ず腐敗し、既得権益層を硬直化させる。それらを断ち切り、より多くの市民へ利益を転換するには、政権交代の繰り返しが必要になる。また政権交代は逆に、競争力のある野党を育てる。もし政治に拮抗する勢力が存在しなければ、国民に競って重要な情報を公開し、質の高い論争を展開する動機はなくなる。これは、民主主義の基盤である有権者の知識と意識の低下を招き、「エリート任せ主義」の政治に向かうことを意味する。
いま多くの国民は、確かに改革を望んでいる。旧来の財政構造や政・官・地方の関係などを放置すると、将来自分達の生活レベルがもっと落ちると予感するからである。かつて多くの有権者が政治家に望んでいたものは、中央とのパイプの太さだった。これは地方政府の権限が矮小で、様々な利便を中央から引き出す構造だ。新人候補に中央官庁出身者や議員二世が重宝されてきたのもこうした理由からだが、これに憤りを覚える草の根の有権者が、日本にはどれほど居るのだろうか。既得権益構造が日本を駄目にするというなら、地域の活動家を中央に送り出す努力を有権者が負わねばならない。中央ぶらさがりの甘えを、有権者自らが断たねばならない。
今年はマニフェストが人気だが、過剰な期待は禁物である。マニフェストには、選挙後の連立与党の組み方や野党との妥協のプロセスが抜け落ちている。また国政には外的要因に対処する外交や安保問題がある。さらに経済成長(ひいては財政バランス)など、政治がコントロールできないものを数値目標化しても、その通りにできるとは限らない。それよりも有権者としては、ルールや制度の変化が、実質的な政治環境・カネと権力の構図に影響を与える可能性が高いことを、認識しておきたい。
筆者は米国上院での仕事が長く、政権交代という局面も味わってきた。大統領が代われば数千人という政治任命職が入れ替わり、立法府の与野党が逆転すれば法案の内容や優先順位が変わった。それでも米国はしぶとく安定し続けている。競争力のある野党を有権者が育ててさえおけば、安心して政治家や政策を交代させることができるのである。遅かれ早かれ、日本もそんな時代を迎えるに違いないと期待している。
2003年10月27日 毎日新聞「論点」に掲載