自ら仕掛けた「価格戦争」で窮地に陥るサウジ
財政悪化とコロナ禍で国民の不満爆発は必至

藤 和彦
上席研究員

4月20日に史上初めてマイナスとなった米WTI原油先物価格は、5月に入り1バレル=20ドル台半ばで推移している。

今後の原油価格の見通しは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)で著しくバランスを失った原油市場が再び均衡を取り戻すかどうかにかかっている。

大きく落ち込んだ世界の原油需要

世界の原油需要は日量約3000万バレル減少したとされているが、日量3000万バレルというのはOPEC全体の原油生産量に匹敵するという途方もない規模である。

ロイターによれば、サウジアラビアとロシアの対立により協調減産が失効した4月のOPEC生産量は161万バレル増の日量3025万バレルと久しぶりに3000万バレルの大台となった。

しかし原油価格が急落したことから、OPECとロシアなどの非加盟産油国(OPECプラス)は再び5月から日量970万バレルの追加減産を実施することになった。期間は6月までとなっていたが、7月以降もこの水準を維持する可能性が高まっている。さらにサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウエートは3カ国合計でさらに日量118万バレルの減産を行うことを明らかにしている。

世界第1位となった米国の原油生産も急減速している。石油掘削装置(リグ)稼働数は直近2カ月で半分以下(292基)となり、リーマンショック時以来の低水準となった。足元の原油生産量も昨年7月以来の1200万バレル割れとなり、日量1310万バレルから最大で300万バレル減少するとの見方が出ている(5月8日付ロイター)。

OPECプラスの日量970万バレルに米国の同300万バレルを加えると同1400万バレル弱の減産となるが、それでも落ち込んだ需要量の3分の1強に過ぎない。

原油在庫の増加が招く地政学リスク上昇

原油市場が著しく不均衡となったことで、世界の原油在庫の増加が止まらない。経済協力開発機構(OECD)加盟国の3月末時点の原油在庫は30億5900万バレルと既に高水準になっており、このままのペースで行くと6月末には満杯になってしまう計算となる(4月26日付日本経済新聞)。世界は「油の海」に沈んでしまうのかもしれない。

特に深刻なのは米国である。オクラホマ州のクッシングにあるWTI原油の貯蔵施設のキャパシティが80%を超えており、現物を引き取る事態となることを恐れる投資マネーの「売り」が出やすい状況が続いている。6月物の決済日である5月19日に再び4月20日のような大量の「投げ売り」が発生する可能性は少なくなっている(5月7日付日本経済新聞)ようだが、このところの原油市場は「一寸先は闇」である。

需要面で数少ない明るい材料は、世界最大の原油輸入国である中国の4月の原油輸入量が前月比16万バレル増の日量984万バレルと回復していることである。

いち早く原油需要の大幅減少を予測したゴールドマン・サックスは、世界各国が経済活動を再開していることから「5月末までに世界の需要量は供給量を上回る可能性がある」とする新たな見方を提示している(5月8日付OILPRICE)。しかし、史上最高水準に近い世界の原油在庫(12億バレル)の存在が長期にわたって下押し圧力になるだろう。原油価格の低迷により今年の産油国の収入は1兆ドル減少すると予測されており(4月30日付OILPRICE)、このことは世界の地政学的リスクの上昇に直結する。

トランプ大統領がサウジにかけた圧力

米国の石油産業の苦境は、再選を目指すトランプ大統領にとって大きなマイナスである。原油価格急落に加えて新型コロナウイルスの感染拡大により、ロシアのプーチン大統領も史上最低の支持率にあえいでいる。

だが、筆者が最も懸念しているのはやはりサウジアラビアである。

追加減産の提案をロシアに却下されたことに腹を立てたムハンマド皇太子は、4月からOPECプラスの枠組みを解消し、「ダンピングによるシェア拡大」という仁義なき戦いを始めた。だが、この暴挙がトランプ大統領の逆鱗に触れるとは想像していなかったようだ。

4月30日付ロイターは「トランプ大統領は4月2日、ムハンマド皇太子に電話し、『価格競争を継続するならサウジアラビアとの間の軍事同盟を解消する』と恫喝した」と報じた。1945年2月、ルーズベルト大統領とアブドラアジズ国王との間で「米国がサウジラビアの安全保障を引き受ける代わりに、サウジアラビアは米国に石油を安定的に供給する」旨の取り決めがなされ、現在に至っている。この歴史的な取り決めをトランプ大統領は白紙にすると述べたのである。

