財政「反緊縮」、世界の潮流に…MMT理論で介護分野の人材の処遇改善を優先すべき

藤 和彦
上席研究員

「パウエル議長は現代貨幣理論(MMT)にすべてをささげているかのようだ」

このような声が米国の政界・金融界の間で広がっている。昨年「MMTは間違った理論だと思う」と語っていたパウエル米FRB(連邦準備制度理事会)議長の行動が、新型コロナウイルスのパンデミックで一変しているからである。

パウエル氏は16日の米上院委員会で「財政悪化を懸念するのではなく、今は歳出増で経済再生を優先すべきだ」と追加の新型コロナウイルス対策を求める発言を行った。トランプ政権は1兆ドル規模のインフラ投資などを検討しているが、パウエル氏は「米国の強力な財政余力を使うべき時だ。我々もやれるべきことはやる」として、国債利回りに一定の上限を設ける「イールドカーブ・コントロール」の導入を示唆している。

日本でもMMTが話題になっているが、簡単に説明すれば「自国通貨建ての国債を発行している政府は財政赤字を心配する必要はない。高インフレの懸念がない限り、完全雇用の実現に向けて積極的な財政政策を行うべきである」とする考え方である。国と地方を合わせた公的債務残高のGDP比が240%に達した日本では、大方の人々の頭の中に「財政赤字=悪」が擦り込まれているが、赤字を減らすべきはあくまでも個人や企業の話であって、自国通貨建ての国債を発行できる政府の場合は、無制限に国債を発行したとしてもデフォルトに陥ることは理論上ないのである。

しかし無制限に国債を発行すれば、通貨の価値が暴落し、極度のインフレが生じるのではないかとの懸念がある。これに対してMMTは「通貨は納税義務を果たす手段としての価値がある」と反論しているが、どういうことだろうか。

国民には納税義務があるが、その納税義務は通常、貨幣を政府に納めることによって行われていることから、貨幣には「納税義務を解消できる」という価値が生じ、このような価値が付与された貨幣は、財やサービスの取引や貯蓄など、納税以外でも広く使われるようになるとMMTは考えているのである。

「政府が貨幣を創出し、その貨幣を使って民間が税金を支払うことができる」という構図は、708年に平城京造営の資金捻出のために発行された和同開珎と同様である。和同開珎は政府の役人の給料に充てられ、納税にも利用できるようにしていたが、和同開珎の額面上の価値が法外に高かったことから、市中で流通することはほとんどなく立ち消えになってしまったという経緯がある。このことからわかるのは、MMTが主張する「納税義務の解消」という価値だけでは通貨の価値は安定しない場合があるということである。

日本は不完全雇用状態から脱していない

「仮に通貨の信用が不安定になったら財政規模を縮小させればよく、ハイパーインフレの恐れはない」というMMTの主張については、「生産サイドで大規模な支障が生じた場合でも大丈夫」とはいえないのではないだろうか。

1923年のドイツで発生したハイパーインフレのケースを見てみよう。第一次世界大戦以来、ドイツの中央銀行が大量の通貨を発行していたものの大したインフレが起きていなかったが、フランスが1923年に「賠償金の支払いが滞った」としてドイツの産業の中心地であるルール地方を占領するやいなや、全土にインフレが燎原の火のように広がった。直近の例では、白人が所有していた農地などを強制的に収容したことから農業の生産性が極端に低下したジンバブエでもハイパーインフレが起きている。

日本ではこのようなリスクはあるのかといえば、筆者は「米中が台湾や南シナ海などで軍事衝突し日本のシーレーンが脅かされる」ような事態を懸念している。

MMTは机上の空論のような面はあるものの、「もっと財政出動を」「財政の健全化よりも経済の健全化が大事である」とする主張には大賛成である。MMTが提唱している目標は「完全雇用の達成」である。国債発行で確保した財源を用いて、就労を希望する労働者に働く場を与えることは経済政策の王道である。日本の失業率は見かけ上低いものの、賃金があまり上昇していない現状は、いまだに不完全雇用の状態から脱していないといわざるを得ない。

終末期医療や介護分野の人材の処遇改善が第一

日本ではいまだに緊縮を唱える専門家が多いが、世界的な潮流は「反緊縮」が優勢になりつつある。金融政策の限界が見えているからであるが、その際に重要なのは「賢い使い方」、すなわち将来的に必要と見込まれる分野に対して選択的に財政支出することである。

会社が発行する株式にたとえると、調達した資金が有効に使われ事業内容が高度化すれば、発行数が増えたとしても株式の価値が上がるように、自国通貨建てであったとしても国債で調達される資金の使途は重要なのである。

資金の使途として「出生率の向上」がテーマに挙がっているが、筆者は「終末期医療や介護分野の人材の処遇改善がまず第一である」と考えている。厚生労働省は6月に入り、全国の介護現場に復帰する経験者に対して、最大40万円を貸し付ける方針を固めた。資金の返済は2年間介護の仕事を続ければ免除されるというものだが、この異例の申し出の背景には、新型コロナウイルスの影響で介護施設等の業務が増大し、人手不足がさらに深刻化していることがある。

昨年の日本の死者数は出生数の1.5倍以上である。多死社会が到来しつつある日本で何より大切なのは「誰もが安心して死んでいける」環境の整備である。終末期医療や介護の充実であれば、財政赤字拡大によるインフレを恐れる高齢者も納得するだろう。

このようにMMTをめぐる議論で欠けているのは、将来の日本のあり方なのではないだろうか。

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2020年6月20日 Business Journalに掲載

2020年6月26日掲載

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