「トランプ感染」で重症になりかけた原油市場
排除できない原油価格急落と「アラブの春」勃発の可能性

藤 和彦
上席研究員

米WTI原油先物価格は軟調に推移している(1バレル=40ドル前後)。

10月2日の「トランプ大統領の新型コロナウイルス感染」の報道により、WTI原油価格は一時1バレル=36ドル台まで急落した。「トランプ大統領の早期回復」との観測から同39ドル台まで回復したが、原油価格が下落傾向にある状況は変わらない。

コロナ感染再拡大で原油需要が低下?

まず需要サイドの動向だが、欧米地域で新型コロナウイルスの感染が再拡大し、原油の需要回復が遅れるとの観測が広がっている。原油の最大需要国である米国では、消費の軸がガソリンから暖房油に移りつつあるが、暖冬予想が出ており、盛り上がりに欠けている。

世界最大の原油輸入国となった中国も、貯蔵施設の制約から今後原油輸入量は減少するとの見方が強い(9月22日付OILPRICE)。

世界第3位の原油需要国となったインドの8月の原油処理量が前年比26%減の日量382万バレルとなるなど軟調に推移している。インドは近年「第2の中国」との期待が高まっていたが、英石油大手BPは「インドの原油需要は2025年にピークを迎えるかもしれない」との弱気の見通しを示している(9月16日付OILPRICE)。

ロシアのノバク・エネルギー相は9月28日、「新型コロナウイルス感染の再拡大で冬季に原油需要が低下する可能性がある」との見方を示した。

協調減産でも上昇しない原油価格

供給サイドに目を転じると、OPECとロシアなどの大産油国(OPECプラス)は日量770万バレルの協調減産を実施している。

ロイターによれば、OPECの9月の原油生産量は前月比16万バレル増の日量2438万バレルだった。減産を主導しているサウジアラビアは、減産を公約通り実施していないイラクやアラブ首長国連邦(UAE)に対して圧力を強めている。一向に原油価格が上昇しない状況にサウジアラビアは苛立ちを露わにし始めており、アブドラアジズ・エネルギー相が9月17日、「世界の原油市場の投機筋に地獄のような苦しみを味合わせる」と発言、18日には「10月にOPECの臨時会合を開く可能性がある」と述べた。

一方で、協調減産の対象外となっているリビアとイランの原油生産量が増加するという事態も起きている。リビアの原油生産量は、内戦の激化により日量10万バレルまで落ち込んでいたが、足元では同約30万バレルにまで拡大している。2019年のリビアの原油生産量は日量約100万バレルだった。また、米国の制裁下にあるイランの9月の原油生産量は日量16万バレル増加した。生産量以上に増加しているのは輸出量である。2018年5月に米国が制裁を開始する以前のイランの原油輸出量は日量250万バレル超だったが、その後、同20万バレルにまで減少したとされていた。しかしタンカーの移動をウォッチする会社の情報によれば、イランの9月の原油輸出量は最大150万バレルにまで回復した。輸出文書の偽造工作が功を奏した形だが、最大の輸出先は中国である(9月25日付OILPRICE)。

OPEC以外の産油国では、アゼルバイジャンがナゴルノカラバフの領有権を巡りアルメニアと戦闘状態に入ったが、原油供給途絶の状態は生じていない(生産量は日量約120万バレル)。なお、日量約400万バレルの原油生産量を誇るノルウェーでは、石油産業労働者のストライキにより日量33万バレルの原油生産が停止する事態が発生している。

原油市場関係者の間では「OPECプラスは2021年1月以降の減産を続ける」との見方が広がっている(9月29日付ロイター)。だが、追加減産に踏み切るかどうかは不透明な情勢である。

OPECプラスにとってこのところ頭痛の種だった米国の原油生産量は、ピーク時(日量1310万バレル)から同200万バレル以上減少した状態が続いている。今後の原油生産の動向を示す石油掘削装置(リグ)稼働数は増加基調に転じたものの、当面は現在の生産量を維持するだけで精一杯のようである。

今年(2020年)初めに日量約820万バレルだったシェールオイルの生産量は現在約760万バレルに減少しており、米石油大手コノコフィリップス幹部は9月24日、「2022年のシェールオイルの生産量は日量400万バレルに減少する公算が大きい」と悲観的な見通しを述べた。米国の石油企業トップの3分の2が「米国の原油生産はピークを過ぎた」と考えていると伝えられ(9月24日付ロイター)、「シェールブームは今や昔」である。

