金融分断がもたらす米中の衝突リスク
米国への意趣返しと政権維持のために強硬措置をとる中国政府

藤 和彦
コンサルティングフェロー

中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は8月20日、外国からの制裁に対抗する中国の「反外国制裁法」を香港に適用する採決を見送った。

米国は「中国が『香港国家安全維持法』を使い、香港の反体制派を締め付けている」として、中国や香港の当局者を制裁対象に指定してきた。中国政府はそのことを受けて今年(2021年)6月に「反外国制裁法」を成立させ、対中制裁に関与した個人や組織に対するビザ発給拒否や中国国内の財産差し押さえなどの措置を導入した。

この法律の適用を香港に広げる方針だったが、全人代常務委の決定が急遽先送りとなったのである。

その背景には香港ビジネス界から懸念する声が出ていたことがある。

米中の関係悪化にもかかわらず、欧米の大手金融機関は急成長する中国の「玄関口」である香港での活動に力を入れている。米モルガンスタンレーは過去1年で資産を70パーセント増加させ、米シティは今年人員を1700人増やすという。しかし同法が香港で適用されれば、外資系金融機関は米中の関係悪化の影響をもろに受ける可能性が出てくる。そうなる事態を回避するため、国際金融センターの香港から外資系金融機関がこぞって撤退するのではないかとの懸念が生じていたのである。

中国政府が自国企業の海外展開に規制

中国側が急ブレーキをかけたことで事なきを得たが、このところ米中のデカップリング(分断)が金融の分野にも及んでいることは気になるところである。

冷戦時代の米ソ対立ではヒト、モノ、カネの往来が制限されていたが、現在の米中対立は経済面での相互依存が強い分、決定的な対立には発展しにくいとの楽観論があった。だが貿易、技術や人権問題に加え、経済活動の根幹とも言える金融の分野にも及ぶにつれて、米中関係の先行きが危ぶまれる事態となっている。

中国政府は7月6日、海外上場を目指すほぼすべての企業に対しサイバーセキュリティ審査を義務づける新たなルールを提案したことで、米国市場に上場する中国IT企業の株式が軒並み下落する展開となった。

中国政府が自国企業の海外上場に対する規制強化に乗り出した理由として、金融面でも中国への締め付けを図る米国への意趣返しの側面があると言われている。バイデン政権はトランプ前政権からの対中強硬姿勢の継続を鮮明にしている。

米国と中国の間のカネの流れを見てみると、米国から中国への証券投資総額(資本と負債の合計)は1.2兆ドル、中国から米国へは証券投資総額は2.1兆ドルに達する(7月8日付日本経済新聞)。

改革開放以降の中国経済の急速な成長を支えてきたのは海外から流入した大量の資金である。世界銀行によれば、中国への直接投資のネットの流入(対内投資から対外投資を引いた額)のGDPに対する比率は、1990年代中頃は6%程度と他国に比べて飛び抜けて高い水準だった。この数字は最近では1%台にまで低下しているが、IT企業などの先端産業が巨額の資金を海外から調達していることは間違いない。米中経済安全保障調査委員会(米国連邦議会の諮問機関)によれば、今年5月時点で米国の主要取引所に上場する中国企業は248社で、時価総額は2.1兆ドルに上る。

世界第2位の経済大国となった中国だが、いまだに資本取引を厳しく制限している。「無秩序な資本の拡張防止」を掲げて社会主義に傾倒し始めている習近平指導部のもとでは、海外の市場ももはや「聖域」ではなくなりつつある。

マネーの分断は中国企業が海外市場開拓や人材獲得の面でグローバル競争に後れをとることにもつながりかねず、中国経済の成長が鈍化すれば、共産党の一党支配の正統性が揺らぎかねない事態となるだろう。

