新型コロナが「はやりかぜ」になる日は近いのか
関節リウマチ薬「アクテムラ」にかかる大きな期待

藤 和彦
上席研究員

新型コロナウイルス対策である緊急事態宣言が解除されてから、国内での感染者が再び増加傾向にある。6月下旬から入国規制の緩和が始まっていることから「第2波が襲来するのは時間の問題である」との警戒感が高まっている。

東京都医師会の幹部は「ワクチンが完成し、重症化しない治療法ができれば、新型コロナウイルスもありきたりの『はやりかぜ』となり、人類と穏やかに共生していくことになる」と語っている(月刊誌「ファクタ」2020年7月号)が、このような状況にいつになったらなるのだろうか。

「はやりかぜ」として頭に浮かぶのは季節性インフルエンザである。

日本におけるインフルエンザ感染者数は年間約1000万人である。1日当たりの感染者数は約3万人であり、新型コロナウイルの感染者数より2桁大きい。2018年から2019年にかけての死者数は約3300人に上っている。しかし私たちがこれまで通常の生活を送ってこられたのは「インフルエンザは既知のものだから体内にはある程度の免疫力がある。予防接種(ワクチン)でさらに免疫力を高めることができる。万が一感染しても治療薬(抗ウイルス薬)があるから安心だ」という前提があったからである。

では、新型コロナウイルスの場合はどうか。インフルエンザとの比較で新型コロナウイルスの問題について論じてみたい。

既存の免疫システムで新型コロナを退治できる

まず新型コロナウイルスに対する免疫力について見てみよう。

厚生労働省は6月16日、新型コロナウイルスに関する初の大規模な抗体検査の結果を発表したが、東京での抗体保有率は0.1%、大阪は0.17%、宮城は0.03%だった。注目すべきは欧米に比べて抗体保有率が非常に低かったことである。大規模流行が起きた海外では、スウェーデンのストックホルム市は7.3%、英ロンドン市は17.5%、米ニューヨーク市は19.9%だった。抗体保有率が低いことは、多くの人が免疫を獲得し感染が終息に向かうという「集団免疫」の段階に達するまでの時間が長いとされることから、日本での「第2波」は諸外国に比べて大きくなるのではないかと懸念されている。

一方、日本などアジア地域での新型コロナウイルスによる死亡率が、欧米地域などと比べて2桁少ないことが明らかになっているが、その謎の解明に資する研究結果が出ている。

米国カリフォルニア州のラホヤ免疫学研究所が新型コロナウイルス流行前(2015年から2018年)に採取した健康な人の血液を調べたところ、半数の人の血液から新型コロナウイルスを退治できる「T細胞」が検出されたという(6月19日付日経バイオテク)。

またスイス・チューリッヒの大学病院では、新型コロナウイルスから回復した人のうち約2割(165人のうち34人)しか抗体(IgG)が作られていなかったということが判明し、残り8割は既存の免疫機構で新型コロナウイルスを退治したと考えられている。

人間の免疫システムは様々な免疫細胞が連携して機能している。大括りにすれば、自然免疫(生まれながらに身体に備わった免疫機能)と獲得免疫(病原体に感染することによって後天的に得られる免疫機能)に分かれるが、新型コロナウイルスに対処できるのは獲得免疫の方である。獲得免疫も2種類に分かれ、「抗体という武器をつくる」B細胞と「ウイルスに感染した細胞を破壊する」T細胞がある。

治療薬やワクチンの開発などで注目されているのはB細胞であるが、今回の研究結果はこれまで光が当たっていなかったT細胞に関するものである。

新型コロナウイルスが出現する前から、SARSやMERSの他に4種類のコロナウイルス(風邪の一種)が見つかっているが、半数以上の人のT細胞は、過去のコロナウイルスに感染した経験を生かして新型コロナウイルスに対応できることがわかったのである。

T細胞は特定の抗原(ウイルスのタンパク質)とのみ結合するが、抗原の化学構造に類似する物質とも誤って結合することがある(交叉反応性)。半数以上の人のT細胞は、新型コロナウイルスが体内に侵入すると、過去に感染した風邪のコロナウイルスの免疫記憶が呼び起こされ、新型コロナウイルスを認識し、攻撃するというわけである。

コロナウイルスの仲間を広く認識できるT細胞は「交叉反応性メモリーT細胞」と呼ばれているが、老化や何らかの疾病によって免疫不全の状態になっている人ではその活性が低下しており、新型コロナウイルスに感染すると発症しやすいようである。

その後、ドイツやスウェーデンでも同様の事実が判明しており、抗体が新たに作られなくても、既存の免疫システムで多くの人々は新型コロナウイルスを退治できるということがわかってきている。「抗体保有率が低い」といたずらに心配する必要はないのである。

また日本などアジア地域では「交叉反応性メモリーT細胞を有する人の割合が多いことから死亡率が低い」という仮説が成り立つ。世界各地の人々のT細胞の免疫反応が調査されれば、「ファクターX」の正体が明らかになるのは時間の問題だろう。

決め手となるのはワクチンよりも治療薬

次に世界中で期待が高まっているワクチンの開発状況はどうなっているのだろうか。新型コロナウイルス用のワクチンは、世界各地で異例のスピードで開発が進められているものの、実用化は早くても来年(2021年)以降になる見通しである。「できたとしても完全なワクチンになるとは限らない」との指摘もある。

