なぜヘッジファンドは原油買いを続けているのか
米国経済にとって真の脅威となる原油価格の下落

藤 和彦
上席研究員

米WTI原油先物価格は、下落圧力が強まる中で約3年ぶりの高値となっている。

最も大きな下落圧力となっているのは、「米中貿易摩擦が世界経済の減速を招き原油需要の減少につながる」との警戒感の高まりである。米国政府が中国製品に対する関税引き上げの規模を500億ドルから1500億ドルに拡大すると発表したことから、「米中は話し合いで貿易問題を解決する」との期待が冷え込みつつある。

また、米国の石油掘削装置(リグ)稼働数の増加が続いているのも弱材料である。前週末のリグ稼働数は11基増の808基となり、前年同期に比べ約2割増の水準となった。

これに対し、相場の下支えとなっているのは地政学リスクである。

シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとの疑惑が浮上したことから、トランプ大統領は4月9日、アサド政権への軍事行動も辞さない姿勢を示した。その直後にシリア国営メディアは、「イスラエル軍のF15戦闘機がレバノン領空からミサイル攻撃を行った」と報じた。市場関係者は「シリア情勢の緊迫化によって米国のイラン核合意離脱の可能性がさらに高まった」と受け止めている。

原油価格の現実的な“実力”は?

こうした貿易摩擦の懸念や地政学リスクは、先行き不透明感が高まる中で市場関係者を神経質にさせているが、現実の原油需給への影響が顕在化しているわけではない。

現実の原油需給はどうかと言えば、OPECをはじめとする主要産油国の協調減産は引き続き盤石である。ブルームバーグ調査によれば、3月末のOPEC原油生産量は前月比17万バレル減の日量3204万バレルとなった。ベネズエラが前月比10万バレル減の日量151万バレルとなったことが主要因だった。

OPEC議長であるアラブ首長国連邦(UAE)のマズルーイ・エネルギー相は4月4日、「協調減産により供給過剰問題の85%が解消され、主要産油国は減産期間終了後の協力のあり方について協議している」と述べた。

4月20日にサウジアラビアのジッダで開催される共同閣僚監視委員会では、今後の一定の方向性が打ち出されるとみられる。現在の協調減産は「過剰在庫を過去5年平均まで削減する」ことが目標となっているが、その目標を「過去7年平均」に変更することが有力な選択肢である。OPEC加盟国とロシアとの間の一時的な協調的な枠組みを超長期の体制に発展させていくことも話題に上っている。

一方、米国の原油生産量は日量1046万バレルにまで拡大し、毎週のように過去最高記録を更新している。

原油生産量拡大の立役者は米国南部パーミアン地区(テキサス州とニューメキシコ州)のシェールオイルである。収益が飛躍的に改善している企業も少なくなく(3月29日付ブルームバーグ)、新たな資金調達の途も開けつつある(4月9日付OILPRICE)。今後しばらくは増産が続くのではないだろうか。メキシコ湾の深海油田開発コストもシェールオイル並みに下がってきており(3月27日付OILPRICE)、今後メキシコ湾での原油増産も視野に入ってきている。米国の原油輸出は昨年(2017年)後半から急速に増大しており、直近の週平均は日量218万バレルと過去最高を更新している。

原油価格は昨年前半に1バレル=42ドル台まで低迷したが、主要産油国の協調減産の効果が昨年6月以降の価格に反映されるようになり、今年1月には同66ドル台まで上昇した。その後も同60~65ドルのレンジ圏で推移しているが、原油需給は緩み始め、その緩みがさらに拡大する可能性がある。欧米の投資銀行は「原油価格は年末までに1バレル=50ドルに下落する」との見方も示し始めている(3月29日付OILPRICE)。

主要産油国の協調減産がシェールオイルの増産などで打ち消される状況下で、2017年の原油価格の平均が1バレル=50.85ドルだったことを考えれば、原油価格50ドルという数字は現実味がある。現在の60ドル超の原油価格とのギャップは、地政学リスクによるプレミアムであると言っても過言ではない。

周辺国との関係が悪化するサウジアラビア

地政学リスクについては、先述したシリア紛争よりも、サウジアラビアと周辺国との関係悪化の方が原油市場に与えるインパクトが大きい。

まず、気になるのはサウジアラビアとイランの対立激化である。サウジアラビアがイランの脅威を煽るのに対しイラン側が比較的冷静に対処してきたことで決定的な対立に至っていないが、5月に米国が核合意を破棄すれば、イラン側も「堪忍袋の緒」が切れる。原油政策を巡っても「協調減産を延長したい」サウジアラビアと「協調減産の早期解除を図りたい」イランの間の溝が深まっており、「6月のOPEC総会は波乱含みとなる」との懸念が生じている(4月4日付OILPRICE)。

隣のイエメンでは、イスラム教シーア派武装組織フーシとハディ政権の内戦が続いている。4月4日、中東のテレビ局アルアラビーヤは「イエメン西部ホデリダ沖の紅海で航行中のサウジアラビアの原油タンカーがフーシのミサイル攻撃を受けたが、被害は軽微であったことからそのまま航海を続けた」と報じた。その後も「フーシはサウジアラビア南西部のジザンにあるサウジアラムコ社の石油タンクにミサイル攻撃を行ったが、サウジアラビア空軍によりミサイルは破壊された」との報道がなされるなど、フーシによるサウジアラビアの石油関連インフラを対象とした攻撃が脅威となりつつある。

