問われる貿易ルール順守─WTOに本格対応─

小寺 彰
ファカルティフェロー

先進国対途上国 対決緩和期待も

中国の新体制がいよいよ発足する。新体制は国際経済体制にどのようなインパクトを与えるだろうか、またどのような課題を負っているのか。

これまでの江沢民体制では「第2の開国」が成し遂げられたといわれる。これは、中国がWTOへの加入を果たし、中国が国際通商体制の正規メンバーになったためである。さらにWTO加入後は、東南アジア諸国連合(ASEAN=アセアン)と積極的にFTAを結ぼうという姿勢を示したことも、今後の国際通商体制を考えるうえでは特筆に値する。

中国は、国際社会においてすでに長く政治大国として君臨してきたが、経済面では立ち遅れ、WTOへの加入には長い年月を要した。中国が経済的に大きな能力をもちながらも、西側先進国とは異なる社会主義体制をとってきたのがWTO加入が遅れた理由である。米国や欧州連合(EU)は、中国のWTO加盟については、経済体制の違いを踏まえて通常の場合と比べると格段に厳しい条件を課し、中国はそれらを満たして2001年12月に加盟を実現した。

加盟後、世界の関心は加盟条件を含めてWTO協定上の義務を中国がきちんと順守するかに移った。中国もさまざまな法令を整備してこの要求に応えようとしてきたが、昨年12月の中国の義務履行状況審査(中国加盟時に特別に設けられた経過的レビューメカニズムの第1回会合)では、知的財産権の執行強化などについて数多くの問題点が指摘された。地方も含めて中国がWTO上の義務をきちんと順守できるか。他の加盟国は大きな注意を払っている。

WTOの大きな特徴に紛争処理手続がある。同手続では、日常的に加盟国が他国の義務違反を申し立て、WTOがその是非を判断し、ほとんどのケースで義務違反を認定された加盟国はそれに従ってきた。日本も例外ではなく、多くの申し立てを米国などに対して行うと同時に、日本に対しても申し立てが行われ義務違反が認定されれば是正してきた。現在までのところ中国がWTOに提訴されたケースはないが、早晩何らかの問題で提訴されると考えていいだろう。紛争処理手続で義務違反が認定されたときに、中国がきちんと従うか。

新体制はWTO上の義務順守の課題を突きつけられよう。この課題をクリアしてはじめて、中国は「WTO」の正会員であることを内外に示したことになる。

WTOでは現在「ドーハ開発ラウンド」交渉が進められている。中国の加盟時には、中国が途上国の代表を名乗って交渉のかく乱要因になることも危ぐされた。WTOが経済関係の国連機関とは違って、円滑な国際規制を実現できたのは、先進国対途上国という不毛の対決図式が意思決定においてあまり前面に出てこなかったためである。

同ラウンドの開始は、シアトルでの「途上国の反乱」によって2年間遅れた。「開発」の名が付されているように、途上国に配慮して開発問題を中心にすえた交渉項目設定が行われ、先進国対途上国という対決図式が生れやすい環境にある。

中国は、現在までのところ途上国側に軸足をおきながら慎重な物言いに終始し、反グローバリゼイションの主張を代弁するような強硬な姿勢をとってはいない(たとえば投資ルール準備作業)。中国の経済発展にとって、国際経済の安定性を確保するWTO体制がなくてはならない以上、中国が「新人」の域を脱した段階で、先進国対途上国という対決図式を緩和する役割を果たして、遅れがちなラウンド交渉をリードしてくれることを期待するのはあながち無理なことではないのかもしれない。

思惑先行のFTA戦略

自由貿易協定(FTA)は関税同盟とともに特定のWTO加盟国間で自由化を深化させる仕組みである。FTAが特定国間で自由化を深化させる仕組みであるために(WTO協定上、構成国間の関税の原則撤廃が条件)、WTOの基本原則である、加盟国を平等に扱うという最恵国待遇原則と原理的には抵触する。しかし、WTO全体の自由化をけん引するという役割を果たしてきたことが注目され、1990年代以降は世界中で数多くのFTAが締結されてきた。その代表格は北米自由貿易協定(NAFTA)であり、わが国も昨年シンガポールと初のFTAを結んだ。

中国は、WTO加盟を達成した直後からきわめて積極的なFTA政策をとり始めた。2001年に、ASEAN諸国とのFTA構想を提唱、昨年には素早く枠組み協定を署名して交渉に入り、10年内の締結を公言している。小泉純一郎首相は昨年1月にASEANとの包括経済連携構想を発表したが、中国の動きに刺激されたことは間違いない。東アジアの経済秩序作りでは、WTOにようやく加盟した中国が日本をリードしているのか。そして日本や中国がASEAN諸国を巻き込んだFTAを実現すれば、東アジアにEU型の統一的な経済秩序が生まれるのか。

FTAを語るときに、NAFTA、さらには欧州連合(EU)-関税同盟であってFTAではないが、関税同盟の方が地域統合の程度はより高い-が念頭におかれる。しかし、WTOより強力な紛争処理手続を備え(EUには独自の裁判所まである)、一応きちんと協定上の義務が順守されているこれらの組織と同様のものが、国内裁判所の強制執行すらままならない中国のリードによって10年以内に突如東アジアに誕生するのだろうか。

中国農業の国際競争力は、ASEAN諸国に遠く及ばない。ASEAN諸国には、シンガポールやマレーシアのように先進国といってもよいような経済状況の国から、カンボジアやラオス、ミャンマーのように、1人あたりの国内総生産(GDP)が300ドル前後の国が含まれている。これらをひとまとめにしてEUのような一大自由経済圏を作ることができるだろうか。答えは明確に否であろう。

途上国を名乗るASEANには、関税貿易一般協定(ガット)上のFTAではなく、ガット決議(授権条項、途上国が許される保護特例)に基づく準FTAを結ぶ道がある。これなら関税を撤廃する必要はない。

ASEAN諸国間で結成されているアジア自由貿易地域(AFTA)も準FTAである。現在は中国もASEAN諸国も完全なFTAを作ると宣言している。しかし締結は10年先であり、今は実現可能性よりも政治的な思惑が先行している。勇ましい音頭取りが行われたのに、実施段階でもめ、さらにはうやむやになったFTAも数多い。中ASEANのFTAがどのような形になるかは依然予断を許さない。

先進国であるわが国には準FTAを結ぶ道はない。わが国はASEAN諸国とも、状況が熟した国と個別にFTAを結んでいくという手堅いアプローチを採用し、すでに結んだシンガポール以外に先進ASEAN諸国のタイやフィリピンと政府間の検討を始めている。

日本や米欧と複雑な綱引き

FTAの障害として国内の農業問題に注意が集まっている。しかし、マレーシアの国民車政策を思い浮かべれば分かるように、従来、高関税・輸入制限政策をとってきたASEAN諸国(シンガポールは例外)が日本に対して関税の原則撤廃を行うことは日本よりはるかに難しい。FTA実現のためには、ASEAN諸国に相当な経済支援が必要になるかもわからないような状況だと考えた方が良い。

日中韓ASEANの東アジア経済秩序構想は、中国のイニシャティブによって格段に強まった。東アジアの地域経済体制の再編成をめぐっては、複雑な綱引きが当分続こう。これまでの中国のFTA政策は国際競争力のない産業を抱えながら朱鎔基首相が無理に無理を重ねて推進してきたという見方もあるなかで、中国の新体制の動きは要注意だ。

2003年02月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2003年2月27日掲載

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