サイバー攻撃の影響を受けなかった原油市場
米国最大パイプライン網が6日間操業停止

藤 和彦
コンサルティングフェロー

米WTI原油先物価格はコロナ禍以前の水準に回復している(1バレル=60ドル台前半)。

5月に入ってからの最も大きな出来事は、米国最大のパイプライン網が歴史上初めてサイバー攻撃により停止したことである。

5月7日、米石油パイプライン最大手のコロニアル・パイプライン(本社はジョージア州、ロイヤルダッチシェルなどが出資)は「サイバー攻撃を受けてすべての業務を停止した」とする緊急の発表を行った。

コロニアルが保有するパイプラインの全長は8850キロメートル、メキシコ湾岸(米南部テキサス州)から北東部(ニューヨーク州など)をつなぐ大動脈である。このパイプラインにより1日当たり約250万バレルの石油製品が輸送されている。東海岸の燃料消費の45%を賄(まかな)う量であり、ガソリンやディーゼル燃料など幅広い用途に使われ、主要空港や米軍施設にも供給されている。

コロニアルを襲ったハッカー集団の手口

サイバー攻撃が仕掛けられたのは5月6日である。犯行を行ったグループは、ランサムウェアを使ってわずか2時間のうちに100ギガバイト近いデータをコロニアルのネットワークから抜き取った。ランサムウェアは、データを暗号化してシステムを停止させ、金銭を要求するマルウェア(不正かつ有害に操作させるな意図で作成されたソフトウエアの総称)の一種である。翌日(7日)になってサイバー攻撃に気づいたコロニアルは、関連システムをオフラインに切り替え、すべての業務を一時的に停止した。

攻撃を実施したのは「ダークサイド」と呼ばれるハッカー集団である。昨年(2020年)に存在が明るみになった集団であり、企業を恐喝する巧妙な手口で知られている。ロシア政府との関係も取り沙汰されている。

米国家情報長官室は4月公表の報告書で、ロシアや中国、イラン、北朝鮮を名指しした上で、「国家やその仲間が行うサイバー攻撃の脅威は深刻だ。攻撃対象に基幹インフラが含まれ、一般市民に悪影響が及ぶ可能性が高まっている」と警告していた。その背景として、近年マイクロソフトのメールシステムへの不正アクセス(中国が関与)やソフトウエア会社ソーラーウィンズへの大規模なサイバー攻撃(ロシアが関与)が発生していたことが挙げられる。またエネルギー分野でも、天然ガス関連施設がランサムウェアによる攻撃で操業が2日間停止した事例がある。

コロニアルのパイプラインは1960年代から操業しており、「サイバー攻撃に対してシステムが脆弱だったのではないか」と指摘されている。

今回のパイプライン攻撃は、新型コロナウイルスのパンデミックが影響しているとの見方もある(5月10日付BBC)。パンデミックによって、自宅からパイプラインの制御装置を操作するエンジニアが増加したことから、ダークサイドがアクセスしやすい環境が生じたというわけである。ダークサイドは、パソコンを遠隔操作できるソフトウエアなどに関係するログイン情報を買い取り、ポータルに大量のユーザー名とパスワードを投入することでパイプラインを遠隔操作したのではないかと推測されている。

トラック運転手不足でガソリンを運べない?

今回のサイバー攻撃は、燃料需要が増加する夏の旅行シーズンを前に発生した。パイプラインの稼働停止が長引けば、ガソリン価格が高騰し、国民生活や経済活動に大きな影響が出る。このことを懸念した米国政府は、矢継ぎ早に対策を講じた。

国土安全保障省は、外国籍の船が一時的に燃料を輸送できるよう、1920年に制定された商船法が定める条件緩和の検討を開始した。商船法は米国内の港間の輸送を認める船舶を「国内造船所で建造され米国人船員が乗り組むもの」に限定しているが、燃料不足に見舞われている地域への燃料輸送についてこの要件を免除すれば、外国籍タンカーがメキシコ湾岸からニューヨーク港まで6~7日ほどで燃料を運ぶことができることになる。

米国政府はまたトラック輸送に関する規制緩和も実施した。ガソリンを輸送するトラック運転手は通常、1日当たりの運転時間が11時間に制限されているが、影響を受ける17州とワシントン向けにガソリンを輸送するトラック運転手に対して「1日当たりの運転時間が規定を超えても構わない」としたのである。

