海外進出企業のリスクヘッジ 投資仲裁手続きに着目を

小寺 彰
ファカルティフェロー

海外へ進出した企業が相手国政府の政策変更などで損害を被った場合、投資協定仲裁を利用して補償・賠償を求める動きが出てきた。日本ではまだ理解が乏しいが、投資保険に加えて有力な投資リスクのヘッジ手段になりうる。日本政府は外国企業からの訴えへの備えが急務だ。

3人の仲裁人が紛争を法的裁定

外国投資の自由化や外国人財産の保護のために主に2国間で結ばれる国際協定である「投資協定」への関心が世界的に高まっている。投資協定は、全世界で2000を超えており、日本も中国や韓国などと11の投資協定を結んでいる。現在積極的に取り組んでいる経済連携協定でも投資が重点項目とされ、投資協定に通常含まれる内容が盛り込まれている。日本をはじめとして、西欧・東欧・旧ソ連諸国の多くが加わっているエネルギー憲章条約の主柱の1つもエネルギー分野の投資自由化・投資保護である。

通常の国際条約と異なり、投資協定には、日本のものも含めて一方当事国の投資企業が他方当事国を相手取って訴える仲裁手続き(投資協定仲裁)が盛り込まれている例が多い。投資協定仲裁とは、当事者の指名などによって選ばれた3人の仲裁人によって構成される仲裁パネル(仲裁廷)が投資協定などに従って紛争を法的に裁定して処理する手続きである。仲裁判断は訴えた企業と当事国政府を拘束する。紛争ごとに裁判所を作り、仲裁人が裁判官を務めると考えればよい。仲裁廷は、世界銀行の関連機関である国際投資紛争解決センター(ICSID)や、国際商業会議所などの国際商事仲裁機関に設置される。

国際条約の解釈適用(運用)は通常は当事国に任され、当事国間で意見が食い違っても一刀両断に解決する仕組みはなく、一方の不満が解消されないままに終わることも多かった。その点で、紛争が生じた際一方の国が訴えると自動的に手続きが動き始めて多くの紛争を処理している、世界貿易機関(WTO)の紛争処理手続きは国際社会では画期的だった。投資協定仲裁は、国ではなく、被害を受けた投資企業が加害国を直接訴えて金銭の賠償などを得る手続きであり、WTO紛争処理手続き以上に国内裁判に近く、革命的だと言われている。

投資協定仲裁は途上国の裁判手続きの信頼性の薄さを補い、また企業活動をめぐる問題が国家間の紛争に転化することを防ぐために考案された。途上国裁判所は信用できないという声や、経済問題をいたずらに政治問題化せずに処理すべきだという声に応えたのである。

投資協定仲裁の規定は、初期の1960年代の協定から盛り込まれてきたが、90年代初頭まではあまり使われなかった。ところが北米自由貿易協定(NAFTA)が発効すると、当事国であるメキシコ、カナダ、米国が次々に投資企業から仲裁に訴えられて敗訴する例が続いた。この動きに影響されて、外国投資企業が世界各国を仲裁に訴える例が相次いだ。

最近では、チリの企業がスペイン政府を相手取って訴えるといった格好で途上国系企業が先進国を訴えるケースも現れ、ICSIDだけとっても、現時点までに処理されたケースが101、また継続中のものが103にのぼる。商事仲裁機関のものも合わせれば、仲裁に訴えられたケースは全体で300を超えると思われる。

収用補償など規定が根拠に

投資協定仲裁にかけられる典型的な事件とは、外国政府の誘致策に応えて投資したが、投資後に政府の方針や態度が変わったり、工場を建てた地域の自治体が中央政府と異なる方針をとったりして、事業が破綻するケースである。こういう場合に被害企業は、投資協定中の収用補償規定や「公正かつ衡平な待遇」規定などを根拠に、加害国に補償・賠償を要求する。

前者の収用補償規定は、国が外国人財産を取り上げる場合に金銭補償を義務づけている。後者の「公正かつ衡平な待遇」規定は、投資企業に対して、国家が誠実な態度で接することを義務づけている。