米国との金融分断が与える自国への悪影響は計り知れないほど大きいにもかかわらず、中国政府が今回の措置に踏み切った理由として、貧富の差の拡大や機会不平等に対する国内の不満が高まっていることが挙げられる。8月17日に示された共産党中央財経委員会の声明によれば、習近平国家主席は「不当な利得」を抑制し、賃金を引き上げ、中所得層を拡大したいとの意向だという。中国政府は政権への批判をかわす目的で、政府のコントロールが緩く、最も強い社会的な不満を生み出しているとされる巨大企業への規制を強化する政策を採り続けている。

消滅しかかっている「安全弁」

中国政府の一連の動きに米ウォール街が落胆しているのは言うまでもない。

新型コロナウイルスのパンデミック時の米国市場で、中国企業の新規株式公開(IPO)やその大株主の株式売却の動きは際立っていた。米国の投資銀行は直近の1年で中国企業のIPOなどで利益は前年に比べ452%増の492億ドルとなった。しかし中国政府のせいで、今後見込まれている合計500億ドル規模のIPOなどの案件の実現が危うくなっている。

ウォール街からは「自ら米中の資本市場の分断を進める中国政府の行為は理解できない」との怒りの声が上がるとともに、「共産党の支配は常に投資家の利益よりも優先される」として中国経済全体に対する不信感が急速に強まっている。

米証券取引委員会(SEC)のグンスラー委員長は8月16日、中国企業への投資リスクをこれまでにない強い調子で警告を発しているが、今後ウォール街の中国離れが進むとすれば、米中関係にどのような影響をもたらすのだろうか。

ウォール街はこれまで米中関係の安全弁だったとの説がある。一例を挙げれば、2018年2月、米中貿易交渉で中国側トップの劉鶴副首相がワシントンを訪問した際、米側の交渉相手と会う前にウォール街を代表する企業幹部と面会し、「あなた方の助けを必要としている」と語ったと言われている。

中国共産党指導部の顧問を務める国際政治学者が昨年11月下旬に上海で開催された討論会で「1992年から2016年までの米中間に起きたすべての問題が2カ月で解決できたのは、ウォール街にいる中国当局の友人が米国政府に働きかけたおかげである」と発言した。この人物は中国外交部、統一戦線部、共産党中央対外宣伝弁公室、軍事科学院などに助言を行っているとされている。

「金融が良好な外交関係を醸成する」という歴史の前例がある。

1920年代の日米関係は、ウォール街の金融資本家と日本のリーダーとの間の信頼関係によって支えられていた。ウォール街の金融資本家とはモルガン商会のトーマス・ラモントのことであり、日本のリーダーは金融・財政政策を担った井上準之助のことを指す。

ウォール街が日本との関係を深めた契機は1920年代に成立した中国に対する日英米仏の4カ国借款だったが、その実務を担ったのがウォール街だった。彼らの活動の動機はもちろん利潤に基づいていたが、結果として日米両国の国内政治に影響を与え、日米相互の信頼関係を形成する支えになっていた。

しかし井上が1932年に暗殺され、その直後に満州事変が勃発すると、金融の力で支えられた日米の協調体制は瓦解し、両国の関係は急速に悪化したのは周知の事実である。

前述の中国の学者は「ウォール街と深いつながりを持つバイデン政権が誕生すれば、中国政府は再び米国政府を動かすことができるようになる」としていたが、その安全弁が消滅しかかっているのである。

米政府系メディア「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」は8月19日、「中国政府は30億元(約510億円)を投じて、台湾に最も近い福建省沖の島に海上空港を建設する計画を進めている」と報じた。台湾海峡を巡る米中の緊張関係は高まるばかりである。

「歴史が繰り返す」と断言するつもりはないが、米中の金融分断により、今後米中間の衝突リスクが飛躍的に高まってしまうのではないだろうか。

2021年8月27日 JBpressに掲載

参考文献
  • 『ウォール・ストリートと極東―政治における国際金融資本』(三谷太一郎著、東京大学出版会)

2021年9月6日掲載