9月30日にオアシス・ペトロリウム、10月1日にローンスター・リソーシズとシェール企業の破綻が相次いでいる。シェール企業が大量に発行しているジャンク債ETF(上場投資信託)市場では9月半ばから資金流出が始まっており、コロナ禍でも好調を維持している米国の金融市場に暗雲が立ち込めている(9月30日付日本経済新聞)。

低油価にあえぐ湾岸産油国

今後の原油価格について、ロシア中央銀行は「1バレル=25ドルに下落する可能性がある」との予測を示している(9月10日付OILPRICE)。プーチン大統領は1バレル=46ドル以上の原油価格を望んでいるにもかかわらずに、である。

ロシアは低油価でも耐えられるとされているが、湾岸産油国は厳しいだろう。米格付会社ムーディーズは9月22日、財政均衡原油価格が1バレル=約60ドルとされるクウェートの信用格付けを初めて引き下げた。議会との軋轢による政府の流動性リスクの高まりを理由に挙げている。サバハ首長の死去に伴い、9月29日ナワフ皇太子(83歳)が新首長となったが、難局を乗り切ることができるのだろうか。日本の原油輸入に占めるクウェートのシェアは約8%である。

日本の原油輸入に占めるシェアが約3割のアラブ首長国連邦(UAE)の動向も流動的になっている。イスラエルとの国交正常化により経済面でのプラスが見込まれるものの、イランとの関係が急速に悪化している。イランは「イスラエルがイランの勢力に攻撃を仕掛けたら、対岸のUAE自身にも反撃する」と警告しており(10月5日付ZeroHedge)、ペルシャ湾はにわかに「波高し」となってきている。

低油価が続くなか、ますます経済が苦境に陥っているのがサウジアラビアである。

サウジアラビアの第2四半期のGDP成長率は前年比7%減となった。石油セクターは前年比5.3%減、非石油セクターは同8.2%減である。コロナ禍のせいでメッカ巡礼の参加者を大幅に制限したことによる観光収入の急減で、第3四半期の非石油セクターはさらに深刻な状態となることが見込まれる。国際通貨基金(IMF)はサウジアラビアの今年の成長率はマイナス6.8%になると予測している。ムハンマド皇太子が目論む脱石油経済化が一向に進んでいないのである。

中でも心配なのは失業率の悪化である。第2四半期の失業率は15.4%と過去20年間で最悪の水準となった。20歳から29歳までの人口が総人口の63%を占めるサウジアラビアでは若者の不満が高まっているだろうが、サウジアラビアの財政均衡原油価格は1バレル=約80ドルである。今年の財政赤字の対GDP比が12%になると予想されていることから、サウジアラビア政府は9月30日、「来年の歳出規模を前年比7.5%減の約2639万ドルにする」と公表した。付加価値税の大幅引き上げにより、8月のインフレ率は6.2%に加速し、個人消費は5.5%減少している(9月30日付ロイター)。補助金のさらなる削減によるガソリン価格の実質的な値上げが検討されている。

米ロサンゼルス・タイムズは10月2日、「サウジアラビアにおける反対勢力への弾圧は依然として増加傾向にある」と報じた。サウジアラビアの裁判所は10月6日、政府の政策を批判していた経済学者のウサム・アルザミル氏に対し、禁固15年の判決を言い渡した。

財政状態が急速に悪化しているにもかかわらず、サウジアラビアはイエメンでの軍事介入をやめる気配を見せていない。今年9月以降、イエメンのシーア派反政府武装組織フーシのドローンやミサイル攻撃が増加しており、治安の悪化を招いている。

脱石油経済化を目指しているものの、海外からの投資が3年連続で減少しており、イスラエル・マネーが喉から手が出るほどほしいだろうが、メッカとメディナという2大聖地の守護者であるサウジアラビアの立場がそれを許さない。UAEやバーレーンのようにはいかないのである。

建国以来の危機に陥りつつある祖国の現状に影響されたのだろうか、海外亡命中のサウジアラビア反体制派グループは民主的な政治集団を発足させた(9月24日付ロイター)。エジプトやレバノンなどで政府への抗議活動が盛んになっているが、原油価格が今後急落するようなことがあれば、サウジアラビアをはじめ湾岸産油国で「アラブの春」が起こる可能性は排除できないだろう。

原油価格の下落は国内のガソリン価格を安価にするというメリットがあるが、中東依存度が高い日本のエネルギー安全保障環境を不安定化させてしまうことを忘れてならない。

2020年10月9日 JBpressに掲載

2020年10月16日掲載