米WTI原油先物価格は5月7日の時間外取引で1バレル=70ドルの壁を突破した。1バレル=70ドルの水準は、2014年11月下旬以来、3年5カ月ぶりのことである。
米国がイラン制裁を再開するとの観測やベネズエラの経済混乱を理由に世界の原油生産量が減るとの見方が強まっていたからである。
ベネズエラの原油生産の落ち込みは、財政難による資金不足で底なし状態となっている。3月の生産量は日量約149万バレルとなり、2016年に比べて約60万バレル減少した。ベネズエラの原油生産は今や過去30年で最低水準となっている。5月7日に「米石油大手コノコフィリップスは、国際調停に基づく補償金の支払いを拒否したベネズエラ石油公社PDVSAがカリブ海の島に保有する石油関連施設の差し押さえに動いている」と報じられたことも買い材料となっている。コノコフィリップスによる当該資産の差し押さえにより、PDVSAの原油生産はさらに日量20〜30万バレル落ち込む可能性がある。
ベネズエラの苦境により、OPECの協調減産の遵守率は高まるばかりである。減産対象12カ国の減産遵守率は162%となり、生産量は2016年10月の水準より日量約190万バレル下回っている。目標量(日量120万バレル)を70万バレル上回る減産を達成できているのは、ベネズエラの減産(日量60万バレル)のおかげというわけである。
原油高で米国の原油生産は拡大
一方、OPECの好調な協調減産による原油高が、OPECにとって頭痛の種である米国のシェールオイルにとっても追い風であることは言うまでもない。
米国の原油生産量の増加幅は、OPECの減産の基準である2016年10月に比べて既に日量200万バレルを超えている。2018年5月の米国の原油生産量は日量1070万バレルを突破し世界一のロシアに急接近しているが、直近の国内の石油掘削装置(リグ)稼働数も834基となり、2015年3月以来の高水準となった(前年同期のリグ稼働数は703基)。
原油輸出も好調である。足元の輸出量は日量230万バレルと過去最高となった。米国の財輸出に占める原油・石油製品の割合も9%を超え(実質GDPベース)、21世紀初頭に比べ3倍に迫る勢いである(市岡繁男氏の分析に基づく)。
前回のシェールオイルブームの最盛期の価格水準には及ばないが、米国南部のパーミアン地域を中心に「単位面積当たりでより多くの原油を抽出できる」技術が確立し、シェール企業の採算水準が1バレル=25ドルにまで下がっていることから、現在の原油価格は当時の100ドル並みの価値があるようだ(5月1日付ロイター)。
シェール企業の財務状況も大幅に改善している。キャッシュフローが潤沢となったことから、大手のシェール企業は新規油井の開発費用を初めて自社資金で賄えるようになった(4月24日付フィナンシャルタイムズ)。
このような情勢から米国の原油生産の増加幅が拡大することは必至であり、OPECがさらなる減産努力を行わない限り、世界の原油市場の需給は緩み続けることになる。
今回の制裁で減少しないイランの原油生産
しかし、市場は「強気」一色と言っても過言ではない。
ゴールドマンサックスは5月2日、「原油価格は7月に1バレル=82.5ドルに達する。商品への投資は再び安全になっている」との見方を投資家に示した。「2020年に向けて1バレル=100ドルの大台も視野に入ってきている」との予測も出始めている(5月4日付東洋経済オンライン)。
強気筋にとっての決め手は「米国のイラン核合意破棄」である。イランの原油生産量は2015年の制裁解除以降日量約100万バレル程度増加し、現在同380万バレル超となっており、4月の輸出量も同約262万バレルと過去最高となった。だが、米国のイラン核合意破棄により輸出が低迷し、年末までに日量約50万バレルの減産を余儀なくされるとの見方が一般的である。
2012年のイラン制裁時で最も効果的だったのは「イラン産原油の輸送船(タンカー)に対する保険付与」の中断だった。世界の船舶・貨物・事故賠償責任などの再保険市場を掌握しているEUの保険業界が、イラン産原油を運搬するタンカーに関する再保険契約を拒否し、タンカーを調達できないイラン産原油が行き場を失ってしまった。また当時、イラン産原油の大口購入者である中国とインドがイラン産原油の購入を手控えたため、イランの原油輸出は大きく減少した。
だが、今回米国が核合意を破棄しても、EUが2012年当時の制裁を復活させることは想定しづらく、中国(日量65万バレル)やインド(日量50万バレル)はイラン産原油の購入を続ける可能性が高い。「米国の制裁が全面的に発効される11月までにイランは原油生産量を駆け込み的に増大させる」とする見方(ドイツ銀行)もあり、そうなれば逆に「失望売り」が発生するのではないだろうか。