真っ青になったムハンマド皇太子は自らが指示した石油戦略を撤回し、電話会談から3日後にロシアと再び協調減産を行うことにしたのである。

減産を再開したサウジアラビアだったが、原油価格がなかなか上昇しない。業を煮やしたトランプ大統領は5月8日、再びムハンマド皇太子と電話会談を行った。両国は世界のエネルギー市場安定の重要性で合意するとともに、防衛分野における両国の強い結びつきを再確認したという。その後、サウジアラビア政府は11日、6月の原油生産量を追加的に日量100万バレル削減すると発表した。

電話会談でトランプ大統領は「サウジアラビアの減産量が少なすぎる」と不満を述べ、湾岸地域からの米軍撤退をほのめかしたようだ(5月7日付OILPRICE)。

5月7日付ウォールストリートジャーナルは「米軍はサウジアラビアに派遣している地上配備型迎撃ミサイル・パトリオット部隊4隊と戦闘飛行隊2隊を撤収する。これに加えてペルシャ湾に展開中の海軍艦艇についても撤収が検討される見通しである」と報じた。「米国の戦略的利益に対するイランの脅威が低下しているため」というのがその理由だが、その後の経緯(サウジアラビアの突然の減産発表)から、トランプ大統領が安全保障カードをサウジアラビアへのさらなる減産圧力に使ったと考えると納得がいく。原油価格がしばらくの間低価格で推移すると見込まれる現在、トランプ政権の外交政策の中心が「石油」ではなくなったとの憶測も出ている(5月8日付ZeroHedge)。

いずれにせよ、昨年(2019年)9月のサウジアラムコの石油施設への大規模ドローン攻撃以降、2倍となっていた西アジアの駐留米軍の規模は再び縮小されることになる。

サウジの財政は「火の車」

自らが仕掛けた「価格戦争」で米国の虎の尾を踏んでしまったサウジアラビアは、財政も「火の車」となっている。

サウジアラビアのジャドアーン財務相は5月11日、日本の消費税にあたる付加価値税を7月から現行(5%)の3倍の15%に引き上げると発表した。さらに付加価値税導入と併せて実施してきた物価上昇の影響を緩和するための生活費手当の支給(予算額266億ドル)を6月から中止することを明らかにした。

ムハンマド皇太子が主導する「ビジョン2030」関連のメガプロジェクト、いわば聖域にも削減方針が示された。1バレル当たり約60ドルと想定していた原油価格が半値となるなど石油収入が大幅に落ち込んでいることに加え、非石油収入も低迷しているからだ。新型コロナウイルスのせいでメッカやメディナなどの聖地巡礼を禁止したことにより観光収入が約120億ドル減少したことも響いている。

今年の財政赤字の対GDP比率は10%をはるかに超え、3月末の外貨準備高は4640億ドルと2000年以来の低水準である。今年の金融市場からの借り入れの規模が600億ドルにまで膨らんでいる(4月23日付日本経済新聞)。「第2の予算」的な機能を有している政府系ファンド(PIF、資産規模は3000億ドル超)の運用もハイリターンを求めるあまり、リスクの高い投資先が目立ち始めている(4月21日付日本経済新聞)。

サウジで発生しかねない「アラブの春」

サウジアラビアにおける新型コロナウイルス感染者数は4万人を超え、中東地域の中でトルコ、イランに次ぐ規模となっている。サウジアラビアの原油生産の中心地である東部の産業都市ダンマーム(人口約200万人)が5月3日、都市封鎖となった。原油輸出に支障は生じていないが、今後の動向は要注意である。

ムハンマド皇太子の命令で開始されたイエメンの軍事介入は5年を超えた。戦費は2330億ドルと巨額になったが、その結果は、友好国であったアラブ首長国連邦(UAE)との確執の再燃と、イエメンからサウジアラビアへの新型コロナウイルス感染流入のリスク増大である。

改革の「痛み」と新型コロナウイルスの感染爆発により、国民の不満が高まるのは必至である。中でも突然の大幅増税により王室支配が続いたサウジアラビアで、国民の政治参加の要求が飛躍的に高まるのではないだろうか。「代表なければ課税なし」のスローガンの下、サウジアラビアで「アラブの春」が発生しかねない情勢である。

このように原油価格が歴史的な低水準となっていることが戦後日本のエネルギー安全保障の土台を揺るがすリスクとなっていることを、日本人はもっと真剣に受けとめるべきではないだろうか。

2020年5月15日 JBpressに掲載

2020年5月22日掲載

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