業を煮やしたサウジアラビア主導の連合軍は、空爆に加えて地上での戦闘を拡大したようだが、4月6日、イエメン北部でフーシの待ち伏せ攻撃に遭い、スーダン兵多数が死亡した(4月8日付時事通信)。スーダンは2015年にサウジアラビアの要請に応じて連合軍に加わり、資金援助国であるサウジアラビアの意向に沿う形で「イエメン国内での地上戦闘」という危険な役目を担ってきた。今回の惨劇でスーダン国内の厭戦気分が高まれば、戦線からの離脱もあるかもしれない。イエメンでの人道危機に対する非難が米国内でも高まっており、米軍は事態の早期収入のために重い腰を上げざるを得ない状況に追い込まれつつある(3月30日付ZeroHedge)。

さらにサウジアラビアは、やはり隣国のカタールとも対立を深めている。2017年6月「カタールがテロリストとイランを支援している」ことを理由に断交した。その後、クウェートなどの仲介努力にもかかわらず事態は好転しなかったが、驚くべきニュースが飛び込んできた。4月9日付ブルームバーグが「サウジアラビア政府はカタール国境との間に幅200メートルにも及ぶ大運河を建設するとともに、国境付近に軍事基地と建設が予定されている原子力発電施設から生じる放射性廃棄物処分場を設置する」と報じたのだ。カタールを「半島国家」から「島国」にすることで物理的にも隔離を進めようとしているのだろうか、その意図はともかくとしてカタールに第5艦隊の母港を置く米軍にとって頭が痛い状況となっている。

ムハンマド皇太子が致命的なミス?

これらの紛争の元凶とも言えるムハンマド皇太子は4月7日、1週間に及んだ米国訪問をブッシュ元大統領の親子との対面で締めくくった。「超保守的なサウジアラビアの近代化を推進するリーダー」との印象を米国内に広めるために躍起だったようだ。

だが、ムハンマド皇太子は致命的なミスを犯してしまったかもしれない。筆者が注目するのは4月2日付の米誌アトランティックに掲載されたインタビュー記事である。驚いたのはムハンマド皇太子が「サウジアラビアがこれまでIS(イスラム国)などのイスラム過激派に資金支援を行ってきたことを認め、今後支援を打ち切る」と述べたことである。過去の暗いイメージを一掃するためだったのだろうが、これを認めてしまっては「サウジアラビアにはカタールを糾弾する資格がない」ことも認めたことになる。

さらに驚いたのは「イスラエルの人々は自国の土地で平和に生活する権利がある」と述べたことだ。「イランという共通の敵を倒す」という思惑から、サウジアラビアとイスラエル両国は水面下で接近していたが、その結びつきが一気に表に出てきたのである。ムハンマド皇太子と親密な関係にあるトランプ大統領の娘婿であるクシュナー氏のシナリオに沿ったコメントだったのかもしれないが、公になったタイミングがイスラエル軍の銃撃により多数のパレスチナ市民が死亡した直後と最悪だった(4月4日付アルジャジーラ)。

トランプ政権下の米国と強固な同盟関係を築いたかに見えるムハンマド皇太子だが、シェール革命により中東産原油への依存から脱却しつつある米国(「2020年に米国の原油輸入はゼロになる」との予測が出ている)にとって、サウジアラビアの戦略的価値は格段に落ちている(3月19日付ブルームバーグ)。クシュナー氏が政権での影響力を失えばムハンマド皇太子の努力も水の泡になりかねない。

原油価格の高止まりが可能にする錬金術

ますます高まる気配を見せる地政学リスクだが、これを追い風に「原油買い」を進めているのがヘッジファンドをはじめとする投機筋である。米中貿易摩擦への懸念からその動きは若干鈍っているが、「買い」の水準は依然として過去最高に近い。

「買い」を進めている理由の背景には株価対策があるようだ。金利の上昇などで高原状態への懸念が高まっている株価が引き続き堅調に推移しているのは信用スプレッド(ジャンク債と国債の利回り差)が拡大していないからだとされている。信用スプレッドが拡大しないのはジャンク債の発行条件が良好のままだからだ。専門家によれば、信用スプレッドが拡大しない理由として原油価格が高止まりしていることが挙げられるという。シェール企業がジャンク債の大手発行元であることから「原油価格が高止まりしていれば、シェール企業の収益条件が維持される」との安心感が維持され、通信や金融などを含めた全体のジャンク債市場全体の発行条件が悪化しないというわけである。

米国株式市場を支える要素として「ジャンク債による自社株買い」があるが、信用スプレッドが拡大しない限り、この錬金術は有効である。だが原油価格が下落すれば、ジャンク債市場が不調になり、株式市場の大きな下落リスクに直結する。そうなれば株式市場の好調さで隠れていた様々なリスク要因が顕在化し、最悪の場合次の金融危機の火種になりかねない。

筆者はこのような懸念を2015年頃から有しているが、曲がり角に近づきつつある米国経済にとって真の脅威は、貿易戦争ではなく、原油価格の下落なのかもしれない。

2018年4月13日 JBpressに掲載

2018年4月20日掲載

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