足並みが崩れるOPECの協調減産
米国の核合意破棄は、イランの原油生産にとどまらずOPEC全体の協調減産に悪影響をもたらすことは確実である。イランが米国の中東地域の最大の同盟国であるサウジアラビアとの協調に消極的になるからである。
OPEC総会は6月22日に開催されるが、その時点までに「OECD諸国の原油在庫を過去5年間の平均にまで減らす」という減産目標は達成されることは確実な情勢にある。2016年12月時点ではイランとサウジアラビアは「原油価格を回復させる」という共通目標を掲げて「呉越同舟」の関係を築いた。だが、このところ原油価格を巡って両国の間に意見の相違が目立ってきている。
サウジアラビアは「国営石油会社サウジアラムコの新規株式公開(IPO)を後押しする狙いから、さらなる原油高を望む」とされている。サウジアラビア財政が均衡する原油価格は1バレル=88ドルである(国際通貨基金(IMF)調べ)。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が5月2日に発表した「2017年の世界の軍事費」によれば、サウジアラビアの軍事費は694億ドルでロシアを抜いて世界第3位となった(2016年のサウジアラビアの軍事費は637億ドル)。原油価格の上昇で生み出されたマネーの太宗が軍事費に回ってしまっていることから、サウジアラビアはさらなる原油高が不可欠な状況となっている。
それに対してイラン石油省のザマニニア次官は5月6日、「原油の適正な価格は1バレル=60〜65ドルである」と発言した。原油価格が1バレル=60ドル以下でも財政を切り盛りできるイランにとって「これ以上の原油高はシェールオイルが利益を享受するだけだ」と考えているのだろう。
3月・4月と2カ月連続で減産目標を上回る原油生産を続けているロシアも、政府は「引き続き減産を支持し実行する」との態度を崩していないが、石油会社の間で減産に対するインセンテイブが減少していてもなんらおかしくない。
原油高が及ぼす世界経済への悪影響
話題を原油市場を巡る情勢に戻すと、「米国のイラン核合意破棄によるさらなる原油高」というシナリオが仮に不発に終わったとしても、これに代わる中東地域の地政学リスクは目白押しである。
サウジアラビアが軍事介入を続けているイエメンのシーア派反政府武装組織フーシが、サウジアラビア南部にあるサウジアラムコの石油関連施設に対するミサイル攻撃を続けていることから、北海ブレント原油先物価格は4年ぶりの高値を記録している(5月7日付OILPRICE)。フーシが発射するミサイルはイランから提供されているとされてきたが、「フーシは最近イエメン国内で自らミサイルの製造を開始した」との情報があり(5月5日付ZeroHedge)、サウジアラビアへの脅威は高まるばかりである。
シリアを舞台にイスラエルとイランが直接対決する戦争のリスクも高まっている(5月4日付ブルームバーグ)。「核合意の破棄でイランが原爆開発を再開する」と考えるイスラエルのイランへの軍事攻撃も現実味を帯びてくるだろう。
こうした地政学リスクが招くさらなる原油高は、世界の原油需要にどんな影響を及ぼすのだろうか。
「第2の中国」と目されるインド(世界第3位の原油輸入国)で、悪影響が出始めている(4月30日付OILPRICE)。1バレル=50ドルの原油価格を良しとするインド経済ではインフレ懸念が高まり、景気が急減速する懸念が高まっている。原油高に苦しむインドに対して、ベネズエラは「官製仮想通貨ペトロで決済すれば原油価格を30%割り引く」との提案をしている(4月30日付OILPRICE)。
米国でもレギュラーガソリン価格が1ガロン当たり3ドルに迫っていることから、ドライブシーズン前にもかかわらずガソリン在庫が増加する兆しを見せている。
原油の最大輸入国である中国では、「茶壺」と呼ばれる民間製油所の原油需要が引き続き旺盛だが(4月の原油輸入量は日量964万バレルで過去最高を更新)、大手国有石油会社は原油高を理由にサウジアラビア産原油の輸入を削減する動きが出始めている(5月3日付OILPRICE)。
2007年半ばに原油価格が1バレル=80ドルを超えると米国の原油需要の減少が顕著となったが、リーマンショック後の病み上がり(借金漬け)の世界経済の下では1バレル=70ドルがその分岐点になるのかもしれない。
原油市場で供給増に加えて需要減という要因が重なれば、地政学リスクの高まりにもかかわらず、2014年後半に生じた「逆オイルショックの再来」の再来が起きる可能性があるのではないだろうか。
2018年5月11日 JBpressに掲載