地政学リスクがもたらす悪い原油高
イラクで代理戦争の恐れ、サウジアラビアの内政には不穏な動き

藤 和彦
上席研究員

米WTI原油先物価格はベネズエラの経済混乱と米国のイランへの制裁再開を背景に1バレル=70ドル超えの水準で推移している。

国際エネルギー機関(IEA)は5月18日、「OECD加盟国の3月の商業在庫が過去5年の平均を100万バレル下回る28億バレルとなった」ことを明らかにした。このことはOPECをはじめとする主要産油国が昨年(2017年)1月から実施した協調減産の目標が達成されたことを意味する。OPECは目標が達成されても引き続き減産を続ける意向を示している。それを受けてバンク・オブ・アメリカは「原油価格は来年に1バレル=100ドルに上昇する可能性がある」との見方を示した。だが、原油価格は今後も上昇を続けるのだろうか。

イランの原油生産量は減少するのか?

供給面から原油市場の現況を見ていこう。まずベネズエラだが、4月の原油生産量は前月比4万バレル減の日量約144万バレルとなった。減産目標を日量55万バレル下回り、生産水準は2年前に比べ4割(日量約100万バレル)落ち込んだ。5月20日の選挙で再選されたマドゥーロ大統領を認めない米国がベネズエラへの制裁を強化すれば、同国の原油生産がさらに減少する可能性がある(その効果は限定的なものにとどまるとの見方もある)。

次にイランだが、5月16日に国際石油メジャーの1つである仏トタールが天然ガスプロジェクトからの撤退を表明するなど海外からの投資の動きに陰りが出始めている。

また、米国は核合意離脱した後、イランを巡る安全保障の新たな仕組みづくりに向けて同盟国と取り組むことを開始している。2012年に欧米諸国が協調してイランに制裁を科したことにより、同国の原油生産量は日量約100万バレル減少した。米国が「前例のない圧力」をかけることで、イランの原油生産量は再び大幅減となるのだろうか。

イラン産原油を購入していない米国は、世界各国にイラン産原油の輸入削減を要請している。しかし、イラン産原油の最大購入先であるEUが米国の制裁に対して反旗を翻していることが前回と大きく異なっている。5月18日、EUは米国による対イラン制裁再開への対抗策として第三国が制定した法律の適用を阻止する「ブロッキング規則」を発動する方針を明らかにした。ブロッキング規則が発動されれば、欧州企業が米国の制裁の対象となっても、罰金の適用は除外されるほか不利益を被った企業には補償が与えられる。

欧州の銀行は米国の制裁を恐れて、原油の購入代金をイランに送金することに逡巡し始めている(5月11日付OILPRICE)が、EU委員会は「(銀行に代わり)各加盟国政府が直接イランの中央銀行に対し原油購入代金を振り込む」ことを検討するよう促した(5月18日付ロイター)。

前回の制裁で最もインパクトが大きかったのは、EUの保険業界がイラン産原油を運搬するタンカーへの保険付与を停止したことだった。だが、EUが米国と対立してでもイランとの関係を保持する姿勢を示せば、保険付与も大きな問題にならないだろう。

国ベースで最もイラン産原油を購入している中国も、その購入を続ける意向を示している(5月11日付OILPRICE)。原油価格が1バレル=50ドル台後半でも財政が維持できるイランが割安価格で原油を供給する攻勢に出れば、足元の原油高で苦境に陥る発展途上国はその購入をむしろ拡大する可能性すらある。

米国産原油のシェアは高まる一方

一方、米国のシェールオイルの「大躍進」は止まらない。

直近の米国の原油生産量は日量約1072万バレルとなり、過去最高の更新が続いている。米エネルギー省は5月に入り、「今年末の原油生産量を過去最高の日量1117万バレルになる」と見通した。これまでシェールオイル増産を牽引してきたパーミアン地区に加え、バッケンやイーグルフォードなどの鉱区も再び活気を取り戻してきており(5月15日付OILPRICE)、シェールオイルの生産量は6月に日量約718万バレルにまで拡大する見通しである(前月比約14万バレル増、前年比28%増)。

シェールオイル鉱区にはコスト面から開発が中断された「採掘済み未仕上げ(DUC)」の油井数は約8000基に上っており、原油高はDUCの開発再開を後押しする可能性が高い。そのため、石油掘削装置(リグ)稼働数が横ばいになっても、シェールオイルの増勢が止まることはないだろう。

「OPECが6月にも原油生産量の引き上げを決定する可能性がある」と報じられているが、米国産原油の世界市場でのシェアは高まるばかりである。直近の原油輸出量は日量約257万バレルにまで拡大し(イランの輸出量に匹敵)、「今年の輸出量の平均が200万バレルに達する」との指摘もある(5月11日付ブルームバーグ)。

米国産原油の年初からの増産幅は既に日量120万バレルを超えており、このままのペースを維持すれば、ベネズエラ(日量20万〜30万バレルか)やイラン(20万〜50万バレルか)の減産を穴埋めすることが十分可能となっている。

懸念されるアジアでの「オイルショック」

供給面に加え、需要面でも変化の兆しが鮮明になりつつある。

IEAは5月17日、「大幅な上昇が需要の拡大に影響しないとしたら特異である。原油高の影響は今後数カ月のガソリン需要で特に顕著になるだろう」と指摘した。

特にアジア地域が深刻である。アジア地域は世界の原油需要の35%以上を占めるが、地域での原油生産量は世界の10%に満たないため、原油価格の上昇に対する抵抗力が弱い。インドやインドネシアなど多くの国が財政難を理由に燃料代に対する補助を大幅に削減したこともあって、ガソリンやディーゼル価格は5年ぶりの高値となっている。