つまり、現時政府の政策変更などによって投資財産が奪われたのと同等の状態になった、または現地政府の信義にもとるような扱いによって投資企業が損害を受ければ、企業は金銭補償・賠償を得ることができる。

政府の政策変更が財産収用と同じと立証するのは難しいが、企業の失敗の原因が現地政府の恣意的な行動にあったと言える状況は、途上国を中心にかなり多い。そのために「公正かつ衡平な待遇」規定は投資協定仲裁の活況とともに広く注目を集めることになった。また、内外企業の平等を義務づける内国民待遇義務の違反が根拠に据えられるケースもある。

日本が従来結んできた投資協定には、「公正かつ衡平な待遇」規定が盛り込まれるものは少なかったが、投資協定仲裁の活況を踏まえて、最近の日・マレーシアの経済連携協定はこの条項を備えている。日本企業や日本政府は、投資協定仲裁をどのようにとらえればいいのか。日本政府も日本企業も、投資協定仲裁を十分に理解しないまま現在に至っているようだ。日系企業では、最近、野村証券の欧州子会社がチェコ政府を相手取り勝訴した例があるだけで、日本政府が訴えられたことはまだない。

投資保険との組み合わせで

投資協定の企業サイドのメリットは途上国を中心に投資リスクをヘッジできる点である。従来、企業がヘッジ手段として使ってきた投資保険の場合は結構高額の保険料がかかるが、投資協定ではヘッジ時点でのコストはいらない。半面、実際に損害が発生した場合は、投資保険なら請求すれば保険機関の判断だけで保険金が支払われるが、投資協定の場合には、現地政府が責任を自発的に認めなければ、企業が仲裁手続きに訴えて勝訴した後に賠償金を得ることになる。そのため、数億円と5年程度の金銭的・時間的コストは覚悟しなければならない。

ヘッジできるリスクの範囲は、投資保険では、現地政府による権利・利益侵害や戦争、テロ、天災、他方、投資協定では、現地政府の権利・利益侵害に限られる。投資保険は、容易には現地政府の権利侵害を認定しない。企業が投資協定仲裁を使えれば、仲裁廷が現地政府の権利侵害を客観的に認定してくれ、それによって投資保険の保険金が支払われることになる。投資協定仲裁と投資保険は連携しうるのである。また現地政府による権利侵害があっても、企業が操業を続けていれば投資保険の保険金は支払われないが、投資協定仲裁の場合は、操業の有無は影響しない。

途上国に投資をした企業関係者からは、現地当局者の甘い言葉に乗せられて投資をして痛い目にあったという話をよく聞く。もちろん1つの投資案件の失敗が現地政府に責任があるからといって仲裁に訴えるのに躊躇する可能性もあるだろう。

しかし、ある東欧の国の仲裁案件では、操業中の外国企業が操業条件の一方的変更の不当性を訴えて勝訴し、それをてこに現地政府と交渉して変更を撤回させた例もある。投資協定をうまく使うと、企業は従来より安く、また確実に現地政府の権利侵害リスクに対処できるのである。

日本政府サイドから見れば、経済連携協定や投資協定を根拠に外国投資企業から訴えられる可能性が高まっている。すでに米国、カナダ、スペインという欧米の先進各国も仲裁の洗礼を受けた。外国企業の被害の責任が地方自治体にある場合も、仲裁で企業の相手を務めるのは日本政府である。外国企業の理屈が言いがかりであっても仲裁に訴えられれば日本政府は相手をしなければならない。筆者は10年以内に日本政府も仲裁に訴えられると見ている。

自国企業が使えないために外国企業優遇の逆差別だとか、外国人によって行われる仲裁は信用できない、また途上国政府の負担が重すぎるという批判も根強い。とはいえ、投資協定による投資財産保護の役割は高く評価できるといえよう。途上国を中心に投資保護を期待する日系企業のニーズは高い。

投資協定仲裁の活発な利用は投資協定の価値を大幅に高めた。政府は今後、経済連携協定や投資協定の交渉において、仲裁をテコにした投資保護の重要性を正確に認識し、企業ニーズに合致したものを作るよう心がけることが大切である。

2006年4月18日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年4月26日掲載

この著者の記事