サウジアラビアはなぜアラムコのIPOを中止したのか
活発化する反皇太子派の動き、国内で未曽有の混乱も?

藤 和彦
上席研究員

8月中旬に1バレル=64ドル台に下落した米WTI原油先物価格は、その後60ドル台後半にまで回復している。

現在の原油価格の動向を決定する要因が、(1)イランをはじめとする主要産油国の原油生産量、(2)米中貿易摩擦の激化が原油需要にもたらす影響、という2つである構図に変化はない。

ペースが落ちてきた協調減産

(1)の「イランをはじめとする主要産油国の原油生産量」から見ていこう。

まずイランの動向だが、8月前半の原油輸出量は日量232万バレルから168万バレルに減少したようだ(8月22日付OILPRICE)。イラン産原油輸入国第2位のインドでの減少などがその要因である。

ただし、イラン国営石油会社はインドの石油会社に対し、9月積み原油価格について大幅なディスカウントを提示しているとされており、9月以降のインドのイラン産原油の輸入量が回復する可能性がある。また、輸入第1位の中国もイラン産原油の輸入継続を目指し、輸送を自国の船舶からイラン国営タンカー会社の所有するタンカーに切り替える(8月20日付ロイター)など、イラン産原油の輸入継続に向けた準備を進めている。

次にベネズエラの動向だが、8月20日、ベネズエラ石油公社PDVSAが米石油大手コノコフィリップスに20億ドル分の補償を支払うことに同意したことから、同国の原油生産量が著しく減少する懸念が低下した。

余談となるが、7月末のインフレ率が年率8万パーセントを超えていたベネズエラで8月21日、急激なインフレを抑えるために通貨単位を10万分の1に切り下げるデノミネーション(デノミ)が実施された。ベネズエラ政府は、原油価格に連動する仮想通貨「ペトロ」とのペッグ制を導入することで、デノミ後の通貨の価値を安定させようとしている。その試みは、ドイツの「レンテンマルク」を参考にしていると考えられる。ドイツは第1次大戦後に、通貨単位を1兆分の1に切り下げるとともに、地代請求権を本位とする(土地を裏付けとする)レンテンマルクを発行することでハイパーインフレを鎮静化させた。だが、ベネズエラの「最低賃金を3000%超引き上げる」といった政策は通貨供給量をむしろ拡大させる可能性がある。レンテンマルクの成功のもう1つの要因が通貨供給量を大幅に制限したことに鑑みれば、マドゥーロ政権の企みは「画竜点睛を欠く」ことになるだろう。

話を原油供給量に戻すと、主要産油国による共同閣僚監視委員会は8月27日、「7月の減産遵守率は109%に低下した」ことを明らかにした(5月の遵守率は147%)。協調減産の適用除外のリビアの原油生産量も日量60万バレル台から100万バレルを超えるにまで回復している。

さらにイラクが原油輸出量を拡大する姿勢を鮮明にしていることなどから、「年末に向けて世界の原油供給量が増加する」との見方が出ている(8月29日付ロイター)。

米国でも原油在庫が増加する可能性が高い。米国の原油生産量は、パーミアン地区の産油量の輸送力が不足し始めていることなどが影響して、このところ日量1100万バレルで頭打ちとなっているが、トランプ政権は8月20日、「戦略石油備蓄(SPR、6.6億バレルの原油を貯蔵)を10月1日から11月30日にかけて合計1100万バレル分を放出する」計画を発表した。放出の規模は日量ベースで約20万バレル、イランからの原油輸出量が100万バレル減少するとすれば、その2割が穴埋めできることになる。米国の原油需要は8月をピークに10月にかけて減少することが通例だが、原油在庫の増加圧力が高まる時期にSPRが放出されれば、原油価格の下落圧力が高まる可能性が高い。

中国経済の動向次第で50ドル割れも?

続いて(2)「米中貿易摩擦の激化が原油需要にもたらす影響」はどうか。心配されるのが、中国の今後の原油需要である。

8月23日、米中両国は互いに160億ドル相当の輸入品に対する追加関税を発動した。8月22〜23日に開催された事務レベルの通商協議はなんらの進展もなく終了した。トランプ大統領が事前に「中国との貿易戦争は無期限であり、事務レベルの協議には何の成果も期待していない」と述べていたとおりであった。

トランプ政権の側近は対中強硬派で固められており、9月にさらに2000億ドル相当の中国製品に関税を課す方針を発表済みである。

貿易摩擦の悪影響が懸念され始めている中国ではキャッシュレス化が急速に進展しているが、このところ「ネット金融」の破綻が相次いでいる。個人間で資金を融通する「ピア・ツー・ピア(P2P)融資」サイトに投資して損失を被った人々が中国全土で怒りの声を上げるなど大問題に発展している(8月15日付ロイター)。

この問題を4年前に指摘していた中国の経済学者が8月22日、「米中貿易戦争を今後2カ月以内に解決しなければ中国経済は崩壊モードに突入する」との警告を発した。

2000年に世界の原油需要の6%のシェアに過ぎなかった中国は、現在13%を超える規模となっている。中国の原油輸入量は既に減少傾向にあるが、経済自体が急減速モードに入れば、世界の原油価格に与えるインパクトは計り知れないものになる。

