実証に基づく政策立案 独立性や人材育成がカギ

市村 英彦
ファカルティフェロー

川口 大司
東京大学教授

わが国でも英国と同様に、「実証結果に基づく政策立案「EBPM=Evidence Based Policy Making」を取り入れていこうとの機運がある。EBPMとは、過去の政策や候補となる政策の有効性を実証的に検証し、そこで得られた結果を考慮しながら政策立案することだ。本稿では政府の政策立案過程を念頭に議論するが、企業の意思決定でも同様の問題があるだろう。

英国の民間シンクタンク「Institute for Fiscal Studies (IFS)」は同国のEBPMに大きな役割を果たしてきた。1980年代から毎年、財務相による予算発表前に、その年の経済動向全体に目配りし、税制・社会保障・労働・教育各政策などにどんな政策上の選択肢があるかを他の組織と連携して公表する。

わが国でも「経済財政運営と改革の基本方針2017」で、EBPM推進体制の構築やEBPMに基づく議論と検討を予算編成に反映させる方針が示された。この動きを踏まえ、内閣府は教育・就労支援に関する政策の効果を巡り試験的な検証を始めている。

以下では、EBPMに実効性を持たせるために重要と考える項目を4点挙げたい。

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第1にEBPMの根幹をなす政策評価は、各種政策の企画・執行主体から独立した機関が担うべきだ。既に2002年4月施行の「行政機関が行う政策の評価に関する法律」に基づき、各省庁はそれぞれが管轄する政策を評価し、総務省が全体を取りまとめている。しかし政策の実行主体が自らの政策を評価する現行の制度は、評価の独立性や客観性に疑問が持たれる。

確かに外部有識者による行政事業レビューは実施されている。しかし対象事業や評価にあたる外部有識者を担当官庁が選んでおり独立性に懸念があるうえ、外部有識者は公認会計士や弁護士が中心で、政策評価手法に踏み込める陣容になっていない。

そもそも政策効果の実証分析には、専門家集団による組織的な取り組みが必要だ。評価対象となる政策について複数の独立機関が評価し、批判的に検討する過程で浮かび上がる政策の有効性に関する知見を、その過程に関与する行政官が政治家に伝え、政策立案過程に生かしていく流れをつくることが重要だ。

第2に評価にあたり、政策目的の適切性やその目的を達成しうる政策群にも留意する必要がある。例えば大学授業料無償化を進める場合、その特定政策の事前・事後の評価は重要だ。それに加えて、大学授業料無償化により実現しようとする格差是正や生産性向上といった広義の政策目的を特定し、その目的が現在の最重要課題なのか、目的達成のために考えられる様々な他の政策と比較して大学無償化はより有効なのかを政策立案前に検討することが大事だ。

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第3に外部の独立した機関が政策を評価するにあたり、必要なデータに十分にアクセスできる制度を整える必要がある。的確な政策評価には政策の意図と実際のオペレーションを正確に理解せねばならず、評価者は政策を実施した関係者と密接なコミュニケーションをとる必要がある。

一方で、独立した評価を実現するには高品質なデータも求められる。政策評価で重要なのは、政策の影響を受けた人と学歴・年齢・過去の就業経験・居住地域など様々な点が同じで、政策の影響を受けていない人をデータから明らかにすることだ。例えば就労支援政策を評価するために現状集められているデータには就労支援を受けた人だけが含まれている。そのため最新の分析手法により政策評価することが非常に難しい。

地方自治体が保有する統計も含め、年金記録・雇用保険・税務データなどの業務データの中には政策評価に利用できるものも多い。政府や自治体の業務データを利用できるよう整備が必要だ。欧米では多くの個人を追跡調査する「パネルデータ」が充実しているが、日本では回収率が十分に高く信頼できるものが少ない問題の改善も急務だ。

第4にEBPMを支える専門的知識を十分に持つ人材が欠かせない。EBPMのコアになる知識はミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学だ。筆者の経験では基礎的な計量経済学の知識を教えるには、ある程度数学と統計学の素養のある学生の場合でも105分の授業を週2回、13週程度実施する必要がある。

その後、政策評価法に特化した計量経済学の授業、労働経済学や教育経済学など大学院レベルの経済学の授業を受けるのが望ましい。加えて研究計画を立てデータを集めて分析し、その結果をまとめるという技能も必須で、学術論文の執筆経験も求められる。技能を持つ人材は結果として博士課程の修了者となろう。だが霞が関や政策評価を受託するシンクタンクにはこうしたトレーニングを受けた人材が不足しており、実証結果に基づく政策決定を実効性ある形で進める際の障害となる。

人材の面で同様に重要なのは、国際水準での研究を遂行し、その知識に裏付けられた質の高い教育を提供する優秀な大学研究者を確保することだ。優秀な研究者を確保できないと、こうしたトレーニングを国内の大学で提供できなくなり、国際的に優秀な学生を集めることが難しい。

経済学の分野では、ここ15年ほどで北米や一部アジア諸国で研究者に対する待遇が上がっている。日本の2〜3倍程度の給与を出すのが一般化しており、頭脳流出が深刻化しつつある。優秀な研究者に育てられなかった分析者は目に見えないが、そうした事態が現在進行中である。

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この30年ほどの間に政策評価の手法は大きく進歩した。もちろん複雑な現実の中で政策の評価を進めていくには多くの仮定が必要だ。仮定次第でどんな結果でも出せるという皮肉な見方もできる。

明示的なEBPMを進める際に、結果の前提となる仮定を明らかにする必要がある。その前提を議論する中で、おかしな前提から導かれた結論は取り除かれる。EBPMの品質向上に取り組む英国の官民共同組織「What Works Centre」はエビデンス(証拠)の信頼性にスコア付けをしており、このスコアは分析の仮定の強さにも左右される。

人口の高齢化と社会保障費の増大という逆風が吹く日本社会で、人々が自分の能力を十分発揮し豊かな生活を送れる社会を実現するには、実証結果に基づく政策決定は不可欠だ。そして実証結果に基づく政策決定を実効性のあるものにするには、政策評価の実施主体に関する制度設計、データの高品質化と利用環境の整備、人材育成といった息の長い取り組みが欠かせない。

このほど東京大学経済学研究科に政策評価研究教育センターを、社会科学研究所、医学、教育学、法学政治学各研究科と連携して設立した。実際の政策評価研究を進めるとともに、政策評価に携わる人材を実地教育で育てていく。

参考としたのは英国のIFSだ。様々な政策評価のために研究者だけでなく優秀な学部生、大学院生を雇用し実地教育する。彼らはその経験を通じて進路を決め、学会だけでなく行政、コンサルティング、ジャーナリズム、国際機関など様々な社会的立場で幅広く活躍する。われわれは新組織がそうした場としても機能することを願っている。

2017年10月16日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2017年10月26日掲載

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