コロニアルは5月12日夕方に「パイプラインの操業を再開した」と発表したが、米国のガソリン平均小売価格は2014年以来となる1ガロン=3ドル台に上昇した(3.008ドル)。コロニアル・パイプラインが再稼働しても、テキサス州で投入された燃料がパイプラインを通って到達するには時間を要するため、南東部の給油所ではガソリン不足が続いている(ガソリン価格は1ガロン=3ドル台のまま)。パイプラインの操業が正常化しても、「これで一件落着」にはならないかもしれない。

パイプライン稼働停止の代替手段として期待されていたトラック運転手の不足が顕在化したことも、懸念材料である。ガソリントラック運転手の高齢化が長年進んでいたが、パンデミックにより仕事が激減したことで大量の運転手が早期退職してしまったのだ。過去のパンデミックでは資産価格の下落を伴うことが多かったが、コロナ禍では株価と住宅価格が高騰したことで老後の備えができたとして、パンデミック以降に引退を決めた高齢者の数は全米で120万人に上るとされている。一方、パンデミックにより訓練施設が閉鎖され、新たな担い手が生まれないことから、時給を大幅に引き上げてもトラック運転手の確保が難しいという構造的な問題がある。

供給不足拡大が見込まれるも上昇しない原油価格

新型コロナワクチン接種が進んでいることから、冷え込んでいた米国のジェット燃料需要が回復するとの見方が出ている一方、米国の原油生産の動きはこのところ低調である。米エネルギー省は5月11日、「今年の原油生産量は日量1102万バレルになる」との見通しを示した。原油価格がコロナ禍前の水準に戻ったのにもかかわらず、原油生産量は日量約200万バレル減少したままであり、米国の原油需給はタイト化しつつある。

世界の原油需給に目を転じると、国際エネルギー機関(IEA)は5月12日、「今年の原油需要は既に供給を上回っており、新型コロナワクチン接種の進展で世界経済が回復する中、イランが輸出を増加させた場合でも供給不足は拡大する」との見通しを示した。

OPECとロシアなどの大産油国(OPECプラス)が第2四半期に日量200万バレル以上増産するが、IEAは「第2四半期のOPECプラスによる供給量の増加は、極めて旺盛な需要増見通しに対して日量150万バレル不足する」としている。さらにIEAは年内の見通しについて「年末までの供給不足分が日量250万バレルに拡大する。核開発問題を巡る米国とイランの協議が順調に進めば、イランが世界の原油市場に完全に復帰する可能性があるが、それでもOPECプラスの生産量は需要に対して日量170万バレル不足する」という。

IEAが原油需要について極めて強気な見通しを示したのにもかかわらず、足元の原油価格はそれほど上昇していない。筆者は「インドの原油需要の減少とイランの原油生産量の増加が重しとなっているのではないか」と考えている。

このところ世界最多の新型コロナウイルス感染者数を記録しているインドの原油需要は深刻な打撃を受けている。5月の原油需要は前年に比べ20%減少しているとの観測が出ている(5月17日付OILPRICE)が、この減少幅は日量約100万バレルに相当する。昨年の全土封鎖の際には原油需要が70%急減した。IEAは「インドの需要減は短期で済む」としているが、パンデミックの影響は長期化するとの見方が強まっている。

次にイランの原油生産量だが、イラン当局者は「数カ月以内に生産量を日量400万バレルに引き上げる」と宣言している(5月17日付OILPRICE)。

現下の中東情勢はイスラエルとパレスチナの軍事紛争に関心が集まっているが、筆者は宿敵の間柄であるイランとサウジアラビアの交渉の動きに注目している。両国は今年4月以降複数回の接触があったことを正式に認めている。議題は、「イエメンのシーア派反政府武装組織フーシ派のサウジアラビアへの攻撃停止」である。3月以降、フーシ派のサウジアラビアの石油施設などへのドローンやミサイル攻撃が続いており、サウジアラビアは「お手上げ」の状況となっている。「頼みの綱」である米国のバイデン政権は中東地域に積極的に関与する姿勢を示していないことから、「背に腹は代えられない」サウジアラビアがフーシ派の後ろ盾とされるイランと交渉したと推測される。これに対するイランの見返りは、「サウジアラビアが自国に代わってイラン産原油を国際市場で販売する」ことだとの情報が出ている(5月13日付OILPRICE)。米国の制裁下で原油輸出先を拡大させたいイランとしては、当然の要求だろう。

このように足元の世界の原油市場は比較的堅調に推移しているが、パンデミックが完全に収束するまで原油市場のボラティリティーが続く公算が大きいのではないだろうか。

2021年5月21日 JBpressに掲載

2021年5月31日掲載