2014年後半以降の原油価格は、世界の原油需給が緩んだことから1バレル=50ドルを下回り、その後の協調減産などで需給調整を行ったことで70ドルを超えた。この傾向が正しいとすれば、足元の需給は緩みつつあるので原油価格は9月中に1バレル=60ドル台前半に下落し、その後の中国経済の動向次第では50ドル割れになる可能性がある。

「巨額の財源」を失ったサウジアラビア

7月中旬から始まったダウントレンドを反転させる要因は新たな地政学リスクの発生しか考えられないが、サウジアラビアの雲行きがますます怪しくなってきている。

8月22日付ロイターは「サウジアラムコの新規株式公開(IPO)の計画中止が決定された」とのスクープ記事を報じた。関係筋によると、サウジアラムコは石油化学大手サウジアラビア基礎産業公社(SABIC)の過半数株式の取得を目指しており、これに注力するために、IPOに向け準備を進めていたファイナンシャルアドバイザーのチームは6月下旬に解散したという。

サウジアラムコのIPOは次期国王と目されるムハンマド皇太子が掲げる経済改革「ビジョン2030」を支える重要な資金調達源である。上場に伴う株式売却で得ようとしていた1000億ドルはサウジアラビアの国家予算の約4割に相当する。この資金を元手に、政府系ファンドのパブリック・インベストメント・ファンド(PIF)がIT(情報技術)や再生可能エネルギーなど新産業を育成する戦略だった。

しかし、サウジアラムコのIPOについては、2兆ドルという企業価値の現実性について疑問が出ていた。さらに「IPOの実施によりかつてない厳しい監査が入る」との懸念からサウジアラムコ側が難色を示したことから、ムハンマド皇太子も2018年春の海外メディアのインタビューで「2018年末か2019年初めとなる」と延期を示唆していた。

サウジアラムコのIPO中止によりPIFは想定していた資金が調達できなくなったため、外国銀行からの融資を受けることになりそうだ(8月23日付フィナンシャル・タイムズ)。巨額の財源を失ったサウジアラビアの行方を市場が注視し始めている。

2014年以降に発生した財政赤字を国債の発行でしのいできたサウジアラビアは、石油依存の経済構造を変える戦略の一環として国内の株式市場の活性化に努めてきた。だが、トルコの問題が深刻化した8月中旬から資金の逆流現象が生じている(8月25日付日本経済新聞)。生活物資の大半を輸入に頼るサウジアラビアは自国通貨リヤルをドルにペッグしているが、2015〜2016年にかけて投機マネーがドル・ペッグ制に攻撃を仕掛けた経緯がある。米国が金融引き締めに向かう中、投機マネーが財弱な国や企業を狙い撃ちをしている状況下ではトルコの不安がサウジアラビアに伝染しないという保証はない。

懸念されるサウジの未曾有の混乱

ロイターはさらに8月27日、「サウジアラムコのIPOが中止された背景にはサルマン国王の反対があった」とする驚くべき記事を配信した。

関係者によれば、6月半ばまでのラマダン(断食月)の期間中、「IPOによってサウジアラムコの詳細な財務情報がすべて公開される」ことを懸念する王族、銀行関係者、サウジアラムコの元トップなどが国王と会談し、サウジアラムコのIPOを中止を決定したという。「『ノー』と言えば絶対に決定が覆ることがない国王の決定」が、6月下旬に行政機関に書簡として送付されたと複数の関係者は証言している。

だが、サウジアラムコの会長であり、ムハンマド皇太子の腹心とされるファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は8月23日、「政府は今もサウジアラムコのIPOに取り組んでおり、いつが条件として最善であるかを検討している段階にある」と述べた。サウジアラムコのIPOに向けたさらなる措置(同社の石油・ガス採掘権をこれまでの無期限から40年に制限)も発表した。国王の決断を無視するかのような振る舞いはサウジアラビアではあり得ないが、ムハンマド皇太子にとって、改革に不可欠な資金源の確保(サウジアラムコのIPO)は譲れない一線である。改革を進めるにあたって国内で軋轢が生じることは承知の上だろう。

ムハンマド皇太子に対しては、改革に特権を剥奪された王族や既得権を失った財閥などから不満がくすぶる。特に2017年11月に王室内の有力者や国内の大富豪らを横領などの疑いで一斉拘束したことは、大きな反感を買った。

ロイターの一連の報道からは、反皇太子派の動きが垣間見える。つまり、既得権益層にとって何より貴重な資金源であるサウジアラムコの財務まで公開されたら「一巻の終わり」という恐怖から、元々保守的な考えを有する国王を取りこみ、IPOの中止を決定させた。だが、それに従わないムハンマド皇太子側の動きに業を煮やしてメディアにこの決定をリークしたということだろう。

サウジアラビアでは各地で銃撃や衝突が発生している。8月16日、内務省は「治安部隊が首都リヤド近郊でISの戦闘員を制圧した」と伝えたという。

若者たちは改革を支持しているとされるが、痛みばかりで改革の果実を享受できなければ反旗を翻すのは時間の問題である。「サウジアラムコのIPO中止」報道を契機にムハンマド皇太子の改革を頓挫させようとする宗教過激派や反皇太子勢力が巻き返しを図ろうとすれば、サウジアラビア国内で未曾有の混乱が生ずるかもしれない。

2018年8月31日 JBpressに掲載

2018年9月7日掲載