給油問題に国連決議不要

小寺 彰
ファカルティフェロー

インド洋での海上自衛隊の給油活動を継続するかどうか国会で議論になっているが、国際法の視点に立てば、国連の決議の有無で、日本の給油活動が左右されることはない。インド洋沖で展開されているのは海上警察活動であり、戦闘行為と区別されるべきである。

法律論と政策論 混同せず議論を

テロ対策特別措置法、ひいてはインド洋上での米国軍艦などへの海上給油活動が、大きな政治問題になっている。「国連のお墨付きがない、米国の『戦争』に協力できない」という小沢一郎民主党代表の発言が契機となり、最近では、日本に謝意を表明した国連安全保障理事会決議も出た。

海上給油問題と、「国連」、「安保理」、「戦争」などはどう関係するのか。筆者には、法律論(国際法または憲法)と政策論が混在しているようにみえる。国際法または憲法上許されなければ政策論をやる必要はない。他方、国際法や憲法上で許されるなら、議論は政策論として戦わされなければならない。

小沢発言の論理を整理すれば、(1)米国が「戦争」をしている(2)日本の海上給油活動は「戦争」協力である、従って、(3)国連のお墨付きが必要であるということになる。

国連憲章上、武力行使は一般的に禁止され、例外として、個別的自衛、集団的自衛、安保理決議に基づく国連軍の武力行使または安保理決議に基づく多国籍軍による武力行使などが許される。安保理は、国際の平和と安全を扱う国連の主要機関で、元来は違法な武力行使を授権する権限までもつと考えられている。1991年の湾岸戦争では、安保理決議の授権に基づいて多国籍軍がイラクに対して武力行使を行った。このときは、国連憲章上禁止されている武力行使が安保理決議によって合法化された点がポイントである。今回の発言はこの帰結として主張されているようである。

テロに対する「戦争」という比喩が用いられるが、正確には、自衛隊の海上給油活動の対象は、戦闘行為に従事する外国軍艦ではなく、武器の流入・麻薬取引の阻止、テロリストの入国阻止を目指す海上阻止活動に従事する外国軍艦である。国際法上、軍艦は、公海上で民間船舶を対象に海上犯罪の防止や制圧のために海上警察活動を実施できる。今回給油の対象となる軍艦が従事している海上阻止活動は、この海上警察活動に当たる。

対イラクでも同じ考え可能

わが国では、武器の使用が武力行使とどう区別されるかが、よく問題になってきた。これは武力行使の能力をもつ自衛隊が同じ武器を、一方では武力行使として行い、他方、隊員の安全保持目的で使うから紛らわしいと考えられたからである。

しかし、警察官が犯人に拳銃を発砲したり、海上保安官が海上で民間船舶に対し小火器を使ったりしても、誰も武力行使とはいわない。これらは「警察活動」である。武器を使う場合も、武力行使に当たる場合と、武力行使ではない警察活動に当たる場合などがある(隊員の安全保持目的の使用も武力行使ではない)。海上自衛隊の給油活動の対象は、民間船舶対象の海上警察活動のために配備されている外国軍艦であり、他国軍隊を対象とした武力行使に従事する外国軍艦ではない。

軍艦や政府船舶には、国際法上、公海上での海上警察活動が認められている。現に海上保安庁も行っている。海上警察活動の許される範囲としては、排他的な管轄権をもつ自国船舶には無条件で許される。国際法では、公海は自由であり、公海上の船舶が所属国(旗国)の排他的な管轄に服することによってその秩序が維持されるのである。そのほか、旗国の同意を取り付ければ他国船舶に対して警察活動を行う、具体的には、乗員が乗船し、書類や積み荷を検査すること(乗船・臨検)はもとより、拿捕して自国または最寄りの港に引致することも国際法上許される。海賊行為や無国籍船舶の嫌疑のある場合など、限られた事項は、旗国の同意なしに、軍艦が嫌疑のある他国船舶に乗船し、臨検することも認められる(国連海洋法条約110条)。

