人工知能(AI)の導入が今後飛躍的に進む可能性があるとされる昨今、「仕事の大半が将来失われてしまうのではないか」という不安が広がりつつある。
現在のAIは限られた領域(例えば将棋・運転など)に特化して能力を発揮するもの(特化型AI)だが、2030年頃にはあらゆる領域で能力を発揮するAI(汎用AI)が実現するとの期待が高まっている。汎用AIは特化型AIに比べて格段のコスト低下につながる(かつてのワープロ専用機がWindowsのワードに駆逐されたことを想起せよ)ため、その導入拡大は今後飛躍的に進むのではないだろうか。
『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』の著者である駒澤大学の井上智洋准教授は「汎用AIが2045年にはかなり普及しており、残っている雇用分野は(1)クリエイティブ系(2)マネジメント系(3)ホスピタリティ系に限られ、就業者数は約1000万人になる」と予測している。マイケル・オズボーン・オックスフォード大学准教授は「2011年度に米国の小学校に入学した子供達の65%は大学卒業時に現在存在していない職業に就くだろう」と予測している。
アンディ・ウォーホルの予言した未来
情報革命の進展により仕事がますます細分化され、サラリーマンの仕事に生きがいを見つけることが難しくなっている現在の若者は衣食住よりも快感を求める傾向が強いと言われている(団子より花)が、汎用AIの導入によりモノの値段が劇的に下がれば現在「遊び」でしかないような活動でも生活できるようになる人が増えるのではないだろうか。
ユーチューバーがその典型だろう。
ソニー生命保険が2017年4月に実施したアンケートで男子中学生が将来なりたい職業の第3位に「ユーチューバーなど動画投稿者(17%)」がランクインしたが、ユーチューバー達は面白い企画(歌や踊り、創作料理、メイク術など)を考えて映像作品を発信し、視聴者数をマネタイズして生活の糧にし始めている。
米国では2015年10代の若者に対して「セレブとは誰か」とのアンケートが実施されたが、トップ10のうちトップ5がユーチューバーとなった。日本でもカリスマ・ユーチューバーは当たり前の存在になりつつある。
誰でもライブ放送ができるアプリ「SHOWROOM」も大人気である。
2017年の流行語大賞は「インスタ映え」だったが、かつては「特別なイベントの記録」だった写真や動画は今や「感情や状況を共有するコミュニケーションの道具」となりつつある。「日常の中の見過ごされがちな楽しさや美しさをすくいとる」という行為が急速に拡大した。微細な変化を敏感に察知できる感性がますます重要になっている。
情報革命の結果、ツイッターやフェイスブックなどのプラットフォームには専門家ではない一般人の手による写真や絵が膨大に流通しており、民主的かつ巨大なコンテンツ鑑賞空間がネットに広がり、あらゆるコンテンツが万人によって選び取られシェアされるようになった。自分の曖昧な気持ちを曖昧のままに画像や動画などで伝えることができるようになり、新しいことはすべて自己表現の手段になるというのがSNS時代の特徴だ。かつてアンディ・ウォーホルが予言した「誰もが15分間は有名になれる時代」が現実化したのである。
見る者を元気にする「熱量」が持つ価値
筆者は若者達の行動を新たな芸術活動として捉えられるのではないかと考えている。
芸術活動と言えば絵画や彫刻、クラシック音楽など堅苦しいイメージが強いが、「芸術は爆発だ」で知られる岡本太郎は「芸術の形式には固定した約束はない。技術の進歩に応じて時代毎に常に新鮮な表現をつくっていくべきである」と主張していた。
岡本太郎は「あなたの職業は何か」と聞かれた際に「人間だ」と答えたように、今後人間自体が芸術作品になる時代が来るのではないだろうか。心を伝えあおうと想像力を働かせてコミュニケーションするという芸術の特質を化体したのは人間だからだ。そうなれば芸術家にはある程度の基礎技術が必要だが、何より重要なのは「熱量」ではないだろうか。アウトプットを目的とせずにひたすら没頭することが大事になってくる。
実際インターネット上で歌や芸を披露する者に対して本当に楽しそうに熱中してやっている場合に人気が出ることが多い。「好き」は他の人々の世界に新しい意味を与えそれを楽しむことができるきっかけとなるからである。好きなことに打ち込む熱量は見ている人を元気にする効果があるのだ。
現在のネット上の若者の活動はけっして褒められたものばかりではない(歌舞伎はかつては「悪態の所作」と揶揄されていた)が、「美は乱調にあり」。混沌の中からきらりと光るものが生まれ、それらが徐々に醸成されて秩序らしきものが生まれていくことを期待したい。情報革命により芸術活動の「民主化」「平等化」が一気に進んだ感が強いが、この現象は日本の伝統への回帰と言えるかもしれない。
「江戸の庶民」と「現代の若者」に通じるもの
「西洋では『天賦の才』が重んじられたが、日本では『修業を通じて誰もが名人になれる』という発想だった」。こう指摘するのは『日本美を哲学する』の著者・田中久文だが、日本における芸術活動は誰もが参加しうるものであり、創作者と享受者の区別なく相互に入れ替わる特徴を有していた(オタクの同人誌即売会であるコミックマーケットを想起せよ)。芸術家という存在も職業的に未分化だった。
『99%の会社はいらない』の著者である堀江貴文は「以前は存在しなかった仕事を見かけるようになったが、特にネットを利用した仕事で顕著である。『遊びの達人』が10年後のビジネスを作る。仕事は娯楽であり、趣味であり、エンターテインメントであるべきだ」と主張するがけっして夢ではない。
江戸の庶民達は大道芸人には気前よく投げ銭をはずみ、芸事を習い、歌舞伎や寄席に頻繁に繰り出したが、お互いに芸事を教え合い習い合う関係を築き上げていたという歴史の前例がある。モノを大切に使いこなす一方で、「浮き世」を楽しくするため芸事に「なけなしの金」を投じ、人間関係には豪勢な散財を競い合っていたのである。
現在インターネット上では「面白い」と思ったらその人に「投げ銭を送る(有料のアイテムを購入する)」という行為が活発化しつつある。日常生活からできた「心のサビ」を吹き飛ばしてくれる熱量(情熱)が金銭的にも評価されているからだろう。
「人として生きるために社会に意味を求める」という点で江戸の庶民と現代の若者の間に通じるものがある。
「高齢クリエイター」が活躍する未来
最近の脳科学(神経美学)の進展により、「美しい」と判断する際に機能する脳の部位が報酬系に属していることが明らかになった。このことは高価な絵画の売買だけでなく「美」の鑑賞自体が新たな欲望の対象となりうることを意味している。
カントは美について「手段〜目的の関係にとらわれることなく享受することができる」と指摘したが、超高齢社会日本で美的価値は今後ますます大きくなっていくだろう。美術展覧会やクラシック音楽会に足繁く通う高齢者は少なくないが、今後自らがネット上の芸術活動に参加し熱量を交歓しあうケースが増えれば、新たないきがいが生まれる。
ピーター・タスカは汎用AI時代が到来する「2050年の日本は100歳を超える多くの高齢クリエイターとその創作活動を支えるたくさんの老壮オタクが創り出す文化が花開く社会になる」と突拍子もない予言を行っているが、以上の議論からすれば至極もっともな目標と言えるのではないだろうか。
2018年1月23日 WEBマガジン「WEDGE Infinity」に掲載