アジア諸国の今年の原油購入代金は2016年の2倍に近い1兆ドル超になり、アジアで「オイルショック」が起こるとの懸念が広がっている(5月17日付ロイター)。

原油の最大輸入国である中国の4月の原油輸入量は日量960万バレルと過去最高を更新したが、商業在庫は3月から4月にかけて65%増となっている(5月16日付OILPRICE)。軽油に続きガソリン需要も頭打ちになりつつあるからだ。さらに中国政府の金融引き締め政策の影響で、新興エネルギー企業の雄である中国華信の子会社がデフォルトを起こす事態が発生しており、民営企業の旺盛な原油需要にも陰りが見え始めている。

原油の最大消費国である米国でも、小売会社や投資家の間で「コスト上昇で消費者が財布のひもを引き締める」として原油高への警戒感がもたげ始めている(5月17日付ロイター)。カリフォルニア州の一部の地域のガソリン価格は1ガロン当たり4ドルを突破した(ガソリン価格の過去最高水準は2008年7月の1ガロン=4.11ドル)。「米国はシェール革命により輸出国の色彩が強くなっており、2008年の時よりもダメージは少ない」との見方があるが、トランプ大統領ご自慢の減税策の効果が台無しになってしまったことは間違いない。

公の場から姿が消えたムハンマド皇太子

5月17日に1バレル=80ドルを超えた北海ブレント原油先物価格に関するヘッジファンドの買い越しは、5週連続で減少している。「足元の基礎的諸条件をより強く反映する現物相場が低迷し、先物価格との差が開いており、市場は近く調整に見舞われるのではないか。米国の原油輸出量の日量200万バレル超えが当たり前になった状況下で、市場では需給が既に飽和状態にあり、20ドルの調整があっても驚かない」と危惧する声も聞かれる(5月15日付ロイター)。

英蘭BPのダドリーCEOも5月18日、「原油価格が1バレル=80ドル以上で維持されることは健全でない」とし、「シェールオイルやOPECの増産で原油価格は1バレル=50〜65ドルに下落する」と予測した。

しかし、地政学リスクの発生が需給関係に反してさらなる原油価格の上昇を招くかもしれない。

5月12日に投票が行われたイラクの連邦議会選挙で、反イランのイスラム教シーア派指導者のサドル師の政治勢力が最多議席を獲得した。過半数には届かず他のシーア派政治勢力と連立政権の樹立に向けた交渉が行われることになるが、サドル師はサウジアラビアへ接近する動きを示しており、イラクにおいてもサウジアラビアとイランの代理戦争が生じる恐れがある(5月15日付OILPRICE)。

サウジアラビアでも、イエメンのシーア派反政府武装組織フーシの石油関連施設に対するミサイル攻撃が続いており(5月14日付OILPRICE)、「イエメンからのミサイル攻撃でサウジ側に多数の死者が出れば広範な地域戦争が勃発する」と専門家が警告を発している(5月11日付ロイター)。

サウジアラビアは内政でも不穏な動きがある。サウジアラビア国営メディアは5月19日、「著名な人権活動家7人が当局に逮捕された」と報じた。サウジアラビアでは女性による自動車運転が6月24日に解禁されるなど女性に対する制約が破られるとの期待が高まっていたが、今回の逮捕について、現地紙は1面で「海外にいる敵対分子の支援を受けた裏切り行為は失敗した」と題する記事を掲載した。

ムハンマド皇太子は、「ビジョン2030」とともに「1979年以前の穏健なイスラム教の国を目指す」と内外にアピールしていた。それにもかかわらず、なぜこのような改革に逆行するような動きを阻止しなかったのか。

不可解なことにムハンマド皇太子は4月21日(夜にリヤド王宮近辺での銃撃事件が発生したとの噂がある)以降、公の場に姿を見せなくなっている(ポンペイオ国務長官のサウジアラビア訪問の際にも姿を現さなかった)。このため、その消息に関する様々な憶測が飛び交っている。「サウジアラビアの一部の王族がクーデターを起こし、銃撃の標的はムハンマド皇太子だった」との情報もある。この事態に慌てたサウジアラビア政府は「プールサイドで野球帽を被りエジプトのシシ大統領と肩を組んでいる」ムハンマド皇太子の写真をネット上に配信したが、その写真の不自然さゆえに逆に「火に油を注ぐ」結果を招いてしまっている(5月23日付ZeroHedge)。真偽のほどは定かではないが、市場関係者がサウジアラビアの地政学リスクに注目するようになれば原油価格の100ドル超えは確実だが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」。

50%を超えた直近1年の原油価格上昇率

国際商品市場では、原油価格が上昇する一方、銅や亜鉛といった非鉄金属を中心とした工業製品材料の価格が停滞している(5月10日付日本経済新聞)。商品価格は同じ方向に動く傾向が強いが、足元で工業生産活動が鈍っている中で地政学リスクの高まりで原油価格だけが上昇している構図が浮き彫りになっている。

原油価格が前年比で50%を超えて上昇すると経済に悪影響を与えるようだ(5月15日付ウォールストリートジャーナル)。戦後5回のうち4回(1973年、1980年、1990年、2008年)がそうだったからだが、直近1年間の原油価格の上昇率は既に50%を超えている。

地政学リスクがもたらす悪い原油高により世界経済に「パーフェクトストーム」が襲来するリスクが高まっている。

2018年5月25日 JBpressに掲載

2018年6月1日掲載

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