戦闘行為、言い換えれば武力行使に従事する外国軍艦に、現地の海上で給油すれば、戦闘行為遂行上の不可欠性など、状況によっては、国際法上、それ自身が武力行使と評価される可能性があると考えられる。武力行使に当たる場合も一定の要件を満たせば当該行為は国際法上は正当といえる。国際法上の武力行使該当性の議論を離れて、国際法上正当な武力行使に従事する他国軍艦に自衛隊が給油することが日本国憲法で禁止されている武力行使にあたるかどうかという点はまた別の判断である。ちなみに武力行使と一体化する場合は許されないというのが政府解釈である。

現在テロ特措法に基づいて自衛隊がインド洋で給油活動しているのは、武器の流入阻止などを目的として活動する、まさに「海上警察活動」に従事する外国軍艦に対してであり、武力行使に従事する外国軍艦に対してではない。したがって、その軍艦への給油は、安保理決議の有無にかかわらず許され、各国の判断だけで可能である(当然、武力行使に従事する外国軍艦に給油活動ができるかどうかは別問題)。

国連が協力を要請することはあっても、国際法上適法な行為を行う外国に協力するかどうかを決めるのは、各国であり国連ではない。国連が支持する活動への協力について、国連のお墨付きをくれというと、国連自身が戸惑うはずだ。各国が自由に決めて良い事項について国連に決めてくれというのは、日本が主権国家であることを止めるといぶかられても不思議でないからだ。

安保理の決議はメルクマールに

テロを非難し、テロに対する戦いへの協力を求める安保理決議1368(2001年)や、アフガン国際治安支援部隊(ISAF)の授権期間延長を決定した、最近の安保理決議1776は、上記のような海上阻止活動も含めて、テロに対する各国の行動が、安保理の要請に基づいて実施されてきたものであり、かつその重要性が変わらず高いことを示すものと評価できる。しかし、この決議があるから海上阻止行動への協力が法的に許されるとか、許されないということではない。決議は、国連がそれを政策として評価していることの証しでしかない。

それではアフガン沖のインド洋上でなく、給油活動がイラク沖合だと事情が変わるのだろうか。イラクは「米国の戦争」と表現されていて、諸国がこぞって賛成したアフガンとは事情が違う。しかし、当初の米国によるイラク攻撃についてではなく、現在実施されている海上警察活動に従事する外国軍艦への海上給油を念頭におけば、その法的評価そして政策判断の枠組みはアフガン沖の場合と同じである。

自国船舶や旗国の同意を得た外国船舶、また国連海洋法条約110条で認められる場合については法的な問題はなく、協力の是非は、各国が種々の要素を判断して自由に決めればよいことだ。実はあまり注目されていないが、国連安保理はイラク復興に対して各国の協力を要請しており(例えば03年の安保理決議1511)、国連の姿勢もアフガンに対するものに近くなっている。法的に問題がないどころか国連も支持を表明している。

米国の攻撃時に限れば、イラクの場合とアフガンの場合とでは国際的支持は大きく違ったが、この差は武力行使についてのものである。武力行使とは区別される、その後に始まり現在実施中の海上警察活動の評価の差ではない。

海上警察活動が違法な場合は、わが国は協力を控えなければならないが、現在問題になっているアフガン沖の海上阻止活動はそのようなものではない。当然、それに対する協力は国の判断で自由にやってよい。インド洋における海上給油は、種々の政治的要素を考量して政策的に決めることである。考慮すべき点を挙げれば、反テロ国際協力、日米同盟、関係国との友好関係、南西アジア地域の平和と安定、さらには、海上給油活動の透明性、財政負担の適正性などである。

問題の給油活動については、国連決議は国際世論を示すものとして国際的支持の有無を判断するメルクマールであり、判断材料の1つと考えるべきである。無論、アフガン沖の外国軍艦に給油するからイラク沖の外国軍艦に給油すべきだなどというつもりはない。乗員の安全など考慮すべき要素が違うからである。

2007年10月9日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年10月15日掲載

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