米WTI原油先物価格は、7月半ば以降、1バレル=67〜70ドルのレンジで推移してきたが、徐々に下押し圧力が強まっている(米国の原油在庫が大幅増加したことから、8月15日のWTI原油価格は1バレル=64ドル台と6月下旬以来の安値となった)。
相場の動向を左右する要素は(1)「地政学リスクの上昇」と(2)「原油需要の鈍化懸念」である。
イランの原油生産量は予想ほど減少しない
まず「上げ」要因である地政学リスクの上昇だが、市場関係者が最も注目しているのは米国とイランの対立であるのは言うまでもない。
米国政府は8月7日からイラン制裁の一部を再開させた。今回復活したのは自動車や鉄鋼に関するものが中心であり、原油に関する制裁は11月上旬に復活する。
米国政府はイランに対する制裁を再開させることで、当初目標としていた「イラン産原油の完全輸入停止」には届かないものの、「イラン産原油の輸出量が最大で日量100万バレル削減できる」と予想している(8月10日付ブルームバーグ)。米国の制裁復活を控えて欧州(今年上期の輸入シェア20%)韓国(11%)の石油会社がイラン産原油を手控え始めていることから、イラン産原油の輸出量は徐々に減少し始めており、ピークの日量270万バレルから7月には同232万バレルとなっている。米モルガン・スタンレーは「米国の制裁により今年第4四半期のイラン産原油の生産量は現在の日量380万バレルから最大で同270万バレルにまで落ち込む」との見方を示している。輸出全体の70%、歳入の30%を占める原油輸出量の維持は、イラン政府にとって死活問題である。
だが、イラン産原油の生産量は市場の予想ほど減少しないとの見方もある。実際に7月のイランの原油生産量を見ても、日量373万バレルとピーク時と比べて5万バレル程度しか減少しておらず、輸出量の減少(38万バレル減)に比べて小幅である。
欧州や韓国と異なり、イラン産原油の最大の輸入先である中国(26%)は、6月の輸入量は日量72万バレル、7月には同80万バレルとその規模を拡大している。シェア第2位のインド(23%)の7月のイラン産原油輸入量も前月比30%増、前年比85%増の日量77万バレルとなり、過去最高だった。イラン側がインドに対し原油の輸送費用を無料としたことなどがその要因とされている。
イラン産原油は、販売努力に加え、通貨リヤル安により価格競争力の上昇などが追い風となって、発展途上国を中心に新たな取引先を確保できる可能性がある。
米国政府は「イラン産原油の著しい削減が制裁回避の条件である」と輸入国に声高に主張しているが、2012年の際も、イラン産原油の輸入国は半年ごとに「著しい削減」の実行を証明することで制裁は免除されていた。「著しい削減」とはいえ、その基準は曖昧であり、少量でも前期に比べて原油輸入が減少していれば制裁は発動されることはなかった。今回も同様の運用になるのではないだろうか。さらに、「主要産油国が協調減産を続けていることから、前回に比べてイラン産原油の代替品が比較的容易に見つかる」との指摘もある。
懸念された米国とイランの軍事衝突
8月に入ると市場では新たに「米国とイランが軍事衝突する」との懸念が生じた。イランが米国の制裁が開始される直前の2日にペルシャ湾で海上軍事演習を開始したからだ。例年秋に行われる演習がこの時期に実施されるのは異例であり、ペルシャ湾で展開中の米艦艇への連絡もなかった(軍事演習は突発事案が生じることなく無事終了した)。
イランの最高指導者ハメネイ師は8月13日、トランプ大統領が前提条件なしにイランとの首脳会談に応じる考えを示したことに関連し、「米国とは戦争もしないし、交渉もしない」と断言した。専門家は「米国がイランへの制裁を復活させても、両国関係が急速に緊張することはなく、現状維持が続くだろう。双方とも相手に対する言葉での批判は過激なるだろうが、軍事衝突は望んでいない」と考えている(8月7日付日本経済新聞)。
「革命防衛隊が機雷を撒くなどしてホルムズ海峡を封鎖する」との憶測もあるが、そうなればイラン自らの原油輸出にも大きな支障が生ずることになり、イラン側が取り得る選択肢だとは思えない。
増加している世界の原油生産
米国とイランの対立を尻目に他の主要産油国は着実に増産している。
1カ月前に「供給不足に陥る可能性がある」と警戒していた国際エネルギー機関(IEA)は8月10日、「サウジアラビアやロシアなどの産油国が生産を増やしたことから世界的な原油供給懸念が後退した」と認識を改めた。
世界最大の原油生産国であるロシアの7月の原油生産量は日量1122万バレルとなり、過去最高を記録した2016年10月の水準に肉薄している。世界第3位のサウジアラビアの原油生産量も6月に日量1049万バレルと急上昇した(7月の原油生産量は日量1030万バレルと下落している)。また米国の原油生産量も、頭打ちの傾向があるものの、過去最高に近い水準を維持している(直近の生産量は日量1080万バレル)。
IEAの8月の月報によれば、7月の世界の原油生産量は前月比30万バレル増の日量9940万バレルとなり、IEAが想定している今年の世界の原油需要見通し(日量9915万バレル)を既に上回っている。
