曲がり角の日本経済

林 良造
RIETIコンサルティングフェロー

昨年11月に日米財界人会議に出席したときのことである。メーンスピーカーには、シティコープのCEO(最高経営責任者)、プリンス氏が予定されていた。そしてその日に、サブプライム問題の損失拡大を理由に、解任された。この日を境にして、それまでの短期間に騒ぎは沈静化するのでは、との楽観的な見方は、急速に影を潜めた。

証券化され組み込まれていったもとの不良債権が世界中に広がり、どの金融機関がどれだけの大きさの損失を被ったかが直ちにはわからないこと、住宅価格の下落の大きさとスピード次第でさらに新たな不良債権が生み出されること、などが次第に明らかになるにつれて雰囲気は一変していったわけである。

このことは、時代の大きな曲がり角の到来を思わせるところがある。

戦後、米国主導の回復が進んできた1970年代に、ベトナム戦争による米国の威信の低下、ドルの下落圧力による変動相場制への移行、第一次、第二次の石油ショックによる原油価格・一次産品の高騰、そして、米国の景気後退が始まり、その回復には80年代の10年間を要したことは記憶に新しい。

そして今回、イラク戦争の長期化による世界の安全保障上の不安定感の拡大、今年に入って続いているドルの下落、収まらない原油価格の高騰、そして、今回のサブプライム問題で現実化した米国住宅価格の下落による米国の個人消費の下ぶれ・景気後退リスクと並べてみると、非常に似通った構図が見えてくる。

もちろん、この両者の違いも大きく、また、この30年間に各種の制度も整備され世界経済の対応力も強化されたことから、直ちに、70年代の悪夢に直結すると考える必要があるわけではない。たとえば、IEA(国際エネルギー機関)ができ、石油市場が発達した結果、79年の東京サミットのように、首脳が石油の割り当てを取り合うことはあり得ない。また、中央銀行間の連携ははるかに緊密になり金融不安が拡大していくリスクは格段に減少している。さらに、WTO(世界貿易機関)などの国際貿易ルールも整備され国内の不況が貿易戦争に転化することを防ぐ装置も手厚くなっている。そして、日本も含む先進国において、ショックに対応して、資本、労働などの資源を迅速に適所へと移動させる能力は増強され、その摩擦から大きな政治的問題となる可能性も少なくなっているように思われる。

他方、前回のかく乱要因は日本であった。米国・欧州はその日本を、G7サミット(主要国首脳会議)に入れ、金融のG10グループに入れ、IEAの中心メンバーとし、日本の対外不均衡問題を貿易措置、通貨の切り上げ、日本の内需拡大でマネージをしてきた。また、日本も、石油不況・円高不況などに見舞われつつも、社会保障などのセーフティーネットがそれなりに完成していたこと、多くの中小企業がショックを吸収する能力があったことなどで、結果としては安定成長への移行に成功したといえよう。そして、その間、東西関係の緊張の下で米国の安全保障の傘の下にあったことから国内的な異論を押さえ込んでもG7のフレームワークに協力する形でことを進めることが可能であった。

この日本に当たるのが今回は中国である。果たして中国が、前回の日本のように、成長の減速に耐えるようなところまで、セーフティーネットや市場機構、制度的なインフラが整備されてきているのか、国内の異論を押さえても世界経済に責任を果たすところまで世界経済に組み込まれ意思疎通ができているのか、など不安も多い。

このような環境の激変に対して、各国は、政府部門や規制による非効率性を取り除き、市場の価格シグナルに対応して思い切って経済資源の流動性を高めることでリスクを最小化する体制を整え身構えている。そしてこのようなGlobalな制度間競争の中にあって、外にも関心を持たず、外国からも関心を持たれず、ひたすら内向きの安らぎを求めて、この数年で取り戻した「失われた10年」の針を逆向きに回している日本の姿は、まったく異常な自殺行動にしか見えない。ここでもう一度、財政赤字や少子高齢化の進展を踏まえて、痛みを伴う改革を進める勇気を持たなければ、次の世代に縮小均衡の道を歩ませることになるのではないだろうか。

2008年1月8日 時事通信社iJUMPに掲載

2008年1月17日掲載

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