一方、インフルエンザの予防接種は毎年おこなわれているが、日本における接種率は50%に過ぎない。ウイルスが毎年変異していることから、その有効性が年々低下しており、予防接種でできた抗体も4カ月で消滅すると言われている。インフルエンザのワクチンも完全なものではない。ワクチンは感染症対策の主役ではないのである。

決め手となるのはやはり治療薬である。インフルエンザについてはタミフルなど体内でウイルスが増殖することを防ぐ抗ウイルス薬が複数存在し、一般の医療現場で処方されている。一方、新型コロナウイルスについては、米国で開発されたレムデシビル(抗ウイルス薬)が日本でも承認されているが、治療期間の短縮という効果はあるものの、死亡率の低下には寄与していないようである。日本では、新型コロナウイルス用に開発されたアビガンに注目が集まっているが、最終段階の臨床実験が継続中のままである。

抗ウイルス薬の効果が芳しくない中で、6月中旬、英オクスフォード大学の研究チームは「炎症を抑える作用のある既存の薬(デキサメタゾン)を投与した結果、最も重症化した患者の死亡数が35%減少した」と報告した。WHOは「最初の成功例」と素早く反応し、デキサメタゾンの増産を世界の関係者に呼びかけた。

デキサメタゾンは安価で広く入手可能なステロイド薬である。1957年に開発され、炎症の原因に関係なく、体内の免疫機能を抑制することでぜんそくなどアレルギー反応が引き起こす疾患の治療に用いられている。

IL6の暴走を抑える「アクテムラ」

新型コロナウイルスの場合、感染者の8割は無症状か軽症、約2割が重症肺炎となり、重症患者のうち約3割(感染者の6%)が致死的な急性呼吸器不全症候群(ARDS)となると言われている。ARDSとは「サイレント肺炎」と呼ばれ、恐れられているが、その原因は既に明らかになっている。

「新型コロナウイルス感染症はサイトカインストーム症候群である」

このように主張するのは平野俊夫・量子科学技術研究開発機構理事長(前大阪大学総長)である。平野氏は4月下旬、村上正晃北海道大学教授とともに「新型コロナウイルスのARDSは免疫系の過剰な生体防御反応であるサイトカインストームが原因である」とする内容の論文を発表した。

サイトカインとは細胞から分泌される生理活性タンパク質の総称である。サイトカインは感染症への防御を担っているが、過剰に分泌されると多臓器不全などの原因となる。この状態がサイトカインストームであるが、デキサメタゾンは免疫機能全般を低下させることでサイトカインストームを抑制することに成功したと考えられる。

それではなぜ新型コロナウイルスはサイトカインストームを引き起こすのだろうか。

平野氏らの研究によれば、ARDSとなった患者の血液ではサイトカインの一種であるインターロイキン6(IL6)の濃度が上昇している。IL6は生体の恒常性維持に必要なサイトカインだが、炎症性を有することから、サイトカインストームを引き起こす際に中心的な役割を果たす。体内にはIL6を大量に分泌するための増幅回路(IL6アンプ)があり、新型コロナウイルスが増殖する気管支や肺胞上皮にもIL6アンプが存在することがわかっている。平野氏らは「気管支や肺胞上皮に侵入した新型コロナウイルスがIL6アンプのスイッチをオンにすることでサイトカインストームが起きる」というメカニズムを解明したのである。

このことからわかるのは、サイトカインストームの原因となるIL6の暴走を抑えれば、新型コロナウイルスの致死性は格段に低下するということだが、これを実現する薬は既に存在するのである。

薬の名前は「アクテムラ(トシリズマブ)」である。

アクテムラは、世界初のIL6阻害剤として大阪大学と中外製薬により共同開発された。トシリズマブの「トシ」はインターロイキン6の発見者である平野氏に由来する。国内では2005年に関節リウマチ(免疫の異常により手足の関節が腫れる病気)用として承認されており、治療費は1カ月当たり2~4万円程度と高価ではない。

アクテムラの新型コロナウイルスの治療薬としての有効性についての臨床試験は既に始まっている。中外製薬の提携先であるスイス・ロシュは3月から米国・カナダ・欧州でなどで最終段階の臨床試験を開始し、非常に有効な治療薬であることが証明されつつある(6月29日付「日経バイオテク」)。中外製薬も4月から臨床試験を始め、年内の承認を目指している(「アクテムラ、新型コロナウイルス肺炎を対象とした国内第III相臨床試験の実施について」中外製薬)。

アクテムラが新型コロナウイルス用に承認され、医療現場で広く投与されるようになれば、私たちは新型コロナウイルスの脅威に怯えることはなくなる。安心して元の生活に戻れることになるだろう。

新型コロナウイルスの病原性などがほとんどわからない状況下でのこれまでの対策は、数理モデルで感染拡大を予測する理論疫学や感染制御学の専門家が中心となって立案されてきたが、今後、世界的に見ても水準が高いとされる日本の免疫学の専門家が加われば、「鬼に金棒」である。新型コロナウイルスがありきたりの「はやりかぜ」となる日は近いのではないだろうか。

2020年7月10日 JBpressに掲載

2020年7月17日掲載

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