原油価格を引き下げる米中貿易摩擦
需要面に目を転じると、世界最大の原油輸入国である中国の状況が芳しくない。
中国の7月の原油輸入量は日量848万バレルとなり、6月(836万バレル)に続いて低水準となった(5月の原油輸入量は920万バレルだった)。このことが市場参加者の不安心理を煽り、原油価格は前日比3%超減の大幅安となった。このところ中国の原油輸入を牽引してきた民間製油所(茶壺)が、原油高や消費税課税の厳格化により精製マージンが縮小し輸入を手控えるようになったことがその要因だ。茶壺の苦境は今後も続く可能性が高い。
米中貿易摩擦が激しくなることで中国の原油需要はさらに鈍化するとみられる。報復関税の応酬は中国側にとって不利とされている。貿易戦争による実体経済への悪影響は徐々に出始めているが、金融市場(株式や人民元など)では既に顕著である。世界の大手金融機関で組織する国際金融協会は8月7日、「中国の人民元相場の大幅下落が大規模な資本流出を招き金融市場に混乱をもたらす恐れがある」と警戒を呼びかけた。
米国側はこれまでのところ影響を受けていないが、今後も無傷でいられるだろうか。
中国政府は8月8日、「米国政府の関税措置に対抗し、23日から米国からの輸入品160億ドル相当に25%の追加関税を課す」と発表したが、当初輸入関税追加のリストに入っていた米国産原油は最終的には除外された。中国商務部はその理由を「中国は石炭から天然ガスへの転換などエネルギー消費の構造調整を行っており、石油や天然ガスの輸入を増やすことが必要だ」と説明している。だが中国の石油会社は、先行きの不透明感から米国産原油の調達に消極的になっている。割安感から2016年以降、米国産原油の輸入を積極的に増加させてきた石油石油化工(シノペック)は、今後、米国産原油の輸入を停止することを決定した(8月3日付ロイター)。
米国産原油の中国向け輸出量は過去最高だった3月の日量45万バレルから7月は23万バレルにまで減少しており、米国内の在庫増加圧力は高まりつつある。ドライブシーズンが過ぎ原油需要が軟調となり始めるこの時期に在庫が増加すれば、原油価格が大幅下落し、好調を維持する米国の金融市場(ジャンク債や株式)に打撃を与えることになる。
世界の原油需要の3割を占める米中両国の経済が減速するリスクがあることから、原油価格上昇をリードしてきたヘッジファンドは原油価格の下落を意識するようになり、保有する米WTI原油先物と北海ブレント原油先物のポジションの合計は2016年以来の低水準となっている(8月6日付ブルームバーグ)。
米国によるトルコに対する制裁も、原油市場の新たな攪乱要因となりつつある。米国政府は8月10日、トルコで自宅軟禁されている米国人牧師の釈放をトルコ政府に強引に認めさせるためトルコ産の鉄鋼・アルミニウムに対する追加関税を引き上げた。だが、これによりトルコの通貨リラが急落、金融危機が欧州や他の新興国市場に波及し(8月13日付ブルームバーグ)、原油需要のさらなる鈍化を招くとの懸念が高まっている。
7月に7%下落した原油価格だが、原油価格を下支えしてきた主要産油国の協調体制が米国のイラン制裁により瓦解してしまったことから、今後は本格的な下落トレンドに入ってしまうのではないだろうか。
サウジ皇太子、名実ともに権力を手中に
最後にサウジアラビア情勢についてコメントしたい。 サウジアラビア政府は8月6日、同国の人権状況をカナダ外相が批判したことに激怒して一方的にカナダとの国交を断絶した。このことはサウジと同盟関係にある欧米諸国やベテランのサウジウォッチャーにも衝撃を与えた(8月8日付フィナンシャル・タイムズ)。イエメンへの軍事介入をはじめ人権問題に関して国際的な批判を浴びているサウジアラビア政府は、カナダに対して過剰反応を示すことで今後一切批判を受けつけないとのメッセージを打ち出そうとしているかのようだが、実権を握るムハンマド皇太子の強硬な外交姿勢を問題視する声が一層高まっている。
2017年6月にカタールと一方的に断交し、その後ドイツ政府がイエメン問題を批判したことを理由に政府プロジェクトからドイツ企業を締め出したことなどを踏まえ、最新の米国の外交雑誌フォーリン・ポリシーは記事の中でムハンマド皇太子を「傲慢で未熟な人間だ」と痛烈に批判した。
その皇太子が名実ともに権力を手中におさめる時期が近づいているようだ。
サルマン国王は7月30日、夏季休暇を過ごすため、紅海沿岸に建設中の新未来都市NEOM(ムハンマド皇太子の肝いりの構想)に到着した(7月30日付ロイター)。欧州や北アフリカで夏季の大半を過ごすのが通例であるサウジアラビア国王が、今年は急遽建設されたNEOM内の宮殿に滞在するという異例さから様々な憶測が流れていたが、8月13日、「サルマン国王の病状が悪化したため、国王専門の医療チームが現地入りしている」との情報が飛び込んできた。
内憂外患を抱えるムハンマド皇太子への王位継承は果たしてうまくいくのだろうか。
2018年8月17日 JBpressに掲載