青木昌彦先生追悼コラム
青木先生を偲んで
林 良造
コンサルティングフェロー
青木先生がお亡くなりになったと聞いたのは、ちょうどキヤノングローバル戦略研究所の定例の昼食会の場であった。くしくも、澤昭裕君、小林慶一郎君、山下一仁君など先生のRIETI時代に接し、また、青木先生とともにRIETIの一時代を作り上げた人たちと一緒であった。
先生とは、90年代初頭に、私がケネディースクールで教鞭をとった際に、私の指導役でもあったVernon教授からぜひ読んでおくようにと渡された青木先生の未定稿の本を手にしたのが頭の中での最初の出会いであった。その後、まだスタンフォードにおられたときに機械情報産業局の次長であった私をセミナーのスピーカーに呼んでいただき初めてお目にかかったような気がする。声をおかけいただいたのは、石油産業、情報産業に競争原理の導入を試みていた私を面白いと思ってくれたのかもしれない。また、京都大学で全く反する立場でありながら、組織というものに対する嫌悪感なのか、奇妙に心が通じ合っていたという私の父との関係も乱反射していたのかもしれない。
そして、RIETIの発足にあたり省益を超えた改革の梁山泊にしたいとの思いで所長就任をお願いしたところ、西海岸との二重生活になるにもかかわらず初代の所長をお引き受けいただいた。その後先生の指導の下に、骨の太い理論的バックボーンを提供することによりさまざまな構造改革を支え続けたRIETIの一時代は多くの人のご存じのとおりである。日本の役所の悪弊で順次人が変わり、熱気が落ち着いてくると、RIETIに対するさまざまな批判も耳にするようになる。その意味では当初お迎えしたのと話が違うと思われたことも多かったのではと大変心苦しく思っている。
ただ、先生のこのような行動の根幹にある、日本の制度を根本から改革し、また、より合理的な政策の形成に向かって政策の質を上げていくという思いは今や多くの人々に共有され、大きな流れとなっている。私自身も、東京大学の公共政策大学院の設立、キヤノングローバル戦略研究所の立ち上げ、明治大学国際総合研究所の創立など日本の政策決定の絶え間なき改革に少しでも寄与すべく歩み続けている。そしてこの歩みを先生にささげたいと思う。合掌。
2015年